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『いまさら翼といわれても』米澤穂信 古典部シリーズの六作目

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六年ぶりの古典部シリーズ

2016年刊行作品。KADOKAWAの文芸誌、『野性時代』『文芸カドカワ』に掲載されていた短編作品をまとめたもの。『氷菓』『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番』『遠まわりする雛』『ふたりの距離の概算』に続く、古典部シリーズの六作目である。第一作の『氷菓』が2001年の作品なので、このシリーズも20周年を超えたことになる!

登場人物は、未だに高校生のままなのに、読者は中高年化していく。かつては、奉太郎やえるたちと同じ目線で共感できていたのが、最近では保護者目線に変わってきているあたり、感慨深いというか、歳月の残酷さを感じないでもない。

角川文庫版は2019年に刊行されている。

いまさら翼といわれても 「古典部」シリーズ (角川文庫)

音声読み上げ方式のオーディオブック、オーディブル版は2019年に登場。ナレーションは、土師亜文(はしあふみ)が担当している。

『いまさら翼といわれても』を30日間「無料体験」で聞くならこちら。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

学園を舞台としたミステリ作品がお好きな方。ビターな青春小説を読みたい!と思っている方。『クドリャフカの順番』での摩耶花のその後が気になっていた方。『遠まわりする雛』から先の千反田が気になる方。米澤穂信の古典部シリーズファンの方(あたりまえか)におススメ!

あらすじ

生徒会選挙での不正投票。投票用紙は何故増えていたのか(箱の中の欠落)。中学時代の卒業制作に隠された秘密の謎(鏡には映らない)。「ヘリが好きなんだ」と語った教師の真意は?(連峰は晴れているか)。深刻化する漫研内の対立。盗まれた摩耶花のノートの行方は?(わたしたちの伝説の一冊)。奉太郎、省エネ人間化のルーツをたどる(長い休日)。市の合唱祭でソロを歌うはずの千反田が消えた?その真意は何処に?(いまさら翼といわれても)。六編を収録した短編集。

ここからネタバレ

以下、各編ごとにコメント。

箱の中の欠落

初出は「文芸カドカワ」2016年9月号。

六月の生ぬるい風が吹く夜。男子高校生の二人連れが川沿いを歩く。夜中に屋台で食べるラーメンが美味いのは何故だろうか。

「箱の中を見すぎた」という言葉からわかる通り、対象に迫りすぎてしまう里志と、少し引いて全体を俯瞰出来る奉太郎。奉太郎と里志の特性がよくわかる作品。「なにか、欠けていたな」と零す里志。

タイトルの「箱の中の欠落」はダブルミーイングになっている。単に事件の内容を示しているだけでなく、里志にとって欠けているものを暗示している。

ちょっとした何気ない体験なのだけど、何故か忘れがたくいつまでも忘れることができない出来事がある。ふとしたことがきっかけで人間の将来は大きく変わってしまうことがある。里志の「これから」を決めてしまったかもしれない一夜の物語。

鏡には映らない

初出は「小説野生時代」2012年8月号。

摩耶花はどうして奉太郎に対して攻撃的に当たっていたのか。『氷菓』時代以来の、摩耶花さすがにツンケンし過ぎじゃね?という長年の謎が解明されたエピソードである。

鷹栖亜美の行為は底知れぬ邪悪さを感じるが、元は無邪気な思い付きであったのかもしれない。とはいえ、事情が事情だから自業自得で因果応報。同情の余地は全くない。だが、「言わない」ことで奉太郎は被害者だけでなく鷹栖亜美をも守っているのではないか?って、深読みし過ぎかな。

最後にきちんと謝罪する摩耶花が最高過ぎて、ファン的には嬉しい。

連峰は晴れているか

初出は「小説野生時代」2008年7月号。

本作中、もっとも最初に書かれたエピソード。そのためか、2012年のアニメ版『氷菓』の制作に間に合い、第19話として登場している。 「連峰は晴れているか」は当時、書籍化されていなかったので、ブルーレイの限定版特典として小冊子が作られていた。

氷菓 限定版 第9巻 [Blu-ray]

氷菓 限定版 第9巻 [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2013/02/22
  • メディア: Blu-ray
 

おそらくは、もう会うことはないであろう人物に対してでも、自身の無神経さを恥じることができる。こういうメンタリティは大切。「鏡には映らない」で示した、摩耶花の誠実さといい、古典部のメンバーのきちんと筋は通しておくところは好きだな。

わたしたちの伝説の一冊

初出は「文芸カドカワ」2016年10月号。

本作収録されている中でも、特にミステリ色が薄い一編で、単独の作品としては少々成立しにくい話。盗まれた摩耶花のノート。事件を仕組んだ意外な犯人とその真の目的とは?『クドリャフカの順番』以来、一年近く燻っていた摩耶花の漫研話が更に進展。というかいちおうの決着を見たと言っていいのかな。

『クドリャフカの順番』で、摩耶花は自分の力の限界を思い知らされる。誰もが羨望する能力を持ちながら、その力を使おうとしない人物が居る。この時、摩耶花と同じように圧倒的な実力差に打ちのめされていたであろう、河内亜也子(こうちあやこ)がまさかの再登場。共闘を申し出てくる胸アツ展開に、テンションが上がった読者は多いのではないだろうか。摩耶花のモノローグで、「先輩」「河内先輩」と呼んでいたのが、最後だけ「河内亜也子先輩」と言い直していて、ここも地味ながらも燃えるシーン。同じ方向を向いて戦える同志として、河内亜也子を認めた場面なのである。

もっとも、努力が必ずしも報われるとは限らないのが、米澤穂信世界の厳しい掟なので二人の作品がきちんと仕上がるまでは予断を許さない。

長い休日

初出は「小説野生時代」2013年11月号。

奉太郎が省エネ人間化した原因が明らかになるエピソード。学校の教師だけではないだろうが、世の中には驚くほど雑な働きをする人間がいるものである。

折木姉(供恵)はこの時いくつなんだっけ?奉太郎が小六だから、五歳上で、この時で高校二年生か。「きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから」の台詞が格好良すぎる!このお話の時点で、とうに奉太郎の休日は終わっているだけに、その洞察力の鋭さに衝撃を受ける。恐るべき17歳女子高生である。

いまさら翼といわれても

初出は「小説野生時代」2016年1・2月号。

『遠まわりする雛』の続篇とでもいうべきエピソード。奉太郎や、里志、摩耶花たちとえるが明確に違う点は、これまでに強い挫折を体験したことがなかったことだろう。

豪農千反田家の跡継ぎとして、沈みゆく地域社会を支えるものとしての責任と矜持。それを奪われてしまったとき、えるはどうなるのか。えるの父親が、どのような形で「自由に生きろ」と伝えたのかはわからない。しかし純粋な親心で、娘に好きなように生きてほしいとだけ思って告げたのではなかったのだろう。地元有料者としての相応の打算と、えるの性格に対しての見切りすらあったのかもしれない。

もう一度書くが、米澤穂信作品では、努力は必ずしも報われない。世界は残酷なものであり、人は自らの限界を超えることはできない。

閉ざされた蔵の扉は開いたのか?個人的予想では、それでもえるは「責任を果たす」と思うのだが、果たしてどうだろうか?

その他の米澤穂信作品の感想はこちらから

〇古典部シリーズ

『氷菓』/『愚者のエンドロール』/『クドリャフカの順番』/ 『遠回りする雛』/『ふたりの距離の概算』/『いまさら翼といわれても』 / 『米澤穂信と古典部』

〇小市民シリーズ

『春期限定いちごタルト事件』/『夏期限定トロピカルパフェ事件』 『秋期限定栗きんとん事件』/ 『巴里マカロンの謎』

〇その他

『さよなら妖精(新装版)』/『犬はどこだ』/『ボトルネック』/『リカーシブル』 / 『儚い羊たちの祝宴』『追想五断章』『インシテミル』 / 『満願』 / 『王とサーカス』  / 『真実の10メートル手前』 /  黒牢城』