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『冬にそむく』石川博品 あたりまえの日常を奪われた世界で

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2023年4月刊行作品。発売されて早々にゲットしたのだが、タイトル的にこれは冬に読むべき!と思って10ヵ月寝かせてようやく読んだ。ホントは冬の間に感想をあげたかったのだけど、ボヤボヤしているうちに春になってしまったよ。。。

石川博品の新作が三年振りに登場!

作者の石川博品(いしかわひろし)は1978年生まれのライトノベル作家。第10回エンターブレインえんため大賞小説部門優秀賞を受賞した、2009年刊行の『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』がデビュー作。

わたし的には初読みの作家さんになる。有名なのはデビュー作のシリーズと『ヴァンパイア・サマータイム』、『海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと』あたりだろうか。前作は2020年の『ボクは再生数、ボクは死』なので、三年振りの新作ということになる。

冬にそむく (ガガガ文庫)

本作の表紙、本文イラストはイラストレータsyo5によるもの。この表紙イラストのインパクトが凄すぎて、久しぶりにジャケ買いしてしまった。素晴らし過ぎる。

syo5自身によるタイムラプス動画が上がっていたのでシェアしておこう。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★★(最大★5つ)

冬を舞台としたライトノベル、特に恋愛要素の強い青春小説がお好きな方。三浦半島の葉山町がお好きな方。現在住んでいる、かつて住んでいた、もしくは大切な人がそこ居たことのある方。コロナ禍の文学に興味がある方。とにかくエモい物語が読みたい方におススメ!

あらすじ

空前の冷夏。九月に振る雪。歴史的な異常気象「冬」がはじまり、人々の暮らしは一変する。高校生の天城幸久は、母とのふたり暮らし。生活は楽ではない。大雪で学園生活もままならず、オンラインでの授業が続く。「冬」をきっかけとして、近所に住む転校生の真瀬美波と交際することになった幸久。当たり前の日常が失われていく中、ふたりは逢瀬を重ねていくのだが……。

ここからネタバレ

三浦半島の葉山町が舞台

作中では神奈川県の三浦半島、出海(いずみ)町とあるが、描写を読む限りでは、同県の葉山(はやま)町が舞台になっているものと思われる。葉山町は三浦半島の北西部に位置する自治体で皇室の御用邸があることで知られる。風光明媚な地としても有名で、夏には大勢の観光客が訪れ、別荘も多い。

表紙になっているのは京急バスの真名瀬(しんなせ)バス停だ。年代モノの古びた待合室。背景には相模湾。晴れれば富士山も見える。三浦半島屈指のエモーショナルなスポットとして知られている。こんな記事が書かれちゃうくらいだ。

主人公の天城幸久(あまぎゆきひさ)と、ヒロインの真瀬美波(まなせみなみ)は、お隣の横須賀市にある横須賀西高校にバス通学している。葉山町には鉄道が通っておらず、町民、特に学生はバスによる移動がベースとなる。ちなみにふたりが通う横須賀西高校のモデルは、三浦半島内の地域トップの進学校、横須賀高校(通称は「よここう」である)だろう。

導入が最高に格好いい

オープニングに登場する杜野(もりの)海水浴場のモデルは森戸海水浴場と推定。葉山でも特に大きな海水浴場として知られている。

導入パートが終わると、一面に雪が積もった杜野海岸のビジュアルと共に、タイトルの「冬にそむく」が目に飛び込んでくる。茫漠とした一面の雪景色の中でただひとり立ちつくす主人公と、僅かに見える鹿の足跡。完璧なタイトルコールで、この瞬間に本作が名作であることを確信した。ライトノベルだからこそできる視覚的な演出で、これは本当に格好いいと思った。痺れるねえ。

「冬」の訪れとあたりまえの日常の終わり

この物語では異常気象「冬」により、通常であれば温暖な地であるはずの三浦半島でも毎日大雪が降るほどの日々が続いている。交通機関は麻痺し、学校行事は次々と中止になり、授業すらもオンラインになってしまう。

幸久の両親は、彼が幼いころに離婚。現在は母親とふたり暮らし。母親は地元の観光ホテルでフロント業をしているが、「冬」の影響で観光客が激減し生活に深刻なダメージを受けている。県下有数の進学校に通う幸久は、ふつうであれば大学進学を目指すところだが、学費の心配からその将来には暗雲が立ち込めてきている。

この「冬」の設定は、明らかに昨今の新型コロナウイルスの社会世相を反映したものだ。当たり前の日常が送れなくなったここ数年の学生事情が、本作には強く反映されているのだ。コロナの5類移行が確定し、急速にかつての日常が取り戻されつつある中、ババを引かされた感の強いコロナ世代のやりきれなさは、本当にいかばかりかと思う。

「冬」のボーイミーツガール

『冬にそむく』は雪かき小説だ。雪かきにはじまり、雪かきに終わると言っても過言ではない。だいたいにして、主人公がヒロインに出会ったきっかけも雪かきだし、主人公の仕事も、ラストシーンまでもが雪かきだ。

『冬にそむく』は「冬」を舞台としているだけに、この季節ならではのデートシーンが数多く登場する。同じ部屋で炬燵に入りながらオンライン授業に参加するふたり。雪の海岸でかまくらを作ってみる。桟橋で釣り糸を垂れてみる。雪の中での横浜三塔めぐり。ちょっと背伸びをした渋谷での一夜。小さな逢瀬を積み上げて、関係を深めていく主人公と美波の姿が眩し過ぎる。

しかし現実世界はふたりの意のままには動かない。電力不足で動かない観覧車、灯らないイルミネーションはその象徴だ。見たいものが見られない。やりたいことができない。そしていつまでも、ふたりのままではいられない。幸せなふたりだけの時間ですらも、「冬」の暗い影が常時付きまとうのだ。

自分で人生を選べない「冬」の時代

人生は、特に若年期は、どうしても生まれや育ち、家庭環境に大きな影響を受ける。経済的な困窮は、進路の選択肢を著しく狭めてしまう。自分で稼げない以上、自分の進路だって自分の希望だけでは選べない。

この潮の香、波の音からけっして逃れられない。見えないところから忍び寄り、噛みついて深みに引きずり込もうとする。

『冬にそむく』p137より

この暗澹たる主人公の述懐からは、生れ育ったこの場所から自分は逃れることができないという、深い絶望が滲み出ている。

一方の真瀬美波は、裕福な家庭で育つも、早くに母親を亡くし、父親との関係はうまくいっていない。父の別荘で一人暮らしを始めてみたものの、慣れない生活で体調を崩してしまう。父親はもっと環境の良い場所で、優れた教育を受けさせたいと望んでおり、いつまでもこの土地に居ることは許されない。美波もまた、自分の意思だけで将来を決めることは出来ない。

そして唐突にやってきた「冬」は、ふたりの人生の選択肢をさらに狭めてしまう。更に「冬」は、ふたりが一緒に居られるわずかな時間すらも奪ってしまうのだ。

それでも未来を「選ぶ」

象徴的なのは、ラストの海辺のシーンだろう。半ば死を覚悟して飛び込んだ「冬」の海から生還することで、ふたりは再び現生に産み落とされた。

お互いの生まれも育ちも違う。同じようには生きられない。ましてや「冬」が、ふたりをさらに引き離そうとする。それでも人間は、限られた選択肢の中で生きていくしかない。過酷な状況下でふたりがそれぞれに選んだ最善手は何だったのか。

ままならない人生だけれども、自分を肯定してくれる存在がどこかで生きていてくれるのならば、自分も生きられる。たとえ一緒に在ることができなくても、それだけで「冬」に抗える。

今のふたりは自由に人生を選べないけれど、少しでも寄り添える可能性の高い未来を「選ぶ」。

余談

おまけ。『冬にそむく』を途中まで読んで、これは「難病モノ」だと思った人!

これ、絶対わたし以外にもいると思うのだけど、そう思わせるミスリードやたらにあったよね??美波は序盤からやたらに咳き込んでるし、途中で入院までしちゃうし、ああ、これは美波、病気で死ぬんだなって終盤まで信じてた。

「難病モノ」で終わったら、正直ここまで良作認定はしなかったと思うので、予想を裏切られてホッとした。

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