累計260万部超の大ベストセラー作品
2015年刊行。住野よるのデビュー作である。本作はデビュー前に、各出版社の賞に応募するも入選には至らず、小説投稿サイト「小説家になろう」に掲載したところ、次第に評判となり書籍化に至った。「小説家になろう」出身の作家の中でも、特に成功しているうちの一人であろう。
文庫版は双葉社から2017年に登場している。現在手に入りやすいのはこちらかな。
あらすじ
高校生の僕が病院で拾った「共病文庫」と名付けられた日記帳。それはクラスメイト山内桜良が、余命僅かと知らされてからの日常を綴ったものだった。秘密を知ってしまったことで始まる二人の関係。友達を作らない孤独を愛する僕と、社交的で誰からも好かれる桜良。全く違うお互いのキャラクターに、いつしか二人は惹かれあっていく。
周到に計算された物語の複線
本作は難病モノの典型のような作品だが、全編を通じて作者の張り巡らした周到な仕掛けが施されている。相当によく練られた構成で、物語の前半に提示された不可解な描写は、謎めいた仄めかしは、終盤にかけて全て回収されていく。
通り魔の話は最初に出来てきたときからして唐突で、あからさまに怪しかったので、どこかで使ってくるのだろうと思っていたのだが、まさかヒロインに使ってくるとは。奪われることが決まっている悲しみと、突然予告も無しに奪われる悲しみ、二つの悲しみを知ることになった僕の慟哭が読み手にひしひしと伝わってくる。
タイトル名の回収と二人の名前の意味
『君の膵臓をたべたい』とはずいぶん不思議なタイトル名である。タイトル名の意味にについては、冒頭でその意味が提示されるのだが、最終パートでふたたびその意味が変容された形で使われる。意味の変化はふたりの関係の深化であり、このキーワードをここで使ってくるのか。計算された書き手の巧みさに震撼させられた。
さんざん、明かしてこなかった主人公の本名を、大ラスで使ってくるのもあざといながらもよくできた構成である。内向的で自身の殻に閉じこもりがちな僕と、外交的で誰とでも仲良くなれる桜良。まったく違うタイプの二人の名前が、期せずして同じ意味を持つものであったことは、双方に運命的な何かを感じさせたのかもしれない。
「それから」をどう生きるか
難病モノの真の価値は、遺された者がその後どう生きていくかにかかっていると考えている。死にゆく者は、愛する者がいつまでも悲嘆にくれて不幸になっていくことを決して望まない。他人の助力なしで自分の力だけで生きていける僕の本質を、桜良は尊重し認めながらも、自分が居なくなった後のことを考えて、他者とのつながりをこれからも持ち続けるようにと「共病日記」に最後の言葉を残す。
「共病日記」を読んだ僕が、恭子にぎごちない語り口で和解を呼びかけるシーンは本作のクライマックスシーンである。他の人間との関わり合いを一切否定していた僕が、遂にその殻を破って前に進もうとする。死してなお、遺されたものを「生かそう」とするヒロインの想いが溢れ出てくる、実に印象的な幕の引き方なのであった。
2010年代の難病モノの名作に
大切な人の死は耐え難いほどに悲しいものだし、その死が若いうちのものであればなおさら辛い。古今東西、難病に引き裂かれる恋人たちの姿を描いた作品は枚挙に暇がない。
ゼロ年代を代表する難病モノの名作と言えばやはり片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』(セカチュー)だろうか。
そして「セカチュー」後の正当後継者、2010年代を代表する難病モノの名作の座は「キミスイ」になっていくのだろう。小説版の爆発的なヒットに加えて、映画版もヒットし、アニメ化もなされた。TVドラマ版もそのうちやるんじゃないかな(予想)。
難病モノは作劇法として使い古された手段だが、劇的な効果があるからこそ多用されてきたのである。王道パターンであるが故の様式美の美しさもある。こうした物語が、その時代時代にあった手法で、再生産されていくのは健全な事なのだと思う。
映画版の感想「12年後」の世界も描かれる!
主人公(僕)がイケメン過ぎる。どれだけボッチの非コミュキャラでも、これだけ格好良かったら女子が放っておかねー。実写化時にありがちな現象であるが、もう少しなんとかならなかったのか。
一方でヒロインの桜良は比較的イメージに近しいキャスティング。浜辺美波の魅力が炸裂しているので、これだけでも見る価値がある。
こういう映画のヒロインとなると『世界の中心で愛を叫ぶ』の長澤まさみを思い出す。長澤まさみがこの作品から一躍人気女優にブレイクしていったように、浜辺美波もこれからもっと売れていくかもしれないね。
映画版のキャスト一覧はこちら。
志賀春樹(北村匠海) ※学生時代
志賀春樹(小栗旬)※12年後
山内桜良(浜辺美波)
滝本恭子(大友花恋) ※学生時代
滝本恭子(北川景子) ※12年後
ガム君(矢本悠馬) ※学生時代
ガム君(上地雄輔) ※12年後
桜良の母(長野里美)
映画版最大の特徴は12年後の大人となった主人公(僕)の姿が描かれることなのだが、小栗旬のキョドり演技がすごい。目の泳ぎっぷりとか最高で、高校時代よりももっと非コミュキャラになってないか?これは小栗旬の演技力を褒めるべきなのだろうけど。
ただ、恭子との再会を十二年後に持ってきたのはさすがに引っ張りすぎ。あの手紙を読むまで覚醒できなかったとか、いくらなんでも残念すぎる。しかも再会シーンを、よりにもよって結婚式の場面に設定するのはどうなの?これ、相手がガム君じゃなかったらブチ切れてるよね。
なお、映画版の『君の膵臓をたべたい』は現在(2019/4/27)、Amazonプライムビデオの対象となっているので、プライム会員は無料で視聴可能。
アニメ版はまだ見てない
アニメ版は2018年の9月に登場。残念ながらまだ見られていないので、視聴後感想を追加予定。