ネコショカ

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『白銀の墟 玄の月』小野不由美 十二国記シリーズ18年ぶりの長編新作


泰麒と驍宗のその後が遂に描かれる

『白銀の墟 玄の月(しろがねのおか くろのつき)』は2019年刊行作品。『魔性の子』『月の影 影の海』『風の海 迷宮の岸』『東の海神 西の滄海』『風の万里 黎明の空』『図南の翼』『黄昏の岸 暁の天』『華胥の幽夢』『丕緒の鳥』に続く「十二国記」シリーズ、九作目の作品である。

前作である『丕緒の鳥』が2013年に登場してから5年ぶり。長編作品としては『黄昏の岸 暁の天』が2001年に刊行されてからなんと18年ぶりの新作ということになる。あまりに長すぎる!

待ちに待った最新刊『白銀の墟 玄の月』はなんとシリーズ最長。全四巻もの長大な作品として登場した。まず第一巻と第二巻が2019年10月12日に、そして第三巻と第四巻はおよそ一か月後の11月9日に刊行された。

『白銀の墟 玄の月』第一巻:あらすじ

諸国の王、麒麟たちの助けを借りて泰麒は遂に戴国への帰還を果たす。同行する李斎と共に、失踪した驍宗の行方を追い求める二人。白雉が落ちていない以上、王は存命である筈。冬を迎え極寒と窮乏にあえぐ戴国の人々。一方、簒奪者阿選は、不可思議な無気力の中にいた。王位を奪った阿選は何故、政を放置するのだろうか……。

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)

『白銀の墟 玄の月』第二巻:あらすじ

李斎と別行動を取った泰麒が目指したのはこともあろうに敵の本拠地、鴻基の白圭宮だった。阿選との対面を果たした泰麒は告げる「阿選が王であると」。一方、驍宗の行方を追い求める李斎は、遂にその手がかりをつかみゆかりの地を訪れる。しかし、そこに王の姿はなく、驍宗と思われる人物は既に他界しているという信じがたい事実を知らされる。

白銀の墟 玄の月 第二巻 十二国記 (新潮文庫)

『白銀の墟 玄の月』第三巻:あらすじ

反阿選の志を戴く人々が次第に結集しはじめる。李斎は懐かしい旧知の人々との再会を果たす。白圭宮で孤軍奮闘する泰麒は、囚われの身となっていた正頼との対面を果たし、その変わり果てた姿に衝撃を受ける。そして、遂に失われし戴国の王、驍宗が地上へとその姿を現す。驍宗の身柄を抑えるべく、阿選は現地に軍勢を差し向ける。

白銀の墟 玄の月 第三巻 十二国記 (新潮文庫)

『白銀の墟 玄の月』第四巻:あらすじ

遂に李斎らは驍宗と再会し、反阿選の軍を興す。しかし驍宗は阿選軍に囚われの身となり。李斎らが率いる軍勢は、圧倒的な阿選軍の前に敗北を喫する。驍宗に王位の禅譲を迫る阿選は、鴻基にて屈辱的な王位継承の儀式を行おうとする。絶望的な状況の中、泰麒が選んだ決断はあまりに過酷なものであった。

白銀の墟 玄の月 第四巻 十二国記 (新潮文庫)

「十二国記」戴国関連の物語の時系列

『白銀の墟 玄の月』は、物語の流れとしては外伝としての『魔性の子』、そしてシリーズ二作目の『風の海 迷宮の岸』、直接的には『黄昏の岸 暁の天』の「その後」が描かれた作品である。

時系列的にはこんな感じ。

『風の海 迷宮の岸』:泰麒誕生(0歳)→蓬莱に流される→黄海に戻る(10歳)→驍宗登極

『魔性の子』:泰麒(18歳)、二度目の蓬莱時代→延王により再度十二国世界へ

『黄昏の岸 暁の天』:驍宗行方不明、泰麒が蓬莱より帰還(泰麒が何故再び蓬莱に流されたのかはこの巻で判明)

『白銀の墟 玄の月』:本作

『魔性の子』は1991年刊行であるから、戴国の話としてはなんと28年かけての完結!当時からの読者はもはや五十路である。あまりの長大な時間に目がくらみそうだ。

いかんいかん、感想を書く前の前説明だけで2,000文字近くかかってしまった。以下、ポイントごとに『白銀の墟 玄の月』を読み解いていく。

戴国の全貌が明らかに

全四巻となった『白銀の墟 玄の月』はとにかく長い!小野不由美作品としては全五巻の『屍鬼』に続く長さであろう。長いだけあって、物語の背景部分の説明にかなりの分量を割いている。これまで描かれてこなかった戴国の姿が克明に描かれている。

十ニ国の中では北東に位置する戴だが、柳、芳と並んで寒さの厳しさには定評がある地域である。本作では極寒の地で労苦を重ねる戴の人々の暮らしが度々描かれ、王と麒麟が不在であったこの国にどれほどの惨禍が見舞ったのかが明らかになっていく。

また戴国の特色として、宗教的な勢力の大きさは特筆すべき事項であろう。道観寺院や仏教(これ海客経由で蓬莱から伝わったんだっけ?)勢力が強い力を持ち、人々の暮らしを支え、文化を伝えている。これらの勢力はやがて、反阿選への動きを糾合する柱となっていく。

個人の物語から群像劇へ

『白銀の墟 玄の月』以前の「十二国記」シリーズは、どちらかというと王や麒麟など、特定の人物を主人公として深く掘り下げ、個人の成長を描く側面が強い作品だった。

しかし本作では泰麒と李斎、この二人を軸として物語は展開していくものの、描かれている人物の数がかなりの数に登っている。キャラクターの名前と役割が覚えられなくて苦労した読者も多いのではないだろうか(登場人物紹介が欲しかったよね)。

結果として泰麒と李斎に割かれた分量は減少し、個人の物語というよりは、群像劇としての側面が強くなっている。この点、シリーズは別になるが『屍鬼』を想起させられる。個人的には泰麒の心理をもっと掘り下げて欲しかった気もする。

以前から気になっていたけど、驍宗の内面は今回もほとんど描かれない。そこが一番知りたいところだったのだけど……。ここはあえて書かないと決めていた部分であったのかもしれない。

自らの手を汚す麒麟

本作の最大のカタルシスは、『魔性の子』のエピソードを経て再び戴国へと還って来た泰麒の凄絶な覚悟である。正頼を救うため警備の兵に暴力を振るい、王でない阿選に叩頭し誓約をなし、遂には流血を厭わず剣を振るう。

「戴国の麒麟は化け物か」琅燦(ろうさん)らをして、驚愕せしめた泰麒の行動の数々は、これまでの「十二国記」世界の常識を知るものであればあるほど、あまりに衝撃的である。

これらの泰麒の行動の背景には、もちろん驍宗への思慕や李斎や同志たちへの想い、民への配慮もあっただろう。しかし、その決意を根底で支えていたのは二度目の蓬莱時代、『魔性の子』での苛烈な体験である。

泰麒は十二国での記憶を失い、忌むべきものとして蓬莱で暮らし、多くの犠牲を無感動に受け流し屍山血河を築いてきた。そんな泰麒に対して、故国喪失者としての共感から、唯一、心を寄せてくれた広瀬。しかし記憶を取り戻した泰麒はそんな広瀬すらも、蓬莱に置き去りにし、この地に還って来たのである。

おそらくはまだ雪のない遠く遥かな海辺の街。もう二度と帰ることもない泰麒の故郷。そこで引き起こされた大量の死。それを無意味な犠牲にすることだけは、あってはならない。

(中略)

それでもその岸を故郷と呼べるのは、たった一人、居てもいいと言ってくれた人がいたからだ。

『白銀の墟 玄の月』三巻 p195より

泰麒が麒麟としての禁忌を乗り越えられたのには「広瀬」の存在があった。ただ一人残された広瀬にも意味があった。あちらの世界で生きていなかった分、こちらでは生きなくてはならない。もう目はそらせない。あの人を置いてきたことへの贖罪の気持ち。『魔性の子』での広瀬と過ごした日々が、泰麒の決意を底から支えているのだ。この事実に震撼とさせられた読み手は多いのではないだろうか。これは泣く。しかもこの想いが広瀬に届くことはないのだから。

驍宗と阿選はどこで差がついた

前代の泰王である驕王の時代、禁軍の双璧として並び称された驍宗と阿選。人柄においても、武術、政治力に置いてもほぼ同格であったかと思われた二人だが、どこで差がついたのか?

あくまでも「まっとうな人間」であろうとした驍宗と、臣としての栄達を最上のものと考えた阿選。最初は僅かな差であったとしても、根本的な志の違いは長い歳月の間に複利となって大きな負債となっていく。

ただ、この結果は最初は本当に僅かなものであり、一つ間違えれば驍宗と阿選の運命は全く逆になっていたかもしれない。

比べるときにはそもそも己の優を計るために比べるのだ

『白銀の墟 玄の月』三巻 p101より

驍宗も同じ立場に立てば簒奪を企図したかもしれない。そんな可能性もあったのである。驍宗が居ない時代に生まれていたら、同格の存在に対する嫉妬の感情を知らなければ、阿選はひょっとしたら優れた王になっていた可能性が十分にあると思う。

琅燦の狙いは何だったのか?

今回の事件、阿選を扇動して事を起こさせた黒幕は琅燦である。琅燦は妖魔である次蟾(じせん)を使役し、多くの官吏を「病む」ことで廃人に追いやり、阿選の簒奪を助けている。それいで、琅燦は驍宗への敬意を持ち続けており、陰ながら李斎らの行動を援助していた形跡すらある。琅燦の行動は謎めいていて、その真意は最後まで明かされない。

ただ、琅燦は黄海に基盤を持つ、黄朱の民出身であることは判明しており、既存の権威に縛られない自由な考え方をする人物であったろうことは想像が出来る。

麒麟が王を選び、王が国を統べる。

そんなこの世界の仕組みに対して、麒麟と王を生きながらにして存在を隠してしまったらどうなるのか?天意が及ばない状況を意図的に作り出した上で、民意による是正措置は働くのか?そんな「実験」を興味深く冷静に観察しているように見える。

琅燦の「実験」のために生じた犠牲者は計り知れない数に登っており、人道的には全く許されないことであろう。しかも琅燦はその罪の償いすらしていないのだ。

一個人の企てとしてはあまりに非人間的に過ぎるので、背後になんらかの存在があるのでは?黄朱の民出身であるが故に、その背後には犬狼真君の意思が介在しているのでは?などと個人的には予想しているのだがどうだろうか?

この点、今後刊行されるであろう短編集で解明されることを切に願う。さすがにこの中途半端な状態で放置されるのは辛い。

民の意思は具現化されたのか?

第四巻、ラスト100ページを切って、物語は微塵も収束する気配が見えない。さすがにヤバいのではと焦り出した読者は多いのではないだろうか?非常にスローペースで進んできたこの物語だが、終盤の一気呵成ぶりは圧巻である。

終盤の大逆転の火蓋を切ったのは泰麒からである。まず泰麒が事を起こし、耶利(やり)がそれを支える。ここに至って李斎らが驍宗を救出、更には英章が兵を挙げ鴻基に迫る。誰が欠けても驍宗は助からなかっただろうし、逃亡も成功しなかった。

麒麟にあるまじき、自ら剣を取って人を傷つけられる能力、更に転変可能という最強カードを最後まで伏せておいた泰麒の「化け物」ぶりが際立つ。

ところでこの逆転劇は、民意の反映なのだろうか?この物語では、民衆の世論は阿選によって徹底的にコントロールされている。李斎らの蜂起は支持されず、驍宗は民の投石によって殺害されてしまう可能性があった。泰麒によって、驍宗の正当性が証明された後でさえも、民衆は真の王を支持するのではなく、報復への恐怖のあまり逃げ出す始末である。

となると、今回の顛末は簒奪政権を民の意思の具現化が阻んだというよりは、もともとの天意によるシステムが、不正なバグを取り除いた。そんな風に思えてしまうのである。

一見すると感動的な大団円にも思えるのだが、小野不由美作品らしい皮肉な幕引きと捉えることもできる。

この先はどうなるの?

「十二国記」久しぶりの長編作品は、待っただけの甲斐はあったものの、新たに数多くの謎を残している。以前に小野不由美は「長編はあと一作」(「ダ・ヴィンチ」2012年9月号「特集 小野不由美」)と言及しているのだが、本作で最後になってしまうのか

まずは、発売が明示されている短編集の登場を待ちたいところである。

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