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『火星へ』メアリ・ロビネット・コワル 1960年代の有人火星ミッション

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レディ・アストロノートシリーズの長編二作目

2021年刊行作品。作者のメアリ・ロビネット・コワル(Mary Robinette Kowal)は1969年生まれのアメリカ人作家。オリジナルの米国版は2018年に刊行されており原題は『The Fated Sky』である。

火星へ 上 (ハヤカワ文庫SF) 火星へ 下 (ハヤカワ文庫SF)

昨年紹介した『宇宙(そら)へ』の続編で、レディ・アストロノートこと、エルマ・ヨークの活躍を描いた作品である。解説は鳴庭真人(なるにわまさひと)が担当している。

本作は『宇宙(そら)へ』のその後を描いた作品なので、単独で読むことは全くお勧めしない。前日譚である『宇宙(そら)へ』を先に読んでから読まれることを、強く推奨したい。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

宇宙開発系のエスエフ作品が好きな方。ジェンダーや差別問題と絡めたエスエフ作品を読んでみたい方。極限状態での人間関係に興味がある方。ブラッドベリの『火星年代記』が好きな方。前作『宇宙へ』を読んでいる方(重要)におススメ!

あらすじ

巨大隕石の落下により、地球環境の急激な温暖化が始まる。生存への道を宇宙に見出した人類は月面にコロニーを建設。続いて火星への有人ミッションが計画される。火星への往復に要する期間は三年。宇宙飛行士のエルマ・ヨークは、メンバーに選出されるが、家族かキャリアか、どちらを選ぶべきかで苦悩するのだが……。

ここからネタバレ。前作『宇宙へ』へのネタバレも含む

1963年の火星有人ミッション

前作『宇宙へ』の感想でも書いたが、この物語は歴史改変系のエスエフ作品である。この世界の地球では、巨大隕石が米国に落下。巻き上げられた粉塵で地球環境の温暖化が加速している。このままでは人類存亡の危機!ということで、宇宙開発が猛烈な勢いで進められている。

『宇宙へ』では、1958年に月面への到達を達成。現実世界では1969年の出来事だから、なんと11年も早い。そして本作『火星へ』では、現実世界では未だ人類が達成していない火星への有人ミッションに、なんと1960年代に挑戦している。黎明期のコンピュータと航計士の手計算で挑む火星への旅が今回も熱い!

宇宙開発への抵抗勢力

地球脱出に向けて宇宙開発が急ピッチで進められているこの世界だが、米国本土は巨大隕石の直撃を受けた直後である。国土は荒廃し、復興も道半ばである。このような状況下では遠い未来の宇宙進出よりも、目先の復興を優先すべきだとする勢力が当然出てくる。

その中で、特に過激化しているのが地球ファースト主義者と呼ばれる組織である。彼らは宇宙開発を止めるためにテロ行為も辞さない。物語の冒頭、地球へ帰還するエルマ・ヨークが乗った往還船は地球ファースト主義者によってジャックされる。

これからのエルマたちの計画が容易には進まないであろう暗示。そして物語の緊張感を高める意味でもこれはなかなかに良い導入部だった。

宇宙進出が今後、可能になったとしても、すべての人類が救えるわけではない。体力的問題で宇宙に行くことが不可能な人間も当然出てくるだろう。地球に残らざるを得ない人々も出てくる。それでも、人類は前に進むべきなのか?シリーズの根幹に関わるのではないかと思われる問いかけが、この時点でなされていることは注目に値する。

差別意識が火星への道を阻む

エルマたちの火星ミッションを阻むのは地球ファースト主義者たちだけではない。『宇宙へ』でもテーマとして掲げられていた、女性差別、人種差別は『火星へ』の中でも大きな比重を占めている。

知力、体力、人格、すべてに卓越した、エリート中のエリートとして選ばれてきた宇宙飛行士ですら差別意識からは逃れることが出来ない。平等なはずの宇宙飛行士の中でも、炊事や洗濯の作業はなぜか、女性ばかりに割り当てられる。明らかに適正を持つメンバーなのに、黒人であるという理由だけに、重要な作業にアテンドされない。

こうした差別意識は、三年もの長期間、ともに旅をする宇宙飛行士たちの信頼関係を静かに蝕んでいき、やがて致命的な事故へと繋がっていく。

衝撃的だったのは宇宙空間で死亡者が出た際の対応である。手順はこうだ。

  1. 収容袋に遺体を入れる
  2. 宇宙空間の超低温に晒し冷凍する
  3. 収容袋に衝撃を与え遺体を粉砕する
  4. 粉砕された遺体を宇宙空間に散布

これは、確かに深刻なトラウマになりそう。

対応に従事したエルマは、この非人道的な手段に激しい嫌悪感を抱き、遺体の対応について改善を求めていく。しかしこの結果も新たな悲劇を生み出していく要因となるのだから、宇宙空間とは冷酷なものである。

閉鎖空間での濃密な人間関係

本作の見どころは多数存在するが、特に重要なのは、個性豊かな宇宙飛行士間の人間関係だ。今回の火星ミッションでは、探索船のニーニャとピンタ。無人補給船のサンタマリア。これらに十四人ものメンバーが乗り込み火星へと向かう。

後からミッションに参加したエルマは、結果的に先行参加していたメンバーを押しのけてしまうことになった。結果として、先任のメンバーたちはエルマに対して非友好的であり、船内には友人が居ない状態で火星への旅が進む。

加えて、ミッションリーダーであるパーカーと、エルマは第二次大戦時以来の犬猿の仲である。パーカーは優れたリーダーだが、若いころから女癖が悪く、男尊女卑的な志向も強い。この二人の関係性がどう変化していくのかが、物語の大きな部分を占めている。

女性関係的にはクズ人間でありながら、愛妻家という側面を両立させているのがパーカーという人間の複雑な部分である。火星ミッションのような、極限の閉鎖環境で、対立し、反目しあっていた男女が、次第にお互いを認め、惹かれあっていく流れは王道の展開だ。このまま、パーカーとエルマが関係を持ってしまっても、不思議ではないのではと思ったのだが、それはうがった見方にすぎるだろうか?

レディ・アストロノートシリーズまとめ

最後にシリーズ作品をまとめてご紹介しておこう。メアリ・ロビネット・コワルのレディ・アストロノートシリーズのラインナップは以下の通り。

『宇宙(そら)へ』下巻の解説p404~405と、『火星へ』下巻の解説p333~p334を参考にさせていただいた。年号は米国版の刊行年である。

  1. The Lady Astronaut of Mars『火星のレディ・アストロノート』(2013年)中篇
  2. We Interrupt This Broadcast(2013年)短篇
  3. Rockets Red(2015年)短篇
  4. The Phobos Experience(2018年)短篇
  5. The Calculating Stars『宇宙へ』(2018年)
  6. The Fated Sky『火星へ』(2018年)5の続篇 ※本書
  7. Articulated Restraint(2020年)短篇
  8. The Relentless Moon(2020年)6の姉妹編
  9. The Martian Contingency(2022年刊行予定)6の続篇

一作目の『"The Lady Astronaut of Mars"』は「SFマガジン」の2020年10月号に邦訳版が掲載されている。時系列的にはかなり未来の内容になっている。

五作目の『The Calculating Stars(宇宙へ)』がベースとなる始まりの物語。今回ご紹介する『The Fated Sky(火星へ)』は六作目で『The Calculating Stars(宇宙へ)』の直接的な続編。八作目の『The Relentless Moon』は、サブキャラであった、ニコール・ウォーギンを主人公にした外伝的なエピソード。そして九作目の『The Martian Contingency』は『The Fated Sky(火星へ)』の後の話とされている。

前作『宇宙へ』の感想はこちらから

火星エスエフの古典、ブラッドベリの『火星年代記』の感想はこちら

余談ながら、『火星年代記』にはナサニエル・ヨークという名の宇宙飛行士登場する。また『火星へ』の中で、火星に築かれた基地の名前がブラッドベリ基地である。