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『方舟』夕木春央 死んでもいいのは?救われるのは誰なのか?


夕木春央の第三作品

2022年刊行作品。作者の夕木春央(ゆうきはるお)は、2019年の第60回メフィスト賞受賞作『絞首商會(こうしゅしょうかい)』がデビュー作。2021年には第二作である『サーカスから来た執達吏(しったつり)』を上梓している。

方舟

『絞首商會』はKindle unlimited対象(2022年9月現在)対象作品なので、Kindle unlimitedに入っている方は要チェック!

絞首商會

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『絞首商會』『サーカスから来た執達吏』はいずれも大正時代を舞台とした本格ミステリ作品であったが、第三作である『方舟』は現代を舞台とした本格ミステリ作品となっている。

いま夕木春央の『方舟』が熱い!

Twitterで読書アカウント(読書垢)をやっている方ならご存じかと思うが、いま、夕木春央の『方舟』についてのツィートが爆発的に増えている。こちらはYahoo!リアルタイム検索による8/27~9/24にかけてのデータ。

夕木春央『方舟』のツィート数グラフ

夕木春央『方舟』のツィート数グラフ

『方舟』に関するツィート数は、発売日である9/8以降にじわじわと伸び、ここ一週間で驚異的に伸びていることがわかる。

本の好みは多種多様なので、Twitterの読書アカウントでの読了ツィートは、普段であればこんなに一冊の作品に偏ることはない。夕木春央の『方舟』に、いまどれだけ注目が集まっているのか。Twitter上での熱狂の一端が伺える。

2021年における『同志少女よ、敵を撃て』の登場時に似た初動と書けば、その凄さがわかりやすいかな。

 

WEB本の雑誌の【今週はこれを読め! エンタメ編】でも記事掲載(2022年9月28日)。ようやくメディアの方も『方舟』の凄さに気付いてきたようだ。

豪華絢爛な帯の「薦」に驚け!

夕木春央の『方舟』を手に取って、まず驚かされるのが帯に掲載された、著名ミステリ作家による「薦」の数々である。その数なんと14人。この豪華なラインナップを見ていただきたい。

方舟の「帯」

方舟の「帯」

よくぞこれだけの推薦文を集めたなという印象だ。それだけ版元としても確かな手ごたえをもって、本作を売りに来ているのだろう。

そろそろ専用ページくらい作ってもいいんじゃないかな?

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★★(最大★5つ)

2022年の本格ミステリ作品の「本命」を読んでおきたい方。話題の作品はチェックしておきたいと思っている方。これから「来る」ことが確実な作品を、いちはやく押さえておきたい方。本格ミステリの可能性を広げてみたい方におススメ!

あらすじ

越野柊一は、大学時代の友人らと、山中にある謎の地下建築を訪れた。しかし、突如として起きた地震によって出口がふさがれ閉じ込められてしまう。さらには地下水が流入しはじめ、彼らの生存を脅かす。そして追い打ちをかけるようにして起きた殺人事件。誰か一人を犠牲にすることで全員が助かる。犯人を見つけて生贄になってもらえばいい。タイムリミットは一週間。戦慄の日々がはじまろうとしていた。

登場人物一覧

まずは『方舟』に登場するキャラクターをまとめておこう。

大学のサークル仲間

  • 越野柊一(こしのしゅういち):主人公。システムエンジニア。
  • 西村裕哉(にしむらゆうや):アパレル系勤務。地下建築の発見者。
  • 絲山隆平(いとやまりゅうへい):ジムのインストラクター。
  • 絲山麻衣(いとやままい):幼稚園の先生。絲山隆平の妻。
  • 高津花(たかつはな):OL。
  • 野内さやか(のうちさやか):ヨガ教室の受付。

矢崎家

  • 矢崎幸太郎(やざきこうたろう):電気工事士。
  • 矢崎弘子(やざきひろこ):矢崎幸太郎の妻。
  • 矢崎隼斗(やざきはやと):高校一年生。矢崎夫妻の息子。

探偵役

  • 篠田翔太郎(しのだしょうたろう):越野柊一の従兄。

越野柊一をはじめとした、西村裕哉、絲山隆平、絲山麻衣、高津花、野内さやから6名は大学時代の登山サークルの仲間たち。裕哉が発見した地下建築を訪れ、彼らは今回のトラブルに巻き込まれる。矢崎家の三人は、後からこの地に迷い込んできた人々。そして篠田翔太郎は柊一の従兄という立場で、本作の中では探偵役を務めることになる。

ここからネタバレ

 

 

タイムリミット×トロッコ問題

本作では謎の地下建築を訪れた主人公らが、地震によって閉じ込められてしまう。更に悪いことに、地震による地下水位の上昇で、いずれは地下建築内、全エリアの水没が確実視されている。水没に至るまでの時間はおよそ一週間だ。

地下建築を作ったのは過激派組織化か、はたまたカルトな宗教団体か?官憲からの摘発を逃れるためなのか?地下建築の入り口には、いつでも外界からの侵入を拒めるように、侵入口をふさぐための巨石が据えられている。仮に巨石によって入り口がふさがれた場合、内部にある巻き上げ機で岩は除去することが出来る。ただ、この場合巻き上げ機を使った人物は内部に取り残されることになってしまう。

地下建築には非常口があり、本来であれば巻き上げ機の使用者も、そちらから出れば生存が可能だ。しかし、地下水位の上昇で非常口への道は水没してしまっている。

このような、きわめて限定された特殊環境下で殺人事件が起きる。殺人事件の進行とは別の事情で、登場人物たち全員が生存の危機に陥っていく。そんな「タイムリミット」もの的な展開は、今村昌弘の『屍人荘の殺人』阿津川辰海の『紅蓮館の殺人』あたりで記憶に新しい手法で、昨今、流行の設定と言える。

『方舟』で注目すべきは「タイムリミット」ものの要素に加えて、「トロッコ問題」の要素を掛け合わせてきた点にある。トロッコ問題とは、Wikipedia先生から引用させていただくとこんな意味。

トロッコ問題(トロッコもんだい、英: trolley problem)あるいはトロリー問題とは、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という形で功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題・課題。

トロッコ問題 - Wikipediaより

誰か一人が犠牲となって巻き上げ機を操作してくれれば、残り全員が助かる。だが、それを誰に頼めるのか?いま、地下建築内には殺人犯がいる。確実に死ぬことが約束されているその役目は、殺人犯が担うべきではないのか?一刻も早く犯人を捜して生贄になってもらわなければならない。

かくして、疑心暗鬼に駆られた絶望的な推理ゲームが開始される。この設定が抜群に魅力的だ。

クローズドサークルでなぜ殺人事件がおきるのか

クローズドサークル、外界からの接触が絶たれた閉鎖環境下でどうして殺人が事件が起きるのだろうか。容疑者が限定され、逃亡のチャンスも限られるクローズドサークル下で、わざわざ殺人を犯さなくても、もっと他の機会に実行すればよいのではないか?

これは本格ミステリではよく指摘される問題で、古今のミステリ作品ではさまざまな解法で、このツッコミに答えてきた。『方舟』においては、クローズドサークルだからこそ、死が目の前に迫った状況だからこそ、殺人が実行されなければならなかったという、絶妙な解法が提示され、読み手の度肝を抜く。

地下水位の上昇による生命の危機。ひとりが犠牲になることで、残り全員が助かる。この特殊条件が発動したがゆえに、殺人に必要性が生まれる。犯人が企図した、暗澹たる生存戦略は戦慄を禁じえない。

死んでもいいのは?救われるのは誰なのか?

犯人が判明したとしても、巻き上げ機を操作してもらうためには話し合いが必要だ。死亡が確実視される巻き上げ機の操作を、いかにして犯人である人物に引き受けてもらうのか。そこで展開されるのは醜悪ともいえる説得交渉だ。ある者は哀れみを乞い、情にすがり。ある者は頭を下げ。また、ある者は懇願する。その根底には、他者を犠牲にした、むき出しの生への渇望がある。

多数を救うためには少数の犠牲はやむを得ない。これはトロッコ問題における判断のひとつだ。

ここで作中のこのセリフに着目してみたい。

世の中、みんなに人権があるっていったって、その中から誰か犠牲者を選ぶってなったら、一番愛されていない人が選ばれるでしょ?

(中略)

愛されてない人が死ななきゃいけないのって、それと同じくらい残酷なんじゃないかな。

『方舟』p197より

ここでいう「愛されてない人」は「犯人」と読み替えることも出来るだろう。多数のための少数の犠牲が、この時点で明確に否定されている点は留意しておくべきだ。

この物語の冒頭では、旧約聖書「創世記」から、「方舟」についての引用がなされている。未曾有の大洪水を前にして、神はノアの家族だけを救う「方舟」の存在を示す。大多数が死に絶え、ごく一部のものだけが生き残る構図は最初から示されていたというわけだ。

地下建築「方舟」もまた、「方舟」としての機能を果たす。だが、旧約聖書の「方舟」は、ノアだけではなく「ノアの家族」を救っていた。ノア以外にも救われる存在があっても良かったのだ。

唯一、生存の可能性があった人物が、自らその道を閉ざしてしまう。シニカルな結末は、この物語の救われなさ加減を引き立てている。

方舟

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