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『追想五断章』米澤穂信 リドルストーリーと最後の一行

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「青春去りし後の人間」を描いた一作

2009年刊行作品。集英社の文芸誌『小説すばる』の2008年6月号~12月号にかけて連載されていた作品を、加筆修正の上で単行本化したもの。

集英社文庫版は2012年に登場している。解説は葉山響(はやまひびき)。

単行本版とはカバーデザインが全く変わってしまっており、単行本派としては少々残念である。

追想五断章 (集英社文庫)

単行本版の帯には「米澤穂信が初めて「青春去りし後の人間」を描く最新長編」とある。少年少女が主人公ではない点で「青春去りし後の人間」を描いたことには異論がない。しかし2005年作品の『犬はどこだ』では25歳の人物が主人公となっており、「初めて」とした部分には違和感を覚えるなあ。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

1990年代前半、バブル崩壊後に学生時代を過ごした方。学生の頃はお金がなくて辛かったなと思っている方。複雑な構成のミステリ作品を読んでみたい方。少年少女が主人公ではない米澤穂信作品を読んでみたい方におススメ。

ただし、暗い記憶が呼び起こされるかもしれないので、その点はご注意を。

あらすじ

亡き父の書いた五編の小説を探して欲しい。依頼人、北里可南子はそう告げた。叔父が経営する古書店でアルバイトをしていた菅生芳光は、高額の報酬に釣られてその依頼を引き受ける。調査を開始した菅生は、可南子の父、北里参吾が関与したとある未解決事件に行き当たる。結末の伏せられた五つの小説にはどんな意味があるのだろうか。

ココからネタバレ

バブル崩壊後の暗い世相を描く

『追想五断章』の時代設定は「平成四(1992)年」とされている。バブル景気崩壊直後であり、ここから日本は「失われた10年」とも呼ばれる長い低迷期に入る。企業の倒産が相次ぎ、未曽有の就職難の時代が始まる。主人公である菅生芳光(すごうよしみつ)や同僚の久世笙子らは、最初期の氷河期世代に該当するはずである。

氷河期世代に落とされた暗い影。職もなく金もない。将来の見通しも立たない。先行きの見えない不安な時代の暗い世相が本作には色濃く反映されている。

私事で恐縮なのだが、わたし自身はバブル世代の最後の方の年代に属する。ただ、本来の時期に卒業できなかったので(お恥ずかしい)、就職できたのはバブル崩壊後である。それまで選ぶほどあった就職先が無くなり、バイトですら容易に見つからない。仕送りも減り、瞬く間に金は無くなっていく。ちょっとした移動の交通費さえ惜しくなり、外食も滅多に出来なくなる。思い返してもあの頃は暗黒時代であった。二度と戻りたくない時期である。

それだけに、この物語は思い出したくない、暗い記憶を再び呼びさましてくれる一作である。バブル崩壊直後に学生時代を過ごした人間には、古傷を抉られるような感慨を覚える方も居られるはずである。

「アントワープの銃声」の元ネタは?

本作では、北里参吾(きたざとさんご)が巻き込まれた一大疑惑として「アントワープの銃声」事件の顛末が描かれる。これには元ネタがあるのではないかと思われる。

海外で起きた日本人による妻殺しで、とりわけ有名なのが1980年代の前半に発生した「ロス疑惑」事件である。

別名「疑惑の銃弾」事件とも呼ばれており、「アントワープの銃声」はこの事件を意識しているのではないかと思うのだが、穿った見方に過ぎるかな?

あの頃のマスコミ報道の過熱ぶりは凄まじいものがあった。テレビのワイドショーなど連日この事件ばかりを取り上げていた。現在アラフィフ以上の年代の方であれば記憶に残っているのではないだろうか。

あの事件と同等の注目が集まっていたのだとすれば、北里参吾が受けた精神的な重圧は相当なものがあったのであろう。

五編のリドルストーリー

本作は、北里参吾(きたざとさんご)が叶黒白(かのうこくびゃく)の名義で遺した五編の小説を探す物語である。この五編はいずれも発表媒体では結末が伏せられており、リドルストーリーの形式を取っている。

リドルストーリーとはWikipedia先生から引用させていただくと以下のような意味がある。

リドル・ストーリー (riddle story) とは、物語の形式の1つ。物語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了することを主題としたストーリーである。リドル (riddle) とは「なぞかけ」を意味する。

リドル・ストーリー - Wikipediaより

ただ、北里参吾は手元に結末と思われる「最後の一行」を残しており、実際には結末が存在する内容となっている。各エピソードのタイトルと掲載誌、おおまかな内容と、「当初の結末」を以下にまとめた。

『奇跡の娘』

掲載誌:「壺天」昭和48年春号

ルーマニアのとある村が舞台。永遠に眠り続ける娘を「この世の災いを、何一つ知らずにいられる」存在として見守る母親。娘は本当は目覚めているのではないか?その晩、家は炎に包まれる。果たして娘は出てくるのだろうか?

結末:明け方に見つかった焼死体。それが、哀れな女の末路であった。

『転生の地』

掲載誌:「新紐帯(しんちゅうたい)」1973年冬号

インドのとある村が舞台。殺人の罪を犯し裁かれる男。転生を妨げるため、死体の損壊は禁忌とされる。ただ殺したのなら本人だけが死刑。死体を傷つけたらなら家族も連座させられ処刑される。男に下される罰は?

結末:そして幼な子までが命を奪われる。私はただ、瞑目するしかなかった。

『小碑伝来』

掲載誌:「朝霞句会」昭和五十年春号

中国、南宋時代の逸話。大言壮語の癖があり、勇猛な将軍と称えられた男だったが、叛乱軍の前になすすべもなく敗れる。自死するか、妻を死なせるか。二者択一を迫られた男が選んだ運命は?

結末:どうやら一刀の下に、男の首は落とされたものらしかった

『暗い隧道』

掲載誌:「弦巻アキラのショート小説劇場」

ボリビアのとある街が舞台。元スパイと噂される男が、危険な隧道を妻子に通らせる。罠が仕掛けてあるのではないか?なかなか戻らない妻子を救うため、捜索隊が組織される。果たして、妻子は無事なのか。男は罠の存在を知っていたのだろうか。

結末:決まりの悪い作り笑顔で、暗がりから女の子が現れた。

『雪の花』

掲載誌:なし(北里参吾が死の間際に看護師に託していた)

スウェーデンのとある村が舞台。放蕩に明け暮れる男と、それを批難しようとしない妻。男の誕生日に、妻は美しい雪の花を得ようとして、氷河の亀裂に落ちて命を落とす。

結末:すべてはあの雪の中に眠っていて、真実は永遠に凍りついている

最後の一行に込められたもの

この物語では、五編の作中作があり、しかもそれぞれの結末である「最後の一行」が伏せられている。「最後の一行」は本編とは別に、現在では北里可南子の手元にある。

全ての作品は、妻や子の夫との関係性を描いた内容となっている。そのため、それぞれの結末は交換可能である。これが読み手のミスリードを誘うものであろうと、予想がつく読者は多かったのではないだろうか。

結末を入れ替えることで、全く異なる真相が明らかになる。

米澤穂信作品で、「最後の一行」にこだわった作品と言えば『儚い羊たちの祝宴』が想起させられるが、本作のこだわりはそれ以上。これは相当に手の込んだ技巧が凝らされた作品である。

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『王とサーカス』  / 『真実の10メートル手前』

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『本と鍵の季節』 / 『栞と嘘の季節』

〇その他

『さよなら妖精(新装版)』/『犬はどこだ』/『ボトルネック』/『リカーシブル』 / 『満願』 /『儚い羊たちの祝宴』『追想五断章』『インシテミル』『Iの悲劇』 / 『黒牢城』 / 『可燃物』