黒澤いづみのデビュー作
2018年刊行作品。作者の黒澤いづみは、『人間に向いてない』で第57回のメフィスト賞を獲得し、作家デビューを果たしている。福岡県出身、以外のプロフィールは開示されておらず、現状では覆面作家扱いなのかな。
なお、作者のお名前は「黒澤いづみ」であって、「黒澤いずみ」ではないので注意が必要である。
講談社文庫版は2020年に刊行されている。
こちらは、巻末に東えりかによる解説が収録されている。この解説はネット公開されており、ウェブ上でも閲覧が可能。
また、書籍には収録されていない「あとがきのあとがき」がウェブ公開されているので、こちらも併せてご紹介しておきたい。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★(最大★5つ)
イヤミス系の作品が好きな方。表紙を見てもイケる!大丈夫!と思える方。グロ描写耐性のある方。メフィスト賞作品を読みたいと思っている方。家族をテーマとした物語を読んでみたい方におススメ。
あらすじ
引きこもり、ニートの若者たちばかりが罹患する、異形性変異症候群。それは、突如として人間の姿を失い、異形へと変貌してしまう恐ろしい病だった。主婦、田無美晴は、ひとり息子の優一が芋虫に変異してしまい途方に暮れる。社会的な死。夫の勲は、早々に優一に見切りをつけ処分を迫る。美晴は次第に追い詰められていくのだが……。
ココからネタバレ
異形性変異症候群が怖い!
異形性変異症候群(ミュータント・シンドローム)は、読んで字のごとく。人間が突然異形に変容してしまう病である。変容する姿は人それぞれで、ある者は犬型、ある者は植物に。そして、本作の主人公である田無美晴(たなしみはる)の息子、優一(ゆういち)は虫型の異形に変容してしまう。ううう、嫌すぎる。
異形性変異症候群は日本各地で猛威を振るい、罹患者は数万人を超える。この病気に対して医学が出来ることは皆無で、治療のすべは見出されていない。政府は異形性変異症候群に罹患し、変容してしまった人間を死亡とみなし、あらゆる人権を認めない決定を下す。
この病気で特徴的なのは、罹患するのが引きこもり、ニートと呼ばれる若者たちばかりである点だ。異形に変容する以前に、社会的な接点を絶たれていた彼らに対して世間の目は冷たい。
引きこもり、ニートは死者と同じなのか?
引きこもり、ニートと呼ばれる人々が社会問題となって久しい。現在では、その範囲は拡大し、中高年層にまで達している。自宅にこもる彼らには、外部の目線が届かない。それだけに、彼らを抱える家族の負担は大きい。特に大きな影響を受けるのは母親である。
『人間に向いてない』では、社会問題化している引きこもり、ニート層を、異形の姿に変容させている。彼らが変容する姿はさまざまだが、その外観は醜く、人間的な属性をわずかにとどめているが故におぞましくもある。作者は、引きこもり、ニート層に対する世間の印象を、思いっきりグロテスクに極大化して描いているのである。
引きこもり、ニート層は、家族として抱える側にとっては深刻な問題だが、外部の人間には大きな関心を持ちにくい存在である。存在しないものとして扱う。出来る限り話題にしない。むしろ儀礼的な無関心を装うことが、やさしさであるかのようにも思われている。このような環境下で、引きこもり、ニート層を抱える家族側より追い詰められていくのである。
つながりの消滅が異形化を招いている
本作では、美晴と優一以外にも、多くの母娘が登場する。津森乃々香(ののか)と娘の紗彩(さあや)、笹山と息子の孝宏、山崎いつ子のイソギンチャク型の娘、寺田の植物化した息子、春町の魚化した息子。
異形化した子どもたちは、引きこもり、ニート層であり、社会だけでなく、家族に対しても心を閉ざしている。人間的なつながりの消滅が、異形性変異症候群の引き金となっているように思えるのである。
異形性変異症候群の患者は、若年層だけでなく中高年層にまで拡大していく。これは現代社会の、人と人とのつながりの希薄化を意味しているのだろう。
終盤、美晴の息子は奇跡的に人間の姿を取り戻す。これは、母である美晴が、息子との関わり方を見つめ直し、再び絆を結びなおしたことが原因である。人と人とのつながりこそが、人間を人間たらしめている。優一の復活は、家族との繋がりを喪った、夫の勲が異形化したことと比較して、なんとも対照的である。
ハッピーエンド?
優一は人間の姿を取り戻し、昔年の母への恨みを吐き出す。これで美晴と優一の関係は以前のような良好なものに戻れるのだろうか。長期に渡って外界との接触を断ってきた優一が、早々に社会性を取り戻せるとは思えないし、異形化した勲がどうなるのかもわからない。勲の収入がなくなり、専業主婦の美晴がどうやって生計を立てていくのかも不透明だ。田無家は依然として前途多難なのである。
決して前途洋々とは思えない状況下にあって、それでも美晴は「今日の夕食は何を食べるか」だけを考えている。非日常と日常は紙一重。人生には何が起きるか分からない。極めつけの非日常を乗り越えてしまった美晴にとっては、この状況ですら憂うべきものではなくなってしまっている。これは母の強さか、女の強さなのだろうか。
人々の選択次第で現実はいくらでも変容する。
これほどまでにグロテスクな物語でありながら、意外にも感動的な余韻を残して、前向きに物語の幕が閉じたのは意外であった。
カフカと真梨幸子へのオマージュ
おまけ補足。
人間が芋虫に変容する。これはもちろん、フランツ・カフカの「変身」へのオマージュではないかと思われる。カフカの「変身」もまた異形に変じた人間と、家族たちの物語であった。
また、黒澤いづみはメフィスト賞で一番好きな作品として、真梨幸子の『孤虫症』を挙げている。
真梨幸子の『孤虫症』は、メフィスト賞にイヤミス(嫌ーな気分になるミステリ)ジャンルをもたらした作家である。『人間に向いてない』も、その系譜を汲む作品であるといえる。
『孤虫症』の感想は以前に書いているので、気になる方はこちらもどうぞ