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『死の記憶』トマス・H・クック 平穏なままに年齢を重ねていくことへの怖れ

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過去から蘇る「死の記憶」 

1999年刊行作品。オリジナルの米国版は1993年に刊行されている。ちなみに、原題はまさにそのまんまな『Mortal Momory』である。

死の記憶 (文春文庫)

書影の帯を見て頂くとわかると思うが、『緋色の記憶』のトマス・H・クックとある。つまり日本国内では『緋色の記憶』の後に『死の記憶』が刊行されているが、オリジナルの米国版は『緋色の記憶』が1996年刊行なので、実は『死の記憶』の方が先に発表されているのである。

おそらくはエドガー賞受賞作という実績のあった『緋色の記憶』が先に刊行され、クックの評判が確立した後に、先行作品である本作が刊行されたのではないかと思われる。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

そろそろ中年期にさしかかって、自分の人生これでいいのかな、こんなもんなのかな、と葛藤し始めている方。幼い日に起きた忌まわしい事件が、その後の生き方に与えた影響について考えてみたい方におススメ。

あらすじ

ウィリアム・ファリスは妻と長男、そして長女の三名を射殺、そして逃亡した。次男のスティーヴだけが運良く難を逃れる。35年後。家庭を持ち一児の父となった彼の元へ、美貌のノンフィクションライター、レベッカが現れる。ウィリアムの事件について取材を受けるスティーヴ。封じ込められていた記憶が甦るとき、事件の驚くべき真相が明らかになる。

ここからネタバレ

お馴染みの「記憶」の中の殺人

事件は1960年代のアメリカで起きている。主人公の父親は、別に粗暴でもなければ、自堕落な性格でもなく、周囲との痴情のもつれの可能性も、他の犯罪に巻き込まれた形跡も無し。良き父親であった筈の彼はいかにしてそのような凶行に手を染めてしまったのか。35年経って、かつての父と同じような年齢に至った主人公が回想のうちに、真相に迫っていくという構成。いつもながらの「記憶」シリーズである。

事件は既に起きてしまっており、その事実は揺るがしようもない。幼き日の主人公の精神に穿たれた暗黒は、いつしか平和な現在をも蝕んでいく。実の父親に家族を皆殺しにされた心の虚無は、癒やされることは無く、主人公の家族観は次第に歪められていく。かつて父が破壊した家族と、そしていま現在自らが築きあげた家庭。時を隔てた二つの家族の対比の妙。運命に絡み取られ転落していく主人公の姿がやるせない程にリアルなのである。

中年男が抱える心の闇

中年期に入って、ある程度人生の先が見えてしまった男が抱え込みそうな心の闇を、嫌になるくらい的確にえぐり取って見せつけてくるクックの手腕の見事さに感服させられる。平穏なままに朽ちていくことへの怖れ、不安と戸惑い。静かな湖面につい一石を投じてみたくなる気持ち。同世代の人間であれば、誰しも多少なりとも覚えがあるのではにだろうか。

十年前に読んでいたら正直ピンと来ない作品だったかもしれない。年を取ってから読んだ方が、しっくりくる作品ってのはやっぱりあるんだよね。

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