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『ブラザー・サン シスター・ムーン』恩田陸 本と音楽と映画があれば幸せだった時代の物語

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恩田陸の自伝的要素を含む作品

最初の単行本版は2009年に刊行。英題は『Brother Sun, Sister Moon』。

ブラザー・サン シスター・ムーン

河出文庫版は2012年に登場。文庫化に際して、河出書房新社の文芸誌『文藝』に掲載されていた前日譚的な作品「糾える縄のごとく」を追加収録。加えて、巻末に特別対談「恩田陸、大学の先輩と語る」が収録されている。この対談を読むと、この物語が、恩田陸自身の大学時代が、色濃く反映されたものであることがよくわかる。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

本が好き、音楽(特にジャズ)が好き、映画が好き!そんな学生時代を過ごした方。自らの学生時代を振り返ってみたい方。表現活動について考えてみたい方。大学時代を描いた青春小説がお好きな方。恩田陸の半自伝的な作品に興味がある方におススメ。

あらすじ

楡崎綾音、戸崎衛、箱崎一の三人は、関東近郊の地方都市の出身。高校の同窓であった三人は、期せずして東京の同じ私立大学に進学することになる。ひとりは物語に、ひとりはジャズに、そしてもうひとりは映画にと、それぞれの世界で大学時代を過ごす。学生時代はあっという間に過ぎていく。四年間の日々が終わろうとしているとき、彼らの郷里によぎるものとは何だったのか。

ここからネタバレ

高校の同級生、三人それぞれの大学生活を描く

『ブラザー・サン シスター・ムーン』は三編の物語が収録されており、それぞれに主人公が異なる。各主人公は以下の通り。

  • 楡崎綾音(にれざきあやね)
  • 戸崎衛(とざきまもる)
  • 箱崎一(はこざきはじめ)

彼らは関東郊外の地方都市で、同じ高校に通っていた同級生だ。名前に「崎(ざき)」の文字が共通することから、ザキザキトリオとして高校時代は行動を共にすることが多かった。三人は、東京の有名私大(早稲田と思われる)に揃って進学する。この物語は、三人がいかなる大学生活を送ったのか、それぞれの視点で丹念に描いていく。

ちなみに時代設定は、昭和の後半。1980年代中期。これからバブル期に突入していこうかという華やかなりし時代。インターネットどころか、まだ携帯電話すらなく(存在はしたが学生に手が出るのものではなかった)、学生のコミュニケーション手段としては固定電話が君臨していた頃合いとなる。

まずは各編ごとにコメント。

第一部 あいつと私

楡崎綾音編。1980年代の女子大生ブームをよそに、ごくごく普通の「女子学生」として大学時代の四年間を過ごす。小説を愛し、物語を愛し、ただひたすら本を読み続けた四年間。誰でもない時代。引き延ばされた猶予期間。幕間の時間。ただ、何もしなかった学生時代を淡々と振り返る。

ただ彼女は大学時代四年間の核として「小説家になりたいのだ」と思っている自分を見つけ出すことになる。居酒屋での「いいえ、まだです」事件は、恩田陸自身が体験した実話だったそうで、楡崎綾音のキャラクターには作家自身が色濃く投影されている。

第二部 青い花

戸崎衛編。高校時代からベースの名手として知られていた彼は、大学ではジャズ研究会の門をたたく。数多くのプロを輩出している名門団体で、戸崎はやがて頭角を現し、最も優れた奏者しか選ばれない「レギュラー」になる。

プロ並みのテクニック。大学時代の充実度としてはもっともリア充だったのではないかと思われる戸崎だが、彼は音楽を愛しながらも、それで食っていけるとは思っていない。粛々と単位を取り、冷静に就職を考えている。醒めた目で自分を見ることができる現実的な人物なのだ。

なお、恩田陸は早稲田の名門音楽サークル「ハイ・ソサエティ・オーケストラ」で、アルトサックスを吹いていた実績があるだけに、音楽シーンの描写はとても熱量があるものになっていた。

第三部 陽のあたる場所

箱崎一編。このエピソードだけ、第三者による視点が入るのが他と異なっている。

学生時代は映画研究会に属しながらも作品は作らず。お気楽な鑑賞班に属していた箱崎。彼は普通に就活をして証券会社に入り、その後不動産系金融機関に転職。しかし中年期に入ってから、突如として映画作品を作り始め、遂に映画監督として名を馳せるようになっていく。

ちなみに、作中で語られている「サンドイッチ航路」とはこれだろうか?

 

戸崎のように、才能がありながらもあっさりと切り替えることができる人間もいれば。箱崎のように若いころは何もしていなかったのに、それでも創作の道にたどり着いてしまう人間もいる。楡崎も含め、それぞれの才能と、表現に対しての向き合い方の差が、なんとも印象的ではある。

同じ高校出身の人間とは大学ではつるまない説

ふつう、同じ高校から、同じ大学に進学したら、四六時中行動を共にするとまではいわなくても、たまに飲みに行ったり、学食で食事を共にするくらいのことはありそうだ。しかも、かれらは高校時代はザキザキトリオと呼ばれるほどの、意気投合した間柄だったのだから。

だが、大学時代、彼らが三人で会うことは一度もなかった。これは楡崎と戸崎が交際していたからという部分も大きいか。ただ、「第二部 青い花」の中で、作者は戸崎の目線からこんなことを書いている。

高校時代の友人というのは、気が置けないのと同時に、どこか気恥ずかしいものでもある。それぞれが背負っている郷里の風景を、互いの肩越しに見てしまうのだ。

『ブラザー・サン シスター・ムーン』文庫版p108より

わたしはこの一文を読んで、なんとなく腑に落ちてしまった。制服を着ていた時代の自分を知っている人間が身近にいるのは、確かにちょっと恥ずかしいかも。

大学時代はあっという間に終わってしまう

中高年に至って、振り返ってみると大学生活は長かったようで短い。渦中にいるときはそうは思えないのだが、いざ終わってみれば瞬く間に終わってしまったように思える。『ブラザー・サン シスター・ムーン』の中にはこんな一文がある。

大学生というのは、あまり停車駅のない長距離列車に乗っているようなものである。

『ブラザー・サン シスター・ムーン』文庫版p97より

何もしなくても、ただ身を委ねているだけで、大学生活には必ず終わりが来る。立ち止まって深く考えるようなことはできなくて、足早に歳月は過ぎていく。

大学時代は社会人になる前の最後のモラトリアム期間だ。このわずかな時間に、何事かをなせる人間は少ない。あれもしたかった、これもしたかったと、すべてが過ぎ去ったあとになって後悔はする。だが、実際にその時間の中にいたときに、本当に「何か」が出来ただろうか?そう考えてみると、結構難しいことなのかもしれない。

『ブラザー・サン シスター・ムーン』は、特別な出来事、決定的な何かを描いた作品ではない。むしろ「何もなかった」ことを描いた作品だ。多くの人間にとって、大学時代とはそんなものだろうし、だからこそ共感を持って、本作を読むことができるのだろう。

糾える縄のごとく

「糾える縄のごとく」は、文庫版にのみ収録されている、おまけエピソード。三人の回想シーンで言及されていた高校時代の「三匹の蛇」エピソードが綴られている。『ブラザー・サン シスター・ムーン』の予告編ヴァージョンなのだ。文庫のために書き下ろされたのかというと、実はそうではなく、こちらの方が先に世に出ている。河出書房新社の『文藝』2007年春季号が初出である。なので、どうして単行本版には載せなかったのかが謎。

このエピソードの末尾には「こののち長いつきあいになる」とあるので、ザキザキトリオの交流は、大学卒業後も続くのかもしれない。

タイトル元は1972年の伊英合作映画

ちなみに、三人が高校時代に観た映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』は、実在する作品である。1972年公開で、監督はフランコ・ゼフィレッリ。中世を生きた、キリスト教会の聖人、アッシジのフランチェスコを描いたもの。

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