第67回江戸川乱歩賞受賞作品
2021年刊行作品。タイトルの『老虎残夢』は「ろうこざんむ」と読む。作者の桃野雑派(もものざっぱ)は1980年生まれ。本作にて第67回江戸川乱歩賞を受賞し、作家デビューを果たしている。同時受賞作は伏尾美紀(ふせおみき)の『センパーファイ -常に忠誠を-』。
ちなみに、桃野雑派は前年の第66回江戸川乱歩賞では『インディゴ・ラッシュ』で最終選考まで残っていた(本書選評より)とのこと。
講談社文庫版は2024年に登場。巻末にはミステリ評論家千街晶之(せんがいあきゆき)による解説文も収録されている。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★(最大★5つ)
ちょっと変わった舞台設定の本格ミステリ作品を読んでみたい方。中国史が好き、歴史小説が好きな方。江戸川乱歩賞系の作品に興味のある方。凛としたヒロインが活躍する作品がお好きな方におススメ!
あらすじ
南宋時代の中国。雪の夜、八仙島の湖中に浮かぶ八仙楼で、老武俠家、梁泰隆の遺体が発見される。雪と湖、二重の密室の中で息絶えていた梁泰隆は、なぜ死んだのか?残された弟子と娘。そして奥義を譲られるはずであった三人の男女。犯行が可能だったのは誰なのか。そしてのその動機とは。師の仇を取るべく、愛弟子の蒼紫苑が謎に迫る。
ここからネタバレ
キャラクター一覧
最初に登場人物を確認しておこう。『老虎残夢』に登場する主な人物は以下の六名。
- 梁泰隆(りょうたいりゅう):老武俠家。碧眼飛虎(へきがんひこ)
- 梁恋華(りょうれんか):梁泰隆の養女。17歳
- 蒼紫苑(そうしおん):梁泰隆の弟子。主人公。23歳
- 楽祥纏(がくしょうてん):梁泰隆のきょうだい弟子。終曲飯店の主。紫電仙姑(しでんせんこ)
- 蔡文和(さいぶんわ):梁泰隆の同門。海幇の幇主。烈風神海(れっぷうしんかい)
- 為問(いもん):浄土教の僧。孤月無僧(こげつむそう)
老武俠家の梁泰隆は、自身の奥義を伝えるべく、縁故の三人、楽祥纏、蔡文和、為問を呼び寄せる。弟子の蒼紫苑は、奥義が自分に伝えられないことに複雑な思いを抱いている。といった設定。
武俠小説と特殊設定ミステリ
本作の魅力その1。それは武俠(ぶきょう)小説であること。Wikipedia先生から引用させていただくと、武俠小説とはこんな意味になる。
武俠小説(ぶきょうしょうせつ)とは、中国文学での大衆小説の一ジャンルで、武術に長け、義理を重んじる人々を主人公とした小説の総称である。
武俠小説は、田中芳樹の『風よ、万里を翔けよ』あたりから、日本国内でもちらほら書かれるようになってきている。本書巻末の綾辻行人の選評によると、ミステリに転用した例としては秋梨惟喬(あきなしこれたか)の『もろこし銀侠伝』などがあるとのこと。
続いて、本作ならではの特殊設定についてまとめておこう。
- 外功(がいこう):外面的な力。膂力
- 内功(ないこう):体の内側より生じる、気を自在に操る力。外見の老化を抑え、毒が効かなくなる
- 軽功(けいこう):気脈の流れを操り、己の体重を極限まで減らし、羽のように身を軽くする技
- 踏雪無痕(とうせつむこん):軽功を操り、雪面に足跡を残さず歩く能力
『老虎残夢』は武俠家たちの超常能力を前提とした、特殊設定ミステリだ。
ミステリファンであれば軽功による踏雪無痕に、どれだけの意味があるかおわかりになるだろう。さらに軽功は、駆使することで水上を歩いて渡ることも可能で、湖上の楼閣での事件となった本作では、その技の存在が大きな意味を持ってくる。また、内功を極めたものは毒が効かない!この設定も本作では重要な役割を果たすことになる。
至純の百合ミステリでもある
本作の魅力その2。それは百合ミステリであること。主人公の蒼紫苑は、師の娘(養女)である梁恋華と愛し合う仲である。女性同士の恋愛はこの時代の中国では、もちろん禁忌に触れる。さらに梁泰隆の流派では同門内での恋愛を禁じており、二重の障害となって蒼紫苑、梁恋華の前に立ちはだかることになる。
序盤の、梁泰隆の目をはばかりながら、蒼紫苑と梁恋華がイチャイチャするシーン。「そういう話」だと全く思っていなかっただけにこの導入には驚かされた。百合小説好きとしてはニマニマしながら読むことが出来たけど。
月村了衛の選評では「主人公カップルが同性であることに必然性を全く見出せませんでした」とある。本格ミステリの作家として突っ込みたくなる気持ちはわかるものの、現代のジェンダー観から考えれば、人との関係性のありようとして、同性カップルが存在しても問題はないのだと思いたい。結局のところ、作者は百合小説を書きたったってことだよね。
歴史ミステリとしての魅力も
本作の魅力その3。それは歴史ミステリとしての楽しさである。
こちらは南宋時代の中国の地図。黄色い部分が宋国。この時代の中国は、華北部を異民族王朝である金が支配している。金の存在は、宋の国防に強い緊張感をもたらしている。
加えてこの時代は、モンゴル地域に鉄木仁(テムジン、後のチンギス・カン)が台頭しつつあり、最終的にはモンゴル帝国が、金も宋も滅ぼしてしまうことになる。
梁泰隆は、宋宮廷における、対金政策のもつれから、家族の命を奪われるに至った。梁泰隆の憎しみは強く、この想いがこの事件の遠因となっている。宋王朝も金王朝も滅ぼしたい。しかし梁泰隆の強い憎しみが、弟子と娘への愛情との天秤にかけられたとき、大きく揺れることになる。この迷いが、事件の解決をややこしくしていくのだが、それもまた本作の魅力の一つと言えるだろう。
久しぶりに乱歩賞作品を読んだ
恥ずかしながら乱歩賞作品をほとんど読んでいない。このブログは、これまでに700冊以上レビューを書いていて、そのうち300冊近くがミステリ作品だ。しかしそのうち、乱歩賞受賞作は福井晴敏の『Twelve Y.O.』だけという体たらくである。
1990年代くらいまでの受賞作はフォローしていたのだけど、2000年代に入ってからはほとんど読まなくなった。ミステリの公募賞が増えて、新人作家才能が分散し、最近は東野圭吾や池井戸潤クラスのメガヒット作家が出なくなったことも影響しているかな。版元の講談社自身、乱歩賞よりもメフィスト賞の方を押している気配も感じるしなあ。
ともあれ、久しぶりに読んだ乱歩賞作品だった、とても面白かったので、これからは乱歩賞作品も出来るだけ読んでいきたいところ。