2021年5月26日に恩田陸の「理瀬」シリーズ、17年ぶりの新作長編『薔薇のなかの蛇』が刊行される!嬉しい~
ということで、「理瀬」シリーズの旧作紹介をお届けしたい。17年も新作出ていなかったらみんな内容忘れていると思う。まずは、実質的なシリーズ一作目『麦の海に沈む果実』から!
- 「理瀬」シリーズの一作目
- おススメ度、こんな方におススメ!
- あらすじ
- 恩田陸の「理瀬」シリーズ一覧と読む順番
- 閉ざされた「三月の王国」の物語
- 登場人物一覧(ネタバレ)
- 恩田陸における学園世界
- 変貌する少女理瀬の魅力
- 『三月は深き紅の淵を』との関連
- おまけ:碁石ゲームの結果まとめ
- おまけ2:楽曲版『麦の海に沈む果実』が存在する
- 恩田陸作品の感想はこちらから
「理瀬」シリーズの一作目
2000年刊行作品。 講談社のミステリ誌『メフィスト』の1998年10月増刊号~1999年9月増刊号に連載されていた作品をまとめたもの。表紙及び、作中の扉絵イラストは北見隆。
講談社文庫版は2004年に刊行。カバーデザインは単行本版同様に北見隆が担当。単行本に収録されていた扉絵も引き続き掲載されている。
文庫版には作家、笠井潔による解説が収録されている。この解説は『麦の海に沈む果実』の関連作品『三月は深き紅の淵を』を読み解くためのヒントを与えてくれる良テキストなので、「三月」をどう読み解いてよいか悩んでいる方にはおススメ。「三月」独特の重層的な作品構造を見事に言語化してくれている。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★(最大★5つ)
独特の世界観を持った学園ものを読んでみたい方に。ミステリタッチの学園小説を読みたい方。恩田陸の「理瀬」シリーズに挑戦したい方。『三月は深き紅の淵を』の第四章を読んで、不思議な学園世界に魅力を感じた方におススメ!
あらすじ
三月以外にやってくる転校生は学園に災いをもたらす。湿原に囲まれた全寮制の私立校へ二月の最後の日に転校してきた少女理瀬。そこは独自のしきたりや慣習が支配する永遠の三月の帝国だった。演奏会場から失踪した功。湿原に囲まれた庭園で消えた麗子。そしてついに現実の殺人が起こるのだが……。
恩田陸の「理瀬」シリーズ一覧と読む順番
恩田陸による「理瀬シリーズ」は、Amazonでは「理瀬」シリーズ(全6巻)などと紹介されているのだが、かなり強引なまとめ方だと思う。実情はもう少し複雑だ。
水野理瀬に関連した恩田陸作品は以下の通り。理瀬シリーズは、作品の発表順に読むことを強くお勧めしたい。
初登場
- 『三月は深き紅の淵を』:1997年刊行
『麦の海に沈む果実』の内容が、最終第四章に断片的に登場。
本編
- 『麦の海に沈む果実』:2000年刊行
本編。実質的な理瀬シリーズ一作目 - 『黄昏の百合の骨』:2004年刊行
理瀬シリーズ二作目 - 『薔薇のなかの蛇』:2021年刊行
理瀬シリーズ三作目。17年ぶりの新作!
- 「睡蓮」:2001年刊行
光文社文庫のミステリアンソロジー『蜜の眠り』収録。恩田陸短編集『図書室の海』にも収録されている。 - 「水晶の夜 翡翠の朝」:2002年刊行
ミステリアンソロジー『殺人鬼の放課後』収録。恩田陸短編集『朝日のようにさわやかに』、ミステリアンソロジー『青に捧げる悪夢』にも掲載されている。 - 「麦の海に浮かぶ檻」:2017年刊行
ミステリアンソロジー『謎の館へようこそ 黒』収録。恩田陸短編集『歩道橋シネマ』にも掲載されている。
関連作品
- 『黒と茶の幻想』:2001年刊行
理瀬の直接的な出番はなく回想シーンのみで言及される。
てっとりばやく内容を把握したい方は本編の三作を刊行順に読めばいい。
しっかりシリーズの全体像を把握したい方は理瀬が初登場する『三月は深き紅の淵を』から読むことをお勧めしたい。「三月」では作中の第四章に『麦の海に沈む果実』の内容が登場する。
『黒と茶の幻想』は理瀬本人は登場しないが、関連要素が言及されているので、気になる方はチェックしておくべき作品だ。
短編の「水晶の夜 翡翠の朝」「睡蓮」「麦の海に浮かぶ檻」は外伝的な作品となっている。本編を読んでから取り組むことをお勧めしたい。
ここからネタバレ
閉ざされた「三月の王国」の物語
さて、ようやく『麦の海に沈む果実』本編の紹介に移ろう。
この物語の陰の主役は「学園」である。
本作は、北の湿原。青の丘に築かれた全寮制の中高一貫校が舞台となっている。明言されていないが国内最大級の湿原とあることから、北海道の釧路湿原近郊がモデルになっているのではないかと思われる。
単行本版の表紙では、「青の丘」の全体像が描かれているので参考までに書影を引用させていただく。作中でも仄めかされているが、フランスにあるモン・サン=ミシェルを彷彿とさせるイメージである。
学園はかつての修道院跡を改修したもので、40年の歴史を持つ。ここでは高額な学費と引き換えに、高度な専門教育を受けることが出来る。しかし外部との連絡は禁じられており、特別な事情が無い限り家族に電話をかけることすらも許されない。
そして学園に集められた生徒たちは以下の三つの属性のいずれかに属している。
- ゆりかご:過保護に育てられた良家の子女
- 養成所:特殊な職業につきたい、技能を磨きたい、専門教育を受けたい、一芸に秀でたエリート子女
- 墓場:家族から存在を望まれていない子供たち
学園内で大多数を占めるのは墓場組である。不義の子であったり、犯罪歴があったりと、彼らは家族から存在を疎まれている。この学園は墓場組にとっては牢獄に等しい。
鉄格子の嵌められた理瀬の自室は牢獄の象徴なのである。
学園は校長が専制的に支配する治外法権の場である。ここではあらゆる犯罪が司法の関与を受けない。厄介者の墓場組は、たとえ殺害されたとしても何事もなかったかのように処理される。
登場人物一覧(ネタバレ)
続いて、登場人物のまとめ。
- 水野理瀬(みずのりせ):主人公。14歳。学園に来るまでの記憶を失っている
ファミリーの人々
- 黎二(れいじ):四年生。理瀬に好意を寄せる。麗子の襲撃から理瀬をかばって死亡。理瀬の異母兄の可能性も。★
- 聖(ひじり):六年生(高三)。数学の天才。リーダー格。
- 寛(ひろし):五年生(高三)。指揮者志望。
- 光湖(みつこ):三年生(中三)。ファミリーの世話役。
- 俊市(しゅんいち):三年生(中三)。薫の従兄弟。テニスプレーヤ志望。
- 薫(かおる):二年生(中二)。俊市の従兄弟。テニスプレーヤ志望。
- 麗子(れいこ):かつてファミリーに居た少女。理瀬の異母姉妹。理瀬襲撃後、崖から落ちて死亡。★
- 功(いさお):かつてファミリーに居た少年。沼に落とされ死亡。★
理瀬をめぐる人々
- 憂理(ゆうり):二年生(中二)。役者志望。理瀬の親友。
- ヨハン:転校生。理瀬のフィアンセ。ユーロマフィアの跡取り候補のひとり。
学校関係者
- 校長:40代前半。男性だが女性として振る舞うことも。理瀬の父。
- 理事長:学園の創設者。理事長の父。理瀬の祖父
その他の生徒
- 麻理衣(まりい):精神の不安定な少女。薔薇の迷路で死亡。★
- 修司(しゅうじ):校長の親衛隊のひとり。刺殺される。★
- 亜沙美(あさみ):校長の親衛隊のひとり。塔から墜落死。★
★印は死亡者である。この学園の死屍累々ぶりがお判りいただける筈である。
学園では、あらゆる犯罪を校長がもみ消してしまうので、何でもありの怖ろしい世界となっている。
恩田陸における学園世界
恩田陸のデビュー作『六番目の小夜子』も学園ものであった。恩田陸作品では、学園、学校は時として重要な役割を果たす。『六番目の小夜子』では学園を通り過ぎていく生徒たちと、永遠に変わらず「そこ」にありつづける学園との対比の妙が印象的だった。生徒たちは束の間の時をそこで過ごすが、やがてはそこを出て行く。
それに反して『麦の海に沈む果実』では全ての人々が学園に囚われているように感じる。学内では望む限りの教育を受けられる反面、外出すらも容易には許されない。人の死さえも学園の秩序を揺るがすことは出来ない。学園に君臨するかに見える校長も未だ学園の呪縛から逃れられないひとりの虜囚でしかない。ラストで学園から旅立っていく理瀬もまた、新たな学園の囚われ人として描かれ、やがて学園へ戻ってくることが予見されているのだ。
これは『六番目の小夜子』で描かれた「かれら」なるものの時と所を変えた復讐譚なのではないだろうか。などと深読みしてしまうのがいかがだろうか。
変貌する少女理瀬の魅力
ヒロインの理瀬は大人しい、物静かで控えめな少女として登場する。理瀬は学園に来るまでの記憶を失っており、精神的に不安定な状態に置かれている。次々と発生する学園内での殺人事件。姿なき殺人者の魔の手はやがて理瀬にも及び、結果的にそれが理瀬の封印されていた記憶を呼び起こすことになる。
運命に流されるままに見えた内省的な少女理瀬が、終盤に変貌し、本来のパーソナリティを取り戻す展開が非常に鮮やかで強く印象に残る。
理瀬には、不器用だが根はやさしい黎二と、人当たりの良い美少年だが内面は冷酷で腹黒いヨハン。二人の少年がパートナーとして配されている。
黎二は、記憶を失った楚々とした美少女の理瀬に良く似合う。一方でヨハンは、記憶を取り戻した後の、大胆不敵で決断力に優れた理瀬のパートナーとして相応しく思える。
黎二と理瀬を繋ぐキーアイテムは水色のコサージュである。しかし、ラストシーンで理瀬は黎二の血のついたコサージュを手放す。「私は過去に搦めとられはしない」。過去に縛られて命を失っていった学園の人々に対して、私は違う。そうはならないと強い決別の意思を示しているのである。
過去の象徴とも思える学園に強く呪縛されているかに見える理瀬だが、このあといかなる成長を遂げていくのだろうか。
『三月は深き紅の淵を』との関連
黒い帽子。茶色コートを着た男、茶色いトランク。これは『三月は深き紅の淵を』全四章全てで共通して登場したモチーフである。この要素が『麦の海に沈む果実』でも登場する。『麦の海に沈む果実』は『三月は深き紅の淵を』に連なるシリーズの一つでもあるわけだ。
『麦の海に沈む果実』は『三月は深き紅の淵を』の第四章で部分的に登場する。理瀬や憂理、黎二らも登場するがその内容は必ずしも『麦の海に沈む果実』とイコールではない。『三月は深き紅の淵を』中の学園は炎上し、憂理は麗子と共に姿を消す。
憂理の最後の言葉を引用してみよう。
ーー理瀬、あたしには分からないの。これはひょっとして麗子の世界じゃないかしら。あたしたちは本当にここにいるのかしら?あたしたちは麗子の作った、この赤い日記帳の世界に生きているんじゃないかしらーー理瀬、もしかするとあたしたちはまたどこかで会えるかもしれないーーまた別の世界でーー別の三月の園でーー
文庫版『三月は深き紅の淵を』p428より
『麦の海に沈む果実』は、『三月は深き紅の淵を』第四章のアナザーストーリー、「別の世界」「別の三月の園」なのではないだろうか。
また、さらにややこしいのだが、書籍としての『三月は深き紅の淵を』が『麦の海に沈む果実』の中でも登場する。『麦の海に沈む果実』における『三月は深き紅の淵を』は、歴代の学園支配者が綴る日記として存在しているのだ。『三月は深き紅の淵を』と『麦の海に沈む果実』はお互いにお互いの要素を含む、二重の入れ子構造となっている。
おまけ:碁石ゲームの結果まとめ
作中、第十三章に登場する「碁石ゲーム」の結果をまとめておこう。イエスかノーかで応えられる質問に対して、イエスであれば白い碁石、ノーであれば黒い碁石を投ずるゲームである。参加者は理瀬ファミリーの七人に加えて、憂理とヨハンを加えた計九人である。
- 私は一年後にはこの学園にいない(白4/黒5) 理瀬は白
- 私は他のファミリーに行きたい(白0/黒9)
- 校長先生は二人いて本当は男女の双子(白1/黒8)
- 麗子は生きている(白5/黒4) 理瀬は黒
- 黎二の父親は校長である(白3/黒6)
- この中に亜沙美を殺した犯人がいる(白2/黒6) 一名棄権
- 近いうちに、またファミリーから死人が出る(投票なし)
誰がどちらに投票したのかを考えると、けっこう楽しめる。6の設問は、ひとりだけ碁石を投じていない人間がいる。亜沙美の殺害犯が誰かを考えると、いろいろ深読みが出来そうだ。
なお、碁石ゲームは『三月は深き紅の淵を』の第四章でも実施されている。こちらはファミリーの七人のみが参加。憂理は判定者として登場。ヨハンは登場しない。設問と結果は以下の通り。
- 私は他のファミリーに行きたい(白0/黒7)
- 私は卒業するまでここにいないだろう(白3/黒4)
- 黎二は理瀬が好き(白5/黒2)
- ここを出ても私には迎えに来てくれる家族はいない(白2/黒5)
- この中に麗子を殺した犯人がいる(白1/黒5) 一名棄権
おまけ2:楽曲版『麦の海に沈む果実』が存在する
Amazonで検索していて発見した。なんと『麦の海に沈む果実』が楽曲になっていた!For Tracy Hydeというグループの2019年のアルバム『New Young City』に収録されている。
こちらのインタビュー記事を見る限り、ガチの恩田陸ファンの方がメンバーにいる模様。これは嬉しい。
恩田陸作品の感想はこちらから