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『わたしたちが光の速さで進めないなら』キム・チョヨプ エモーショナルなエスエフ短編集

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韓国の新鋭キム・チョヨプのデビュー作

2020年刊行作品。オリジナルの韓国版は2019年刊行で原題は『우리가 빛의 속도로 갈 수 없다면』。作者のキム・チョヨプ(김초엽/金草葉)は1993年生まれの韓国人エスエフ作家。

本作に収録されている「館内紛失」が第2回韓国科学文学賞中短編部門で大賞を受賞。同じく「わたしたちが光の速さで進めないなら」が佳作を受賞し作家として世に出ることになった。

わたしたちが光の速さで進めないなら

巻末には韓国の文芸評論家イン・ヨアンによる「美しい存在たちの居場所を探して」と題された解説が収録されている。このテキストは本書の特質を、よく捉えた良解説なのだが、思いっきりネタバレされているので、本文を読んでいない場合は要注意である。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

韓国の小説作品、特にエスエフジャンルについて触れてみたい方。女性ならではの視点で描かれた物語を読みたい方。マイノリティの視点から描かれた小説作品を読みたい方。感情を強く揺さぶられる物語を探している方におススメ。

あらすじ

廃棄された宇宙ステーションで、家族の元へ向かう宇宙船を待ち続ける老女の物語(わたしたちが光の速さで進めないなら)。人間のパーソナリティが死後も図書館に保存されるようになった時代、しかし母親の記憶は紛失してしまった。果たしてその理由は?(館内紛失)。長期にわたる宇宙漂流から生還した祖母。彼女が語る異星人とのファーストコンタクト(スペクトラム)。計七編を収録したエモーショナルなエスエフ短編集。

以下、各編ごとにコメント。

ココからネタバレ

巡礼者たちはなぜ帰らない

その村では成年に達した若者たちを「始まりの地」へと送る、巡礼行事が行われていた。しかし毎年、帰ってこない者たちが現れる。彼らはどうして戻らないのか。儀式の成り立ちに疑問を抱いたデイジーが知る、世界の真実とは。

バイオハッカーとして名を馳せたリリー・ダウドナは、遺伝子改造された人間が当たり前のように存在するよう社会をつくりあげた。リリーには先天的な疾患で顔面にまだらの痣があり、酷い差別を受けて生きて来た。差別の無い世界を作ろうと「村」を作ったリリー。娘のオリーブは真実を知るために「村」を出る。

差別の無い理想的な世界に思える「村」。しかしそこには愛も恋も存在しなかった。歪で不完全な世界であったとしても「始まりの地」で生きることを選ぶリリーとオリーブの子孫たち。「始まりの地」で生きながらも、外見による差別をしないデルフィーの存在が、種としての人類のわずかな希望のように思えた。

スペクトラム

宇宙調査船の研究員であった祖母は、遭難し四十年もの歳月を経たのちに帰還を果たした。遭難中に異星人とのファーストコンタクトを果たしたと主張する彼女だが、既に認知能力の衰えていた彼女の言葉を誰も信じようとしない。

見知らぬ星で知的生命体に遭遇した女性、ヒジンを主人公とした物語。言葉も通じない。身を護る武器もない。過酷な生活の中で、唯一、庇護者となってくれた異星人「ルイ」との奇妙な共生生活が描かれていく。

「ルイ」たちの種族の寿命は短く、数年で死んでしまう。しかし新たな個体が登場すると、彼は過去の記憶を受け継いで新たな「ルイ」となる。「ルイ」が描き続ける絵の意味。文字の代替として、記憶の継承を行う色彩言語の存在をヒジンは知る。

言語を介さない、知的生命体とのファーストコンタクト。文化的なバックボーンを共有しなくても、美しいものは理解できる。異星人同士でも理解しあえるのだと示す。最後に示される「それは素晴らしく美しい生物だ」の言葉が、静かな感動を読者の心に残す。

共生仮説

リュドミラ・マルコフは幼いころから、「行ったことのない場所」の記憶を持っていた。絵画を描くようになったリュドミラは「惑星」の絵を描き続ける。その絵は人々に圧倒的なノスタルジーを喚起させる。果たしてその理由とは。

リュドミラの死後になって、彼女の描いていた「惑星」が実在の場所であることが判明する。彼女の「惑星」の記憶はどこからもたらされたのか。

幼児期の記憶が消えてしまうのは何故なのか。大人になるとどうして幼少時の記憶は失われてしまうのか。幼少期にだけ人類と共生している「何か」が存在するのではないか。その「何か」こそが実は、人類を人類たらしめている本質に関与していた。

もはや、今となっては宇宙のどこにも存在しない場所を描き続けた女性の物語。

余談ながら、少し前の作品になるが、似たようなモチーフがアニメ『ファンタジックチルドレン』でも使われているので気になる方はチェック(とても良い作品)。

ファンタジックチルドレン 1 [DVD]

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  • 発売日: 2005/03/25
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わたしたちが光の速さで進めないなら

古びた宇宙ステーションに老婆アンナがいた。彼女は、遠い遠い、スレンフォニア惑星系への便を待っている。もうその航路は廃止になってしまったのに、どうして彼女は待ち続けるのか。そして最後に彼女が示した選択とは。

この世界では一時期ワープ航法が隆盛し、太陽系外への宇宙進出が進んだ。しかし、その後高次元ワームホールが発見され、ワープ航法は廃れていく。高次元ワームホールは効率よく超長距離を移動できるが、ワームホールのある場所にしか移動できず、ワープ航法時代に開発された辺縁の惑星への交通は隔絶されていく。

ワープ航法でしかたどりつけないスレンフォニア惑星に、家族を残してしまったアンナは、冷凍睡眠を繰り返し170年もの歳月を待ち続ける。

打ち捨てられた古い古い宇宙ステーション。壊れた案内ロボット。二度と来ることのないスレンフォニア惑星系行きの宇宙船。本作に収録されている作品の中でもとりわけエモーショナルな作品で、読後の切なさが特に印象に残る。表紙のビジュアルも本作をベースにしているよね。タイトルもいい。

感情の物性

エモーショナル・ソリッド社の新製品「感情の物性」は、感情そのものを造形化したものだった。「ユウウツ」体、「キョウフ」体、「オチツキ」ソープ、「トキメキ」チョコレートと名付けられたそれらの商品は、人間の感情を揺り動かしていく。

感情そのものを所有できないだろうか。自分自身でも持て余してしまうネガティブな感情を、物性として認識できないか。自分の憂鬱を掌に載せて眺めたい欲求をかなえてくれるのが「感情の物性」である。

収録されている作品の中でとりわけ短い。25ページしかない作品だが、後からピリリと効いてくるスパイスのようなお話。

人間には、時として逃げることのできない問題がある。他者には理解できない、苦しみや悲しみがある。そんなやり場のない感情を、物性化して掌に載せること出来るのは、時として救いになるのかもしれない。

館内紛失

死者のパーソナリティを「マインド」として図書館にデジタル保存できるようになった未来。ソン・ジミンは、亡くなった母親の「マインド」に接触しようと試みるが、「館内紛失」状態となりアクセスできない。果たしてその理由は?

主人公のソン・ジミンは妊娠八週目。未だ、胎内の子を愛しく思えない自分に不安を抱いている。母であるキム・ウナは、ジミンを出産後、産後鬱に陥り、その後も彼女と正常な親娘関係を築けなかった。

母の「マインド」に触れることで、ジミンは初めてその孤独の深さに気づく。同じ母の立場になってみて、ようやくそれに気づくことが出来た。

女性は妊娠したことでキャリアが断絶してしまうことが多い。愛すべきはずのわが子によって、人生を分断されてしまう女性の苦悩。世界と繋がっているという自覚が、人としてのありように大きな影響を持つことを改めて教えてくれる一作。

わたしのスペースヒーローについて

宇宙飛行士候補生となったガユンは、尊敬していた女性、チェ・ジェギョンの不名誉な事実を知る。同じく宇宙飛行士候補であったジェギョンは、宇宙に飛び立つ直前に謎の投身自殺を遂げていた。事件の真相はどこにあるのか。

火星付近に発見された「トンネル」は、遠い宇宙への転送装置だった。しかし「トンネル」は生身の身体では通り抜けることが出来ない。厳しい選抜と、全身のサイボーグ化を受けて、「トンネル」に挑もうとするガユン。

ジェギョンは宇宙飛行士選抜時で48歳の女性。東洋系で、しかもシングルマザーであったことから、世間からの激しいパッシングを受ける。何をしても叩かれる不条理な世界に合って、ジェギョンはあくまでも自分の意志を貫く。

相互理解の物語

以上、『わたしたちが光の速さで進めないなら』に収録されている、七つの作品について簡単にコメントしてみた。

バラエティに富んだ作品集だが、根底の部分にあるのは「人と人(時には種と種)」との相互理解であろう。「巡礼者たちはなぜ帰らない」では、健常者と障害者、「スペクトラム」「共生仮説」は地球人類と異星文明、「わたしたちが光の速さで進めないなら」「感情の物性」では人間相互、「館内紛失」では母と子、そして「わたしのスペースヒーローについて」ではジェギョンと残された人々。

違いを超えて人間は理解しあえるのか?自分以外のものは他者である。他者が何を考えているのかはわからない。しかしコミュニケーションを深めることで、相互の理解を進めることは出来る。

もちろんそれは、簡単なことではない。「わたしたちが光の速さで進めないなら」のラストで、主人公のアンナは、絶望的とも思えるスレンフォニア惑星系への旅に出る。人類が光の速さで進めない以上、彼女がスレンフォニアにたどりつくのには膨大な時間がかかる。それでも遠い遥かな未来に、彼女はスレンフォニアに到着するかもしれない。

相互理解への努力を続けてさえいれば、いつか人々は判りあえるのではないか。そんな切なる願いが表題作には込められているのではないか。『わたしたちが光の速さで進めないなら』が本作全体のタイトルとなっているのには、そんな願いが込められているのではないかと、感じられてならないのである。

わたしたちが光の速さで進めないなら

わたしたちが光の速さで進めないなら

 

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