藤つかさのデビュー作
2022年刊行作品。作者の藤(ふじ)つかさは、1992年生まれのミステリ作家。2020年の「見えない意図」(単行本収録時に「その意図は見えなくて」に改題されている)が、第42回の小説推理新人賞を受賞し作家デビューを果たす。
本書『その意図は見えなくて』は、上記の小説推理新人賞受賞作他、双葉社のミステリ小説誌「小説推理」に発表された四作に、書下ろし一編を加えて上梓されたもの。藤つかさとしては初の著作となる。表紙イラストは中野カヲルが担当している。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★(最大★5つ)
学園を舞台としたミステリ作品がお好きな方。連作短編形式のミステリが好き!という方。優れた属性を持つ他者に、コンプレックスを抱きながらも、どうしようもく惹かれてしまう、そんなキャラクターがお好きな方、ヒロインは年上(先輩)キャラなのが好きという方におススメ!
あらすじ
生徒会選挙で大量に投じられた白票は何のために?誰が企図したものなのか(その意図はみえなくて)。陸上部の部室が何者かに荒らされた、犯人の目的は、そして誰がそれをなしえたのか(合っているけど、合ってない)。陸上部の合宿で消えた生徒。彼はどこに行ったのか(ルビコン川を渡る)。中学時代に起きた、とある虐め事件の真相をめぐる物語(その訳を知りたい)。捨てられそうになった文化祭のパンフレット、いったい誰が、何のために(深層は夕闇の中)。五編を収録した学園連作ミステリ。
ここからネタバレ
以下、各編ごとにコメント。
その意図はみえなくて
初出は「小説推理」2020年8月号。冒頭にも書いたが、初出時のタイトルは「見えない意図」。
その年、八津丘(やつおか)高校の生徒会選挙に異変が起きた。唯一の会長候補者は、誰もが認める校内の人気者。しかし、会長選には棄権を意味する白票が大量に投じられた。それにはいかなる目的があったのか?
本編の登場人物
- 清瀬諒一(きよせりょういち):語り手。二年生の選挙管理委員
- 佐竹優希(さたけゆうき):三年生の選挙管理委員。清瀬の小学校以来の先輩
- 秦ちなつ(はたちなつ):二年生の選挙管理委員。清瀬の幼馴染
- 氷室聖二(ひむろせいじ):二年生。生徒会長候補者
- 藤堂夕介(とうどうゆうすけ):二年生。清瀬の幼馴染。ユウ君
- 鴻巣(こうのす):三年生の選挙管理委員。今回の探偵役
- 諏訪野(すわの):担当教諭
生徒会長選での謎の大量白票。このままでは立候補手続きからやりなおす「再選挙」になってしまう。せめて、投票をやりなおす「再投票」で手を打ちたい。事態を面倒にしたくない、担当教諭の「ま、上手くやってくれ」という言葉。時間のかかる話し合いをしたくない、選挙管理委員たちの気持ち。真実を追い求めるのではなく、誰もがほどほどに納得できる無難な解決を導く清瀬の性格の悪さが良い。
大量白票が投じられた理由は、会長候補の氷室が自らの影響力を誇示、確認したかったから。何者かになりたい。人を動かす存在になりたい。そんな気持ちは誰にでも多かれ少なかれあるのかもしれない。
だが清瀬は、氷室以上に、人を動かせる人物を知っている。
生死去来
棚頭傀儡
一線断時
落落磊磊世阿弥『花鏡』より
この文章、佐竹先輩的に書き下すとこうなる。
棚の上の作り物の操り、色々に見ゆれども、まことには動く物にあらず。操りたる糸のわざなり。
『その意図は見えなくて』p60より
自分で考えて動いているように見えて、実は、何者かの「糸(意図)」に操られてはいないか?「その意図は見えなくて」のタイトルの「意図」には「糸」の意味も込められていることがわかる。
本当に動かす側の人間は無自覚だ、と思う。
無垢で純白で潔白。
見えない意図を内包する白票よりも、さらに白く。
その白さの後ろに、小賢しい意図も糸も無い。『その意図は見えなくて』p61より
無自覚に人を動かせる人間の「意図」は見えない。操るための「糸」すらもない。
幼馴染であるユウ(藤堂夕介)に、過剰なまでのコンプレックスを抱いているかに見える清瀬の屈折具合が気になる。傍でしっかり清瀬を見てくれている佐竹先輩の存在が尊い。
合っているけど、合ってない
初出は「小説推理」2021年6月号。
五月。陸上部の部室が何者かによって荒らされた。その場にいた四人の部員たち。三年生の元部長、日下部、そして柊。マネージャの七瀬。そして新副部長となった二年生の清瀬。夏休みを前にして、一年生部員の染谷はとある疑問を抱き、部室荒らし事件の真相を知ることになる。
本編の登場人物
- 染谷(そめたに):語り手。一年生の陸上部員
- 清瀬諒一(きよせりょういち):二年生の陸上部員。副部長
- 日下部(くさかべ):三年生の陸上部員。元部長
- 柊(ひいらぎ)):三年生の陸上部員。
- 七瀬(ななせ)):三年生の陸上部員。元選手でその後マネージャに
視点人物が一年生の染谷に変更となり、他者の視点から清瀬諒一や、現部長である「ユウ」の人物像を深掘りしていくエピソード。今回も、収まりの良い「落としどころ」としての結論を提示する清瀬の調整能力。あれこれ画策することなく、ただひたすらに自由なのに、その天然な真っすぐさで周囲を牽引してしまえる「ユウ」との対比が際立つ。
ルビコン川を渡る
初出は「小説推理」2022年2月号。
八津丘高校陸上部の面々は、他校と合同の夏合宿に参加している。私立の陸上強豪校、坂井川高校の一年生部員、新島が夜になって姿を消す。騒動に巻き込まれていく清瀬。周囲とうまくいかず、明らかに浮いていた彼はどこに消えたのか。
本編の登場人物
- 清瀬諒一(きよせりょういち):語り手。二年生の陸上部員。副部長
- 佐竹優希(さたけゆうき):三年生の陸上部員。清瀬の小学校以来の先輩
- 藤堂夕介(とうどうゆうすけ):二年生。二年生の陸上部員。部長
- 小野寺(おのでら):一年生の陸上部員。
- 諏訪野(すわの):陸上部顧問。
- 明神(みょうじん):坂井川高校の二年生部員。部長
- 勅使河原(てしがわら):坂井川高校の二年生部員。副部長
- 新島(にいじま):坂井川高校の一年生部員
タイトルの「ルビコン川を渡る」は、古代ローマのユリウス・カエサルに由来する故事成語。重大な決断をすることの比喩として使われる。
視点人物が再び清瀬に戻る。本作の中では、合宿棟における男子棟と女子棟の間を、超えてはならない「ルビコン川」に見立てる。さらには、重大な決断をあっさりと下してしまえる「ユウ」の卓越性。それに対しての清瀬の複雑な思いが描かれる。
最後に諏訪野が清瀬に告げるひとことがとても印象的。カエサルを裏切るのは、副将であり、親友でもあったラビエヌスだった。これは清瀬と「ユウ」の本質的な違いを示しているのか。将来の裏切りの暗示なのか。
その訳を知りたい
初出は「小説推理」2022年6月号。
卒業生による講演を依頼され、佐竹優希は久しぶりに母校の中学校を訪れる。かつての恩師倉橋怜との再会。そこで佐竹は、後輩の秦ちなつが中学時代に虐めを受けていたことを知る。虐めの背景には思わぬ裏事情があって……。
本編の登場人物
- 佐竹優希(さたけゆうき):語り手。三年生
- 倉橋怜(くらはしれい):佐竹の中学時代の恩師
- 秦ちなつ(はたちなつ):二年生。佐竹の後輩
- 筧(かけい):二年生。佐竹の後輩。秦ちなつの同級生
- 清瀬諒一(きよせりょういち):二年生。佐竹の後輩。
- 藤堂夕介(とうどうゆうすけ):二年生。佐竹の後輩。
視点人物は佐竹優希に。中学時代に起きていた秦ちなつの虐め問題。事態をいかに解決するかで、清瀬と「ユウ」のアプローチ法が異なってくる。清瀬の用意した「落としどころ」がうまく機能しない。本人にも恨まれ、状況をまったく改善できなかったことが清瀬にとって、大きなトラウマとなっていることがわかる。
なんでもそこそこ器用に世の中を渡れてしまう。「上手く生きてる感じ」の倉橋怜と、同じ属性を持つとされる佐竹との対比。倉橋と自分との違いは「自分じゃない誰かのために心底怒ったり、くやしがったりできる」ことだと気づく佐竹。清瀬に対する佐竹の想いが決定的になった瞬間でもあったのかもしれない。
深層は夕闇の中
書下ろし作品。
文化祭を間近に控え、文化祭実行委員たちは準備に追われている。そんなある日、文化祭のパンフレットが消える。廃棄寸前のところでパンフレットは無事発見されるが、いったい誰がパンフレットを隠したのか。
- 清瀬諒一(きよせりょういち):語り手。二年生。文化祭実行委員
- 佐竹優希(さたけゆうき):三年生。文化祭実行委員
- 藤堂夕介(とうどうゆうすけ):二年生。
- 高比良政親(たかひらまさちか):三年生。文化祭実行委員。文芸部所属
作中の「想像せよ」とある楽曲は、ジョン・レノンの「イマジン(Imagine)」ではないかと思われる。だが、想像するだけでは人は救えない。行動してこそ人は救うことが出来る。
自分では動こうとせず、真相を知って、それで良しとする安楽椅子探偵(高比良)を強烈にディスったアンチミステリ的な趣きすら漂うシニカルな一編。
自虐に浸る清瀬に対して、佐竹は「違うよ、清瀬」とその考えを否定する。だがその想いは清瀬には届いていないように思えるのが切ない。
余談
おまけ。「生死去来棚頭傀儡一線断時落落磊磊」、どこかで聞いたことあるかも?と思った方。そう、押井守監督の『イノセンス』(INNOCENCE)でも引用されている一句なのだ。
具体的な解釈はこちら参考。以下のリンク先を読む限り、このテキスト世阿弥の「花鏡」以前に、さらに元ネタがあるみたい.
生死去来棚頭傀儡一線断時落落磊磊イノセンスに出てくるこの言葉の意味を知... - Yahoo!知恵袋
「生死の去来するは棚頭の傀儡たり。一線断る時、落落磊磊。」 安倍首相辞任に寄せて|龍飛 銀郎(かみたか かねお)|note
「生死去来棚頭傀儡一線断時落落磊磊」をどう読み解くか。『その意図は見えなくて』を解釈ししていくうえでも、大きなヒントになりそう。「ユウ」の価値観に魅せられ、動かされ、自分を傀儡と自覚しながらも、「意図(糸)」から逃れることが出来ない清瀬。
『その意図(糸)は見えなくて』が本作全体のタイトルになっているのが、なんとも意味深長だなと、読後にしみじみと感じ入った。
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