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『八本目の槍』今村翔吾 人生は選択の連続、もう同じ夢はみられない

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ブレイク目前、今村翔吾の話題作

今村翔吾(いまむらしょうご)は1984年生まれの、時代小説、歴史小説作家である。デビュー作は2017年の『火喰鳥』(羽州ぼろ鳶組シリーズ)。2019年の『童の神』、2020年の『じんかん』がそれぞれ直木賞候補作に。そして2021年の『塞王の楯』ではとうとう直木賞を受賞した。今、最もノっている作家のひとりと言えるだろう。

本日ご紹介する『八本目の槍』は2019年刊行作品。第41回の吉川英治文学新人賞を受賞している。ブレイク目前の今村翔吾作品ということになる。

新潮文庫版は2022年に登場。カバーデザインが一新されており、単行本版からはかなりイメージが変わった。

八本目の槍 (新潮文庫)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

戦国モノが好きな方、関が原は断然「西軍」派!だという方、「賤ケ岳の七本槍」と呼ばれた男たちがその後どうなったかを知りたい方、今村翔吾作品をまず一冊読んでみたい方におススメ!

あらすじ

秀吉配下の小姓上がりの七人、加藤清正・糟屋武則・脇坂安治・片桐且元・加藤嘉明・平野長泰・福島正則。かつて「賤ケ岳の七本槍」として名を馳せた男たち。豊臣の世から徳川の世へ。激動の時代を生きた彼らは、過酷な選択を強いられることになる。様々に別れたその後の人生。そして、彼らの脳裏を去来する「八本目の槍」とは誰なのか?

ここからネタバレ

「賤ケ岳の七本槍」を知っているか

まず最初に「賤ケ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)」についておさらい。

賤ケ岳の合戦は、1583年に起きた織田信長亡き後の後継者争い。羽柴秀吉と柴田勝家の間に起こった戦いである。結果は秀吉の勝利に終わり、政権の継承者を事実上決定付けた。

この時の、秀吉配下の小姓組で特に大きな戦功を挙げたのが「賤ケ岳の七本槍」である。顔ぶれは以下の通り。カッコ内は通称で、本作内でもこの名前で書かれることが多いので併記しておく。

  • 加藤清正(虎之介)
  • 糟屋武則(助右衛門)
  • 脇坂安治(甚内)
  • 片桐且元(助作)
  • 加藤嘉明(孫六)
  • 平野長泰(権平)
  • 福島正則(市松)

本作は、上記の「賤ケ岳の七本槍」その後を描いた連作短編集である。だが、タイトルに『八本目の槍』とあるように、全てのエピソードに共通して「八本目」として石田三成が登場する。全編を通して読むと実質的にはこの人物が影の主人公であったのだと、浮かび上がってくる構造となっている。

では、以下、各編ごとにコメントして行こう。

一本槍 虎之介は何を見る

虎之介(とらのすけ)こと、加藤清正(かとうきよまさ)の視点で描かれる。

虎之介の母は、秀吉の母である大政所と血縁に関係にあり、秀吉にとっては身内同然の譜代中の譜代ともいえる武将である。

軍事的才能や築城術で知られる虎之介だが、最新の研究によると、初期の栄達は、文官としての行政能力が評価されていたことによるらしい。つまり、石田三成と属性的には同じタイプの武将だったわけだ。

後に虎之介は秀吉から肥後半国を賜り、武将としての栄達を遂げていく。しかし任地が畿内から遠いということは、政権の中枢からは遠ざけれることを意味する。この人事には三成の意向が働いていたのではないかと、虎之介は疑問に思っている。

そして、朝鮮出兵で虎之介は自身の意外な軍事的才能に気付いていくのだが、その背景には三成の深謀遠慮があったのだとするお話。

三成は朝鮮出兵を機会に、米と金の相場を操作して、経済的に徳川を追い詰めるスケールの大きな作戦を立てる。しかしそれは、派兵された兵士に辛酸を嘗めさせることを意味しており、結果、清正と三成は決裂する。

この話に限らないが、三成の作戦としては正しいけど、人の心を慮れない不器用さが万時を誤らせていく展開が実に辛い。

二本槍 腰抜け助右衛門

助右衛門(すけえもん)こと、 糟屋武則(かすやたけのり)の視点で描かれる。

糟屋武則は、耳慣れない人物だが、播磨の国出身。もとは別所氏に属するが、秀吉の中国攻めに際してその旗下に加わる。槍の名手として頭角を現していくが、戦の最中、敵味方に別れた実兄を、自らの手で殺してしまったことが強烈な心理外傷となっていく。

そのためか、賤ケ岳以降は戦線の後方に配置されることが多く、手柄を立てることもなくなり、七本槍の中では出世で出遅れた人物と言える。

「弭槍(はずやり)は脆く、人は存外強い」

弭槍とは、弓の先に槍が取り付けられた武器で、こんなやつね。

関が原では三成との友誼に殉じて西軍に付いた助右衛門は、兄ゆかりの弭槍を存分に振るって大活躍を遂げ死んでいく。実兄を討ったトラウマから、槍を振るえなくなっていた達人が、最後の最後に大きな見せ場が与えられる。これは熱い展開である。

助右衛門は七本槍中、唯一戦場で死んだ人物として描かれる(史実ではどこで死んだかは不明らしいが)。

三本槍 惚れてこそ甚内

甚内(じんない)こと、脇坂安治(わきざかやすはる)の視点で描かれる。

脇坂安治は、もともとは浅井家に仕え、浅井家滅亡後は織田家中に入り、最終的には秀吉の配下となる。

脇坂安治と言えば、貂の毛皮の世渡り。二俣膏薬。関が原での裏切り者として知られる。もともとは、西軍に属し、小早川秀秋の裏切りに備えて近隣に配置されていたものの、秀秋の寝返りを知るやそれに同調して東軍に付いた。本編ではその裏切りの背景には何があったのかが描かれる。

無類の女好きとして、終生理想の女を求め続けた甚内にあって、若き日に出会った女、八重との交情がその人生を決めてしまう。長じた八重が大蔵の局となり、大野治長らを産み、淀の方近くに使えるようになる、この意外な展開に驚かされた。 

四本槍 助作は夢を見ぬ

助作(すけさく)こと片桐且元(かたぎりかつもと)の視点で描かれる。

片桐且元は、甚内同様に元は浅井家の出身。秀吉に拾われて頭角を現していくが、賤ケ岳以降は、刀槍での働きよりは、どんなお役目でも卒なくこなすジェネラリストとしての能力が評価されていたようである。

「助作は夢を見ぬ」のタイトルにもあるように、助作は大望を抱かない。食べていければそれで良いではないかと割り切っていた男に、歴史は残酷な役目を与える。

助作はその実直さが秀吉に評価され、秀頼の傅役となり、豊臣家の家老にまで出世するのである。大坂の役では、豊臣と徳川の間を奔走し、心身ともににボロボロになっていく姿は大河ドラマでは定番の展開でもある。

豊家を存続させたい。夢を見なかった男が、唯一抱いた夢は無残な結末を迎える。

五本槍 蟻の中の孫六

孫六(まごろく)こと、加藤嘉明(かとうよしあきら/よしあき)の視点で描かれる。

孫六は最終的には会津43万石を領するほどの大大名となるのだが、意外にドラマや小説で描かれることが少ないと思うのはわたしだけだろうか。清正と姓が被って紛らわしいからか?

父親は家康の家臣であったもののの、三河一向一揆の際に離反、以後流浪の生活の果てに、孫六は秀吉の小姓となる。作者はここに、孫六は家康側から意図的に送り込まれたスパイであったとする設定を盛りこんでいる。

自分は蟻の中に紛れ込んだ別の虫である。終生疎外感と罪悪感に囚われながら、家のために裏切り行為を続ける孫六。小姓時代の仲間たちとの友情。年を経て立場がかわっていくことで、彼らとの関係性も変化せざるを得ない。孫六、若き日の願い「このような日々が続きますように」がなんとも切ない。

六本槍 権平は笑っているか

権平(ごんべい)こと平野長泰(ひらのながやす)の視点で描かれる。

尾張の出身で秀吉に仕え頭角を現す。七本槍中、唯一大名になれなかった人物。脚本家の三谷幸喜は彼がお気に入りだったようで、大河ドラマの『真田丸』ではかなり出番が多かった。覚えておられる方も多いのでは?

権平は、尾張の地元の村では期待の星。しかし、いざ秀吉配下に加わってみれば、その小姓たちは綺羅星のごとく。凡庸な自分が敵うものではないと、賤ケ岳を境に努力を止めてしまった男として描かれる。瞬く間に出世していくかつての仲間と、気力を失い置いていかれる自分。いつしかのその顔には、卑屈な「愛想笑い」が張り付いてしまう。一般的な社会人としては、一番共感できる人物が彼であるかもしれない。

そんな権平が、三成の軍事的な才を知り、家康に直談判するラストシーンは爽快感のある幕の引き方。

七本槍 槍を捜す市松

市松(いちまつ)こと福島正則(ふくしままさのり)の視点で描かれる。

市松の母と、秀吉の母は姉妹関係にあったため、加藤清正同様に、最初期からの秀吉譜代の家臣として登場する。

物語は関ケ原の合戦の終了直後から始まる。捕縛された三成が、最後に残した奇妙なひとこと。そこから市松は、三成が仕掛けた家康の政権簒奪を止める「呪詛」の存在に気づき、その謎に迫っていく。

長らく忘れていた、若き日の友誼を思い出し、三成の真の狙いに気付いた市松。秀頼や、淀の方に対して、市松「この城を守ってきたのは八本目の槍でござる」と言い放つ。これ、ホントに痺れる名シーン。脳筋武将と思われがちな、武断派の市松にこれを言わせるのが凄い。

八本目の槍 石田三成

全編を通して読むと浮かび上がってくるのが石田三成の凄味である。家康の政権奪取の意思を見抜き、経済戦を仕掛け、関が原では東軍に匹敵するだけの陣容を集めるに至った。関ケ原での勝算は3割程度として、負けた後、自分が死んだ後のことまで周到な布石を打っている。

「武士は数が多すぎるから、平和になったら減らしたい」はいいとして、「政治は最終的には民に委ねるべし」とまで考えたのは、さすがに未来人的な思考に過ぎるのでは?西洋社会でもこの時点で民主主義の観念は発達していないはず。この世界の三成は実は、現代人の転生した姿だったのか?とまで思ってしまいそうになった。

もう同じ夢はみられない

本作でとりわけ印象的だったのは、八本槍たちの若き日の交流である。さまざまな出自を持つ八人の男が、立身出世を目指して、飛ぶ鳥を落とす勢いの秀吉に仕える。

しかし、人生は選択の連続である。正しい選択をしなければ家族と家臣を養えない。背負うものが増えてくると、ただ友情だけでは生きられないのである。それぞれに別れていく八人の運命。生き残るためには仕方ないのだと諦観しつつも、かつての友への想いも断ち切れない。

本作は、若かりし日の美しい友情と、現実を生きなければならない大人の冷徹な選択。この両者が絶妙な塩梅でブレンドされた良作なのである。

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