綾崎隼が将棋小説に挑戦
2020年刊行作品。作者の綾崎隼(あやさきしゅん)は1981年生まれ。作家デビューは2010年。電撃小説大賞で選考委員奨励賞を受賞した『蒼空時雨』(応募時タイトルは『夏恋時雨』)。メディアワークス文庫を中心に、二十冊以上の著作があり、キャリアも10年を超えた。着々と実績を積み上げている作家という印象である。
『盤上に君はもういない』はKADOKAWAの文芸WEBマガジン「カドブンノベル」の2020年2月号~6月号にかけて連載されたものを加筆修正した上で単行本化したもの。
「ダ・ヴィンチニュース」に綾崎隼のインタビュー記事があったのでリンクしておこう。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★(最大★5つ)
将棋好きの方、特に女流棋士に思い入れのある方。とにかく熱い勝負の物語を読んでみたい方。男性優位の社会で頑張る女性の姿に触れてみたい方におススメ!
なお、将棋に詳しくなくても本書は十分楽しめる。将棋の戦術的な部分には深入りしないし、将棋を知らないと理解できないような描写もない。その点はご安心を。
あらすじ
長い歴史の中で、未だに女性のプロ棋士は居ない。プロ昇格最後の関門、魔境と呼ばれる奨励会三段リーグで戦う二人の女性。永世飛王を祖父に持つ、将棋の家に生まれた若き天才、諏訪飛鳥。病弱で不戦敗を重ね、年齢制限ぎりぎりの瀬戸際に立つ千桜夕妃。残された席はただ一つ。それぞれの想いを秘めて、二人は昇格を賭けた最後の戦いに臨むのだが……。
棋士と女性
将棋の世界には男女を区別しない「棋士」と、女性だけを対象とした「女流棋士」の二つのプロ制度が存在する。いわゆる「女流棋士」と呼ばれる方々は後者に相当し、「棋士」ではない。「棋士」は性別を問わず、挑戦者を受け入れているのだが、未だ女性でこの壁を超えたものは居ない。
将棋については門外漢のわたしだが、将棋マンガは好きなのである。特に好きな将棋マンガは『ハチワンダイバー』である。『ハチワンダイバー』は数ある将棋マンガの中でも女性が大活躍することで知られる一作だ。女性と将棋についての熱い想いが炸裂している名作なので、気になる方は是非ご一読いただきたい。
ココからネタバレ
棋士を目指した女性の物語
と、いきなり話が逸れてしまった……。
『盤上に君はもういない』は、現実の世界では未だ実現していない女性棋士誕生への道を描いた作品である。諏訪飛鳥(すわあすか)と千桜夕妃(ちざくらゆき)。全くタイプの異なる二人の女性が、圧倒的な男社会、体力的なハンディキャップ、周囲の無理解と戦いながら女性棋士の座を目指していく。
では、以下各編を簡単にコメントしていこう。
第一部「佐竹亜弓の失望と想像の雄途」
この物語の興味深い点は女性棋士誕生をあくまでも「通過点」としている点だろう。史上、未だ存在しない女性棋士。その誕生を物語のメインに据えても十分、作品を構成しうるに足ると思うのだが、本作ではあくまでも辿るべき過程の一つにかしていないのである。
第一部では、観戦記者である佐竹亜弓(さたけあゆみ)の視点から、プロ昇格を賭けた、諏訪飛鳥と千桜夕妃の戦いが描かれる。佐竹亜弓はかつて大手新聞社に勤務しながらも、大事な仕事を愛猫のために犠牲にし退社に至っている。
「そこに愛が載せられている限り、天秤は絶対に反対には傾かない」これは佐竹亜弓が至上とする考え方だが、本作全体を貫く柱ともなるコンセプトワードになっている。
第二部「千桜智嗣の敬愛と憂威の青春」
千桜夕妃の血の繋がらない弟、千桜智嗣(ちざくらともつぐ)の視点から描かれる。この時点では千桜夕妃の内面は直接描かれない。苦労人、千桜夕妃のキャラクターを弟の目線から浮き彫りにしていく。
夕妃は棋士昇格を決めながら、プロとしての第一戦に欠場し突然失踪してしまう。「これから人生で最後の将棋を指す」その言葉の陰には何があったのか。
医者一家に生まれながら棋士を目指し勘当された姉。姉を追って奨励会入りを果たすも、それを親に許された智嗣。不当ともいえる男女での扱いの差。奨励会には入れたが、智嗣自身には棋士になる意思はない。苛烈だが儚い。そんな姉への報われない思慕が切ないパートである。
第三部「諏訪飛鳥の情熱と恩讐の死闘」
千桜夕妃のライバル、諏訪飛鳥のパート。棋士としては夕妃に先を越された、飛鳥が三年の歳月を経て再び棋士昇格のチャンスを得る。飛鳥の中には、プロへの昇格を決めながら謎の失踪を遂げた夕妃への憤りがある。
綾崎隼の作品は初めて読むが、話のテンポが速い。千桜夕妃の早指しのようにポンポン間合いを詰めてくる。二人目の女性棋士へ、昇格を決めた飛鳥。空白の日々を経て将棋の世界へ戻ってきた夕妃。ここで飛王戦予選での、飛鳥との再戦が決まる。
夕妃の内面と、過去については未だ読者には示されない。別人のように棋風が変わった夕妃には何があったのか。それでも飛鳥の六年間の恩讐を受け止めようとする夕妃の姿からは、ただならぬ想いの深さを感じさせる。
「人生で一番大切な日に、必ずお互いが立ち塞がる」。飛鳥と夕妃の八時間に及ぶ死闘。女同士だからではない、「女で棋士」だからわかりあえることがある。盤上でしか知ることが出来ない。言葉を超えて結ばれた二人の絆が感動的な一戦だ。
第四部「竹森俊太の強靭で潔癖な世路」
これまで脇役に徹していた若き天才棋士、竹森俊太(たけもりしゅんた)にようやくスポットがあたるパートである。中学二年、13歳でプロ昇格。16歳で初タイトル。その後七タイトルを獲得。実在していれば、藤井聡太以上の注目を集めているはずである。
第四部時点では23歳で、名人にして竜皇(実際には竜王)、五冠。妻は諏訪飛鳥(笑)。そして、竜皇のタイトル防衛に立ちはだかるのが、35歳となった千桜夕妃である。この展開は燃える。
「私だけじゃ難しいかな」から始まる、夕妃の大逆転シーンは、読む側としてはわけがわからないながらも戦慄の超展開なのであった。
竜皇は将棋界最高のタイトルの一つである。女性の棋士ですら存在していないのに、夕妃を竜皇戦の挑戦者にまで仕立て上げてしまうのは、さすがに出来すぎなのでは?という疑念も出てくるのだが、この部分の種明かしというか、納得感は第五部で描かれるので最後まで読んでいただきたいところである。
第五部「ただ君を知るための遊戯」
最終パート。ここで視点は観戦記者の佐竹亜弓に戻ってくる。亜弓の目線から、千桜夕妃の生い立ちと、空白の三年間を綴っていくのである。
『盤上に君はもういない』はただひたすらに愛の物語である。それだけに「そこに愛が載せられている限り、天秤は絶対に反対には傾かない」とする亜弓が、夕妃の渡仏を見届けるのは必然の流れであると言える。
将棋は一人ではできない。そして相手がいるから強くなれる。アンリとの出会い、将棋との出会いが夕妃の人生を変えた。だからこそ夕妃は、全てを捨てて病床のアンリと将棋を指すことを選ぶ。
冒頭に掲出した書影は帯がついたバージョンをあえて載せておいた。ここで帯を外した書影を見てみよう。
帯に隠された、下1/4部分の画像の意味が、最後まで読めばわかるはずである。背景に描かれるのはフランスでの風景だ。アンリの存在そのものが夕妃の内面に宿っていることがわかる。この仕掛けには震撼させられた。
これを見れば第四部の謎めいた夕妃の台詞「私だけじゃ難しいかな」の意味が分かる。「将棋とは、この世で最も互いを思い合う競技」なのである。死を目前にしたアンリとの最後の日々が夕妃の棋風を変えたのだ。
アンリJr.の部分は、幕間で挿入される短いエピソードがミスリード狙いの構成になっていて、騙された読者も多いのではないだろうか?最初からアンリJr.が子どもであるとわかっていれば、夕妃との関係性は容易に想像がついてしまったことだろう。「アンリ先生」と呼ばせたことで、すっかり騙されてしまった。このちょっとした叙述トリックが、ラストの劇的な展開を見事に引き立てている。
女性棋士誕生はあり得るのか?
おまけ。2020年の3月に、西山朋佳三段がこの壁にぎりぎりまで肉薄したのは記憶に新しいところ。依然としてハードルは高いと思われるが、いつかは女性棋士が現実のものとなって欲しい。
なお、本書の電子書籍版には特典として、書き下ろしショートストーリー「諏訪飛鳥と竹森稜太の原初的邂逅」がついてくるらしい(わたしは未読)。えー、すごくこれ読みたいんだけど……。
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