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『王とサーカス』米澤穂信を『さよなら妖精』へのアンサーとして読む

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ミステリランキング三冠に輝いた話題作

2015年刊行作品。この年の「週刊文春ミステリーベスト10」「ミステリが読みたい!」「このミステリーがすごい!」すべての国内部門で第一位を獲得する三冠を達成。米澤穂信(よねざわほのぶ)の代表作のひとつとなっている。

王とサーカス

王とサーカス

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創元推理文庫版は2018年に刊行されている。

王とサーカス 太刀洗万智シリーズ (創元推理文庫)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

ミステリーランキングでトップに輝いた人気作品を読んでみたい方。ネパール王国の首都、カトマンズで繰り広げられる異国情緒に満ちたミステリ作品を読みたい方。米澤穂信の『さよなら妖精』を読んでいて、大刀洗万智のその後が気になっている方におススメ!

あらすじ

新聞社を退職しフリーライターとなった大刀洗万智は、旅行ガイド記事取材のため、単身ネパールへの首都カトマンズと向かった。折しも現地では、皇太子による王族殺害事件が発生。ただちに事件の取材を始めた大刀洗だったが、新たな殺人事件の発生に巻き込まれる。男は何故死んだのか。そして男の死をジャーナリストとしての大刀洗は、いかにして受け止めるべきなのか。

太刀洗万智が再登場

『王とサーカス』では、『さよなら妖精』に登場した太刀洗万智(たちあらいまち)の10年後の姿が描かれる。かつて高校生であった大刀洗は、大学卒業後に新聞記者となっていた。本作の時点では、新聞社を退職し、フリーの記者として活動中である。

太刀洗万智を主人公とした作品は、その後「ベルーフシリーズ」と呼ばれ、続篇に短編集の『真実の10メートル手前』がある(『さよなら妖精』もベルーフシリーズに含める場合もある)。

『王とサーカス』は単独で読んでも十分楽しめる作品だが、太刀洗万智のキャラクター形成を考える意味で、彼女の高校生時代を描いた『さよなら妖精』を先に読むことを強くお勧めしたい。

なお、今回のレビューでは、『さよなら妖精』の重要なネタバレを含むので、未読の方は回避して頂ければと思う(スミマセン!)。

ココからネタバレ

マリヤ・ヨヴァノヴィチとは誰なのか

巻頭の献辞に「マリヤ・ヨヴァノヴィチの思い出に」とある。マリヤ・ヨヴァノヴィチは『さよなら妖精』のヒロインである。『さよなら妖精』は旧ユーゴスラヴィア出身のマリヤ・ヨヴァノヴィチが日本を訪れていた際の物語である。

『王とサーカス』の献辞に、マリヤの名が挙げられているのは重要な意味がある。

当時のユーゴスラヴィアは深刻な内戦状態にあり、マリヤは自国の将来に強い憂慮を抱き、将来は政治家になって混乱した国家を立て直したいとする希望を持っていた。マリヤは平凡な日常を生きている日本の高校生にとっては隔絶した存在である。

『さよなら妖精』の主人公、守屋路行はそんなマリヤに憧れ、ユーゴスラヴィアの地を訪れることを夢見る。しかし、守屋の身を案じたマリヤはそれを許そうとはしない。そんな二人を見守っていたのが、高校生時代の太刀洗万智なのである。

マリヤにとって、ユーゴスラヴィアの内戦は身近な自分事だ。しかし日本人である守屋は、直接の利害関係を持たない、あくまでも部外者でしかない。傍観者ではなく、当事者になりたい。そう願う守屋に対して、物語の終盤、太刀洗は厳しい現実を突きつける。

当事者でない人間が、他国の事情に関与しようとする。真実を追い求める。それは一種の傲慢さを伴う行為ではないのか?『さよなら妖精』にはそんなテーマが込められていたように思えるのである。

ネパール王族殺害事件

さて、『王とサーカス』に話を戻そう。

本作では、2001年にネパールの首都カトマンズでに発生したネパール王族殺害事件が描かれる。現実に起こった事件を背景としている点で、『さよなら妖精』にも通じるところがある内容となっている。

ネパール王族殺害事件の概要についてはWikipedia先生のリンクを貼っておこう。

たまたま現地を訪れていた太刀洗は、ジャーナリストとして取材を開始する。初めて訪れた異国の地で取材を重ねる太刀洗。そこで彼女は自分がこの国にとってあくまでも部外者であることを痛切に思い知らされるのだ。

以下、ものすごく雑だがカトマンズのマップを貼っておく。ピンがあるのは、トーキョーロッジのあったジョッチェン地区、屈指の繁華街であるタメル地区、ネパール最大のヒンドゥー寺院パシュパティナート、そしてナラヤンヒティ王宮である。

ストリートビューで見てみると、だいぶ雰囲気が出てくる。作品を読みながら一緒に見て歩くと臨場感が高まるのでおススメである。

部外者が真実を求める傲慢さ

ネパール軍人のラジェスワルとの会話は本作の中でも重要な意味を持っている。ラジェスワルは太刀洗に問うのである。

お前が私の話を聞いてそれを書くというのなら、日本人がネパール王室に、この国そのものに持つイメージを一人で決定づける立場にいることになる。なんの資格もなく、なんの選抜も受けず、ただカメラを持ってここにいたというだけで。タチアライ、お前は何者だ?

『王とサーカス』単行本版 p172より

この言葉に対して、大刀洗はこう返す。

……わたしはここにいるからです。黙って傍観することは許されません。伝える仕事をしているのだから、伝えなければならない。

『王とサーカス』単行本版 p173より

しかし、ラジェスワルは冷厳にこの言葉を返す。

自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ。意表を衝くようなものであれば、なお申し分ない。

(略)

タチアライ。お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ。我々の王の死はとっておきのメインイベントというわけだ。

『王とサーカス』単行本版 p175~176より

報道とは結局のところ、興味本位ではないのか。ましてや他国の事件を、外国人が 取材し、世界に報道する行為は卑しい覗き見趣味と変わらないのではないのか。

ラジェスワルは、報道という行為に付きまとう根源的な問題「部外者が真実を求める傲慢さ」を太刀洗に突きつけるのである。

INFORMERとは誰の事か

この物語でラジェスワルと並んで重要な役割を果たすのが、ネパール人の少年サガルである。登場時は哀れな物売りの少年に見えたサガルだったが、それはあくまでも見せかけの姿。サガルは、実兄の死を通じて、外国人による報道に強い不信感と憎しみを抱いてている。

太刀洗は「INFORMER」と刻まれたラジェスワルの死体写真を撮影する。ラジェスワルが王族の死に関与しているのであれば、これは重要なスクープ写真になる。

しかしこれは、サガルの仕掛けた罠だった。ラジェスワルは王宮の事件とは無関係に、大麻密輸の仲間割れで殺されたに過ぎない。王族の死に全く関係のない写真を、事件と関与しているかのように報道してしまえば太刀洗の記者生命は大きな危機に晒される。

「INFORMER」には、密告者、言いふらす奴。チクリ屋といった意味が含まれている。「INFORMER」はラジェスワルではなく、外国人報道者、太刀洗自身に向けられた言葉だったわけだ。

報道者として生きていくこと

ラジェスワルの問いに満足な答えを返すことが出来なかった太刀洗は、事件の真相を知ることでこんな境地に到達する。

「ここがどういう場所なのか。わたしがいるのはどういう場所なのか。明らかにしたい」

BBCが伝え、CNNが伝え、NHKが伝えてなお、わたしが書く意味はそこにある。

幾人も、幾百人もがそれぞれの視点で書き伝えることで、この世界はどういう場所なのかがわかっていく。完成に近づくのは、自分はどういう世界で生きているのかという認識だ。

『王とサーカス』単行本版 p403より

これは、 サガルの問いに対する答えだけではなく、ラジェスワルの疑念、そして高校時代に出会ったマリヤ・ヨヴァノヴィチの問いに対する、太刀洗万智の答えなのだろう。

報道者ひとりひとりの力は無力であるかもしれないし、時として間違えることもある。それでも知は尊く、それを広く知らせることにも気高さは宿る。多角的な視点から物事を捉えなおすことで、世界は少しだけ明らかになっていくのだ。

高校時代のマリヤの事件と並んで、カトマンズでのこの事件は、太刀洗の人生に大きな影響を及ぼしたであろう。サガルが太刀洗に託したククリ(短刀)は、戒めとしての意味もあったのかもしれない。

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