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横山秀夫『クライマーズ・ハイ』、日航機墜落事故時の報道のありかた

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週刊文春のミステリーベスト10で第一位

2003年刊行。「このミス2004」国内第7位。週刊文春のミステリーベスト10では堂々の国内一位に輝いた作品である。また、第1回の本屋大賞第2位にランクインしている。作者の横山秀夫は1957年生まれ。上毛新聞で新聞記者として勤務した後、1998年の『陰の季節』にて松本清張賞を受賞し、小説家に転じている。

本作は、1985年に起きた日航機墜落事故をベースにした物語であり、作者の上毛新聞所属時代の経験が多分に活かされている作品である。

クライマーズ・ハイ

文春文庫版は2006年に登場している。

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

 

あらすじ

群馬県の地方紙、北関東新聞の記者悠木和雅は四十歳になった。彼には新人の部下を死なせてしまった過去があり、現在でも役職に就かず一遊軍記者としての地位に甘んじていた。昭和60年8月12日。日本航空123便が群馬県上野村の山岳部に墜落。局長の粕谷は全権デスクとして悠木を抜擢する。史上最悪の航空機災害は悠木の人生にも激震をもたらす。

「クライマーズ・ハイ」とは?

「クライマーズ・ハイ」とはロッククライミング中、登攀者の興奮度が極限まで高まってしまった状態で、肉体的にも精神的にも限界を超えてしまう現象を指す。この時、全ての恐怖感は無くなり、登ることしか考えられなくなる。登攀終了までこれが続けば良いが、その途中で「ハイ」が切れたとき地獄が訪れる。恐怖に筋肉はこわばり、腕は凍り付き、足はすくみ、もう一歩も動けなくなるのだという。

本作では日航機事件の全権デスクに抜擢された主人公が体験する、極限の一週間を描いている。華々しい大手新聞社とは異なり、地方新聞社に出来ることは限られている。「貰い事件」という言葉が印象的だった。地方に過ぎない群馬では大きな事件が滅多に起こらない。それでも山岳部が多いから、都会から死体を遺棄しにくるケースが多く、結果的に事件を貰うことになる。しかし、関係者の多くは都市部におり、現場の彼らは都会の連中の手足として動くことしか出来ない。記者人生に一度あるか無いかの、地元で起きた大事件に悠木はいつしか「クライマーズ・ハイ」の状態へと陥っていく。

中間管理職の苦悩と新聞記者の業

とはいえ、一記者からいきなり全権デスクに抜擢されても、関係部署との調整がうまく行くはずもなく、有能な部下の士気を削ぎ、無能な上司には足を引っ張られる始末。現場とデスク。社会部と政治部、販売部と広告部、それぞれのエゴがぶつかりあう修羅場が凄惨そのもの。500人以上が死んだ、単独の航空機事故としては世界最大の事件ですら「商売道具」にしなくてはならない新聞記者という職業の業がとてもリアルに描かれている。

少しでも多くの記事を載せようとすると、印刷が遅れ、販売店からの猛烈な苦情が来る。まかり間違って広告を飛ばしてしまえば、広告部が激怒する。社内にも右向き、左向きといろいろな思想の人間が居て、自衛隊関連の美談記事は決して一面に出来なかったり。とにかく、あちらを立てればこちらが立たずで、こんなに高度なバランス感覚を必要とされる職業は自分には絶対無理。この点、作者の実体験がベースになっているのだろう。なるほどのリアリティである。

地方紙の悲哀

群馬の土地柄故か、中曽根、福田両陣営への政治的配慮を常に考えなくてはならない点。機動力が足りず、共同通信から買ったソースを勝手に改変して自社記事として流してしまうところ。有能な人材が出てきても、三大紙に引き抜かれてしまう部分(でも末路は飼い殺しだったりして)。地方紙の悲哀がしみじみと漂う。

かつて群馬で起きた二大事件(大久保清と連合赤軍)を扱った栄光にすがりつく幹部たちの存在が、いかにもいそうなキャラクターで組織人としては大いに共感出来た。決死の覚悟で初日の墜落現場へたどり着いた若手記者の記事を握りつぶす等々力社会部長の器の小ささを、いつまでも嗤える自分でありたいと思うばかり。でも、個人的にはこういう人好きだ。最後に見せ場があるのもいい。

主人公の葛藤

悠木には自身にも制御しきれない激しい部分を裡に秘めており、かつての部下の死についてもそれが遠因となっている。世界的規模の大事故で死んだ500余名は注目を浴び、全国からの同情を集めるが、小さな事故で死んだかつての部下は誰からも注目を浴びることがなかった。

部下の遺族から人間の生死の価値の軽重を問われた悠木が最後に下す判断は、筋を通す男としては立派なのかもしれないが、全権デスクの重責を担って僅か一週間という状況で選べる態度ではないと思う。だってそれが彼らの商売なのだから。結局は人間性の貴賤の問題か。自分だったら、彼女の訴えは速攻で無視していただろう。この辺、部下の遺族に関しての掘り下げがもう少しあった方が、読み手の納得感が高まったのではないかと思えてやや残念。

ちなみに谷川岳はこんな山

ちなみに主人公と友人が登ろうとしていた谷川岳は標高1977mの中級山岳でありながら、遭難者805名余(エベレストですら200人余)という、世界最悪の遭難者を出している魔の山だったりする。自分は谷川岳は三回登ったことがあるけど、もちろん一般ルートである。

遭難が出るのは急峻な一倉沢を初めとする岩場の方。ロッククライミングのメッカとして知られている。しかし、主人公レベルの登山歴で、いくら凄腕のパートナーがつくとはいえ、衝立岩の登攀って出来るモノなのか?しかも登攀時は57歳なのに!元低山ハイカーの自分としては驚愕を禁じ得ないのであった。

ドラマ版と映画版

なお、本作はドラマ版と映画版と、二回にわたり映像化されている。

まずは、2006年にNHKで佐藤浩市主演でドラマ化 。脚本は大森寿美男。

クライマーズ・ハイ [DVD]

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続いて、2008年には堤真一主演で映画化された。こちらは第32回日本アカデミー賞を受賞している。監督は原田眞人。

クライマーズ・ハイ [DVD]

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