史上初!ミステリ系ランキング三冠達成作品
2014年刊行作品。新潮社の小説誌「小説新潮」「すばる」等に掲載されていた作品をまとめたミステリ短編集。タイトルの『満願』は「まんがん」と読む。
本作は第27回の山本周五郎賞を受賞している。また、早川書房の「ミステリが読みたい!」、文藝春秋の「週刊文春ミステリーベスト10」、宝島社の「このミステリーがすごい!」のすべてで国内部門1位を獲得。史上初の三冠を達成した。米澤穂信(よねざわほのぶ)の一般層への知名度を飛躍的に高めた一冊と言える。
新潮文庫版は2017年に登場している。
音声朗読のオーディブル版は2022/4/8より配信開始とのこと。朗読は長谷川りくが担当している。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★(最大★5つ)
ミステリ各賞三冠を初めて達成した作品を読んでみたい方。学園モノではない、米澤穂信作品に興味がある方。昭和を生きた人々の息遣いに触れてみたい方。人間心理の暗い部分に焦点を当てた短編集がお好きな方におススメ。
あらすじ
犯人を射殺し、自身も殉職した警察官の真意(夜警)。自殺の名所として知られる宿で見つかった遺書を巡る謎解き(死人宿)。美しい姉妹と母親、そして父親を巡る家族の秘密(柘榴)。バングラデシュ駐在の商社マンが堕ちた罪の陥穽(万灯)。地方取材中の記者が体験する恐怖(関守)。殺人の罪を犯し、刑期を終えた女の本当の願いとは(満願)。人間心理の負の側面を描く異色短編集。
人の世のままならなさ、願い、心の闇
本作には六編の短編作品が収録されている。それぞれの作品に関連性はないので、どの作品から読んでもオッケー。他シリーズとの絡みもないので、ファースト米澤作品として読んでみるのも良いかと思われる。
いずれの作品でも共通して描かれているのは、人生のままならなさ。そして人々の抱える心の闇の側面である。人間誰しも、より良い生を願うが、思い描いた通りに生きていける人間は少数派だろう。
それでは、以下、各編ごとにコメント。
ここからネタバレ
夜警
初出は「小説新潮」2012年5月号。掲載時のタイトルは「続きの音」。
交番勤務であった川藤浩志(かわとうひろし)は、暴漢制圧時に発砲。相手を射殺してしまうが、自身も刺され殉職する。交番長であった柳岡(やなおか)は、川藤のらしからぬ行為に疑問を感じ、その真意を探ろうとするのだが……。
パワハラで部下を自殺させてしまった過去を持つ男、柳岡が主人公。左遷先の交番で柳岡は、いかにも警官に向いていないと思われた新人川藤の存在を持て余す。過去への悔恨から、川藤への強い指導を躊躇ってしまう柳岡。自己中心的で身勝手。易きに流れるタイプで、常に最悪の選択肢をつかみ取ってしまう川藤との相性は最悪とも言える。
最初は独善から、そして今回は、保身のために部下を死なせてしまった男が、たどりついてしまった苦々しい結末がなんとも苦しい。人生には「やってしまったこと」への後悔と、「やらなかったこと」への後悔、二種類の失敗があるように思える。かつての過ちが足を引っ張り、状況改善への積極性が失われ、更に事態を悪化させてしまう。
柳岡ほどではないにしても、こうした経験は誰もが持っているのではないだろうか。本作はそんな読み手の「心当たり」に刺さってくる物語だ。
死人宿
初出は「小説すばる」2011年1月号。
かつて交際していた女性、佐和子の消息を追って、男はひなびた温泉宿にたどり着く。そこは「楽に死ねる」と評判の自殺志願者が集う宿だった。宿で中居として働く佐和子から、男はとある相談を持ち掛けられる。脱衣所で発見された遺書。その書き手を探してほしいというのだ。
いかにもこれから死んでしまいそうな宿泊客の中から、誰が遺書を書いたのかを推理する作品。主人公である男は、証券会社勤務。かつて佐和子とは恋人関係にあったが、職場でのパワハラに悩む彼女を理解できず、ふたりの関係は破綻してしまっている。
人としての優しさよりも合理性を選んで、佐和子に去られた男が、歳月を経て、人を助けられる男になれたのか。たいていのことは「どうにもできない」。人が人を変えようとすることの限界。おこがましさ。無常さをつきつけられる一編。
柘榴
初出は「小説新潮」2010年9月号。
美しい母と、美しい姉妹。そして自堕落な父親。父母の離婚調停が進む中で、姉妹の親権争いが焦点となる。娘を愛する母さおりと、母親の愛情を自覚しながらも、娘の夕子と月子は裏切りを企図する。
タイトルの柘榴(ざくろ)には複数の意味が込められているのではないかと思われる。
一つは鬼子母神との関連。人間の子を食べるとされていた鬼子母神に対して、釈迦が柘榴(人肉の味がするとされている)を与え、それを止めさせたとする俗説に由来するもの。柘榴を貪る、成海と夕子の関係を暗示しているように思える。
もう一つは、ギリシャ神話に登場するペルセポネのお話。ペルセポネは冥界の王ハーデスにさらわれ、冥界の食べ物であった柘榴を1/3だけ食べてしまう。そのため、年の1/3はハーデスの妻として冥界で暮らすことを強いられる。夕子は1/3ではなく、すべての柘榴を食べてしまったので、もはやまっとうな人の世界には留まれない。
ちなみに、その後のペルセポネは、人間の美青年アドニスに心奪われ、愛人関係を持つようになるので、夕子父子(月子含め)の愛憎のもつれはこれからも続いていきそう。
万灯
初出は「小説新潮」2011年5月号。
バングラデシュ駐在の商社マン伊丹は、天然ガス資源の開発をめぐり、現地の住民とトラブルを抱えていた。開発に反対する村の有力者アラム。対立する長老たちは、伊丹にアラムの殺害を持ち掛ける。同業者の森下と共に、犯行に手を染めた伊丹だったが、思わぬ展開が待ち受けていた。
昭和50年代を舞台とした物語。バングラディシュの喧騒と灼熱感。ギラギラとした仕事や成功に対する野心。ビジネス上の必要があったとはいえ、殺人を躊躇わない伊丹の姿に昭和の猛烈サラリーマン(リゲインのCMで言うところの、ジャパニーズビジネスマン)を見るような思いがする。
邪魔になった森下を殺害した伊丹だったが、彼の完全犯罪は思わぬところから崩壊していく。コロナ禍の昨今に読むと、空港検疫のリアリティが生々しく伝わってくる気がする。
関守
初出は「小説新潮」2013年5月号。
伊豆半島の南端に位置する、豆南町(ずなんちょう)。町の入り口にある桂谷峠(かつらだにとうげ)では、ここ数年不可解な死亡事故が相次いでいた。都市伝説ネタで記事を書いて欲しい。ライターである主人公は、そんな依頼を受け現地を訪れる。
桂谷峠で、不審な事故死を遂げているのはこちらの方々。
- 前野拓矢(まえのたくや):去年の10月2日に死亡。県の役人。31歳。
- 田沢翔(たざわかける):二年前の6月30日に死亡。無職。36歳。
- 藤井香奈(ふじいかな):同上。接客業。32歳。
- 大塚史人(おおつかふみと):三年前の5月15日に死亡。学生。22歳。
- 高田太志(たかだたいし):四年前の5月1日に死亡。自称パチプロ。38歳。
主人公が取材を重ね、次第に過去の事件へと踏み入っていく中で、意図せずして事件の核心に踏み込んでしまう展開。都市伝説かと思われた事件が、ある種、別の意味で「本物」だったと明かされるラストは、ミステリというよりはホラーテイスト。山姥と旅人の昔話の現代版といった面持ちがする。
満願
初出は「小説新潮」2010年5月号別冊の「Story Seller Vol.3」。
苦学の末に司法試験に合格。現在は弁護士となった藤井は、学生時代の恩人、鵜川妙子(うかわたえこ)の弁護を引き受ける。夫の重治が抱えた莫大な借金。貸金業の、矢場英司(やばえいじ)を殺害した妙子だったが、彼女の真の目的はどこにあったのか。
物語は昭和61年。弁護士となった藤井の視点から、十数年前の、昭和40年代に起きた事件を振り返っていく構成となっている。作中に登場する、東京都調布市、深大寺の達磨市はこんなイベント。わたしは学生時代、お隣の三鷹市に住んでいたので、ちょっと懐かしく読んでしまった。
藤井と妙子は深大寺の達磨市を訪れる。達磨市は当然、達磨を売る場ではあるのだが、一方で、願いが叶って両目の入った達磨が供養所に奉納される場でもある。満願叶い奉納されただるまを見て、藤井はこれだけの願いが叶っているのだから、私にも道がないはずがないと安堵する。数多の人々の願いが込められた無数の達磨が集まる空間は、冷静な視点で見てみるとちょっと異様な雰囲気のする場所だと思う。
鵜川妙子は何を願い、何を思ったのか。その動機は、意外なものだったが、人が何を心の拠り所とし、何を大切にするのかは様々だ。かつて妙子が藤井に対して示した温情は、親切心に基づくものではなく、ままならぬ彼女の人生において唯一の矜持に依るものだった。
NHKでドラマ化されている
本作のうち、「万灯」「夜警」「満願」の三作は、2018年にNHKにてドラマ化されている。各話の演出、脚本、主要キャストは以下の通り。
万灯(演出:萩生田宏治、脚本:大石哲也)
- 伊丹修平(西島秀俊)
- 森下聖司(近藤公園)
夜警(演出:榊英雄、脚本:大石哲也)
- 柳岡潔(安田顕)
- 川藤浩志(馬場徹)
- 川藤隆博(吉沢悠)
満願(演出・脚本:熊切和嘉)
- 藤井(高良健吾)
- 鵜川妙子(市川実日子)
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