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『残月記』小田雅久仁 月はそれぞれの人間の心の闇に昇ってくる

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日本SF大賞受賞作

2021年刊行作品。双葉社の小説誌「小説推理」に2016年~2019年にかけて、散発的に掲載されていた三編の作品をまとめたもの。

作者の小田雅久仁(おだまさくに)は1974年生まれの小説家。2003年に『影舞(未刊)』が、第15回日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となり、その後2009年に『増大派に告ぐ』で、第21回の日本ファンタジーノベル大賞の大賞を受賞。作家としてのデビューを果たしている。

残月記

十五年近い作家としてのキャリアがあるが、作品数は少ない。小田雅久仁の既刊は以下の通り。

  • 増大派に告ぐ(2009年)
  • 本にだって雄と雌があります(2012年)
  • よぎりの船(2020年)※電子書籍のみ
  • ラムディアンズ・キューブ(2021年)※電子書籍のみ
  • 残月記(2021年)

『残月記』は、紙の本としては、第二作である『本にだって雄と雌があります』以来、九年ぶりの新刊だった。『残月記』は発売以降、各方面で話題となり、第19回の本屋大賞では第7位にランクイン。さらに第43回吉川英治文学新人賞、第43回日本SF大賞を受賞。小田雅久仁の出世作となった。

なお、音声朗読のオーディブル版は2022年に登場。ナレーションは声優の岡井カツノリが担当している。

『残月記』の音声朗読版をAudibleの無料体験で試す。

あらすじ

苦学の末にようやくにして得た、正規の大学教員職。そして教授にまで昇進した男。しかし赤い満月の夜。すべてが反転する(そして月がふりかえる)。叔母の形見、不思議な模様の石は、枕の下に入れて眠ると不思議な夢を見ることができる(月景石)。全体主義国家化した近未来の日本。不治の感染症、月昂に罹患した男は、隔離施設へ送られ数奇な運命をたどることになる(残月記)。月をモチーフとした三編のオムニバス作品集。

以下、各編ごとにコメント。

ここからネタバレ

そして月がふりかえる

初出は「小説推理」2016年2月号。

大槻高志(おおつきたかし)は、幼くして母が自殺、父親の暴力を受けながら育つ。なかなか芽の出ない不遇な前半生から、やっとの思いで大学の正規教員に。幸せな家庭を築き、教授に昇進。ようやく人生が好転し始めたところで、まさかの展開に。「月の裏側」の世界へ迷い込んでしまった男の物語。

日頃、わたしたちが見慣れている月は「表側」の部分である。月は自転と同時に公転を行っているので、地球上にいるわたしたちが「裏側」を見ることができない。「そして月がふりかえる」は、思わぬ運命のいたずらから「裏側」に迷い込んでしまった男の物語だ。何もかもが「表側」と同じ世界に見えるのに、自分の居場所だけが無い。愛する妻や子も。必死の思いで手に入れた社会的地位も奪われてしまう。

気に入ったのはこのフレーズ。

太陽はみなの頭上に分け隔てなく昇ってくるが、月はそれぞれの人間の心の闇に昇ってくるのかもしれない。

『残月記』「そして月がふりかえる」p18より

そして、主人公の人生が反転する、「そして月がふりかえる」シーンの描写が鮮烈で、なんとも印象的だった。ラストはいかにも続きがありそうな、魅力的なオチなのだけれども、続篇は書いてくれないのかな?

月景石(げっけいせき)

初出は「小説推理」2017年7~8月号。

29歳で早逝した叔母、桂子が残した不思議な模様の石、月景石。澄香(すみか)は、不思議な夢を見る。月の世界。そこで澄香は、「イシダキ」のスミカドゥミと呼ばれ、囚われの身としてどこかに運ばれている。その先には過酷な運命が待ち構えていた。

月景石と共に眠ると悪夢を見る。叔母の残したことばの通り、澄香は最悪の事態に巻き込まれる。巨大な大月桂樹がそびえたつ月面のふしぎな世界。生まれながらに体内に石を持つスミカドゥミたちは「イシダキ」と呼ばれ、それぞれに異能力を持つ。唯一、その異能が明らかになっていなかった澄香の力とは何だったのか。最後の石が揃う時、世界は変転していく。短編作品にはもったいないほどの、丁寧に作りこまれた世界観が読み手を魅了する。

作中で言及されたエストニアの作曲家アルヴォ・ペルト(Arvo Pärt)の、「アリーナのために(Für Alina)」がとてもいい曲だったのでリンク。現実世界から、異世界へと誘われていく導入BGMとして最適なのではないかと。これを機会にアルヴォ・ペルトを聴くようになった。

残月記(ざんげつき)

初出は「小説推理」2019年4~7月号。「そして月がふりかえる」「月景石」は60頁程度の短編だったが、こちらは200頁程度の中編作品となっている。

感染後、五年後の生存率は17.1%。それを生き延びた者ですら、長くは生きられない。不治の病、月昂(げっこう)に罹患し、隔離収容施設に送られた宇野冬芽(うのとうが)は、恵まれた体格を見込まれて、地下格闘技の世界へと送られる。30戦勝ち抜けば、愛した女と暮らす平穏な余生が保障される。だがそれはあまりに危険な賭けだった。

前半は感染症、月昂の説明が続く。月昂は、近未来を想定されたこの時代でも完治が見込めない難病となっている。そのため、月昂患者は感染が発覚した段階で収容施設に送られ、隔離されて一生を終えることになる。不当なまでの差別と、虐待的な処遇は多分に、ハンセン病を意識した設定となっていて、読んでいてきつかった。

また、この世界では未曾有の大災害、西日本大震災が発生。非常事態の中から独裁政権が誕生し、日本は言論や自由が制限された全体主義国家となっている。

月昂に感染した人間は、月の満ち欠けに強い影響を受け、満月期には五感が冴えわたり、超人的な能力を発揮する(平井和正の「ウルフガイ」シリーズを思い出す)。一方で、新月時には体を動かすこともままならない昏冥期に入り、その際に少なからぬ数の月昂者が死を迎える。

物語の展開がなかなか見えてこないのだが、主人公の宇野冬芽は、剣闘士の世界へ足を踏み入れていくことになる。えっ、格闘技小説になっちゃうんだ!この急展開には驚かされた。ディストピア世界における裏格闘技の世界がエグイ。剣闘士は、勝利を得ると、好きな女を指名し一夜を共にすることできる。女たちは勲婦(くんぷ)と呼ばれる月昂患者である。これも相当に苛烈な設定だ。

裏格闘の世界で、才能を発揮し勝ち抜いていく冬芽。やがて彼は運命の女、山岸瑠香(やまぎしるか)に出会い、心を通じ合わせていく。この試合に勝てば引退できる。瑠香と二人で暮らせるようになる。そんな冬芽と瑠香の願いも虚しく、運命は二人を切り裂いていく。

クーデター計画に巻き込まれ、かろうじて生き長られた冬芽は、そこから長い長い逃亡生活に入る。唯一身に付けた、木彫の才が冬芽の心を救う。江戸時代の修行僧、仏師であった円空の軌跡をなぞるように、膨大な数の作品を残していく冬芽。彼は、生き別れとなってしまった瑠香のもとに、自らが刻んだ作品を送り続ける。逃亡者である冬芽は、表の世界に出ることができないし、瑠香もまた、月昂者として施設から出ることはできない。この作品、終盤は、切ない恋愛小説として結実していくところが、まったく予想外で、それだけに心を打たれた。

宇野冬芽は、月昂者としては奇跡的な長命を保ち、最後に残された残月洞には、28,763体もの木彫が残されていたという。残月洞発見者の薄っぺらい実況解説が、まわりまわって読む側に巨大な感動を与えてくるテクニックは巧い。

月の裏側へ

以上、ざっくりとではあるが、『残月記』収録の三作についてご紹介してみた。

いずれの作品も月が作品の背景に横たわっている。「月の裏側」ともいえる、本来であれば行くことができない世界。日常から非日常への強制的な転換。戻ることのできない、非情な世界で生きていくことを強いられた人々の物語である。異世界に送られた登場人物たちは、絶望し、苦悩し、もがき続ける。彼らは逃げられないし、そこで生きていくしかない。

ここで、冒頭に引用した「そして月がふりかえる」内のフレーズをもう一度振り返ってみよう。「月はそれぞれの人間の心の闇に昇ってくる」のだ。『残月記』は読む側の心の中にある「闇」の部分を刺激してやまない作品群なのだ。誰の心にも「闇」はある、そんなそれぞれの「闇」が、『残月記』の物語と共鳴し、大きな共感を呼んでいるのだと感じる。

残月記

残月記

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