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『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー 難民となったパレスチナ人の苦難を綴った作品集

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爆殺されたパレスチナ人作家

作者のガッサーン・カナファーニー(Ghassan Fayiz Kanafani/غسان كنفاني)は、1936年生まれのパレスチナ人。12歳の時に、ユダヤ人系武装組織に故郷を襲撃され難民となる。その後、作家、ジャーナリストとして活躍したが、1972年、自身の車に仕掛けられた爆弾によって殺害されている。

1972年と1973年にベイルートで刊行されたカナファーニーの遺稿集が本書のオリジナルとなっている。日本国内では、1978年に刊行された「現代アラブ小説全集」の、ラインナップの一冊として世に出ていた。翻訳者は黒田寿郎(くろだとしお)と奴田原睦明(ぬたはらのぶあき)。

本書は長らく入手困難な状態であったが、2009年に新装版である河出文庫版が登場。ただ、文庫版もここ数年は手に入れるのは難しくなっていたのだが、近年のパレスチナ情勢もあり増刷が確定。2023年11月に第二版がリリースされ、わたしもなんとか手に入れることができた。

ハイファに戻って/太陽の男たち (河出文庫)

単行本版の解説は、訳者のひとりである奴田原睦明、当人が執筆。各エピソードの解説が載っているが、思いっきりネタバレを含むので本編に入る前に読むのは危険。文庫版の解説は作家の西加奈子が書いている。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

アラブ文学に興味がある、もしくはいちど読んでみたいと思っていた方。パレスチナ問題について知りたい方。パレスチナとイスラエルの歴史に触れてみたい方。人と人とのわかりあえなさについて考えてみたい方におススメ!

あらすじ

出稼ぎのため、豊かな隣国クウェートに密入国しようとした三人の男たちの顛末(太陽の男たち)。故郷を追われた日の鮮烈な記憶(悲しいオレンジの実る土地)。難民となった少年と、少年に同情する教員のかみ合わない日常(路傍の菓子パン)。難民キャンプで暮らし、職にあぶれた男の鬱屈した心情(盗まれたシャツ)。逃亡中のパレスチナ人と彼を追う男(彼岸へ)。生き延びるためには何でもする。苛烈な人生を送る少年の物語(戦闘の時)。20年の歳月を経て、奪われた故地に帰ってきた夫婦が目にしたのは(ハイファに戻って)。

最初と最後に掲載されている「太陽の男たち」と「ハイファに戻って」は中編ボリュームの作品。残る五編は短編となっている。

それでは、以下、各編ごとにコメント。

ここからネタバレ

太陽の男たち

アブー・カイス、アスアド、マルワーン。家族を養うため、ままならない今を変えるため、行き詰った現状を打破するため。三人の男はクウェートへの密入国を決意する。手配師のアブ=ル=ハイズラーンは彼らを空の給水タンクに隠し、国境を越えようとするのだが……。

表題作その1。貧困のために幼い娘を死なせてしまったアブー・カイス。金のために望まない結婚を強いられているアスアド。本当は医者になりたかったマルワーン。三人のパレスチナ難民男性が、人生を変えるためにクウェートを目指す。三人を密入国させようとするアブ=ル=ハイズラーンは、かつてパレスチナゲリラの一員だったが、戦闘で男性機能を失っている。

大切な存在を、自分の尊厳を、そして未来を奪われた男たちが、それぞれの人生をかけて密入国を試みるも、待ち構えていたのは残酷な現実だった。三人を運ぶ、アブ=ル=ハイズラーン自身も大きな喪失感を裡にかかえた人物で、あまりにやりきれない結末が読み手の肺腑を抉る。

炎天下の中で長時間、灼熱の貯水タンクに閉じ込められた三人は、中でそのまま息絶えていた。

「なぜおまえたちはタンクの壁を叩かなかったんだ。なぜ叫び声をあげなかったんだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。」

『ハイファに戻って/太陽の男たち』「太陽の男たち」p103より

死の危険にあってもその窮状を訴えることができないパレスチナ難民。もしかしたら、彼らは叫び声をあげていたのかもしれない。だが、それを聞こうとするものが居なければ、いかなる叫びも無かったものにされてしまう。アブ=ル=ハイズラーンの最後の慟哭は、尊厳を奪われ続けているパレスチナ人の悲哀を象徴しているかのようだ。

悲しいオレンジの実る土地

1963年作品。

ユダヤ人武装組織の襲撃を受け、主人公とその家族たちは故郷を追われることになる。先祖代々の地を去らねばならない怒りと哀しみ。延々と続く難民たちの車列。彼らは最後にこの地で育てたオレンジを買う。

イスラエル建国の一か月前。1948年4月、武装したユダヤ人組織がパレスチナ人の集落を襲い、多くの人々を虐殺した(デイルヤーシン村の虐殺事件)。この事件をきっかけに恐慌状態に陥ったパレスチナ人数十万人が避難を開始。現在に至るパレスチナ難民のルーツとなった。「悲しいオレンジの実る土地」はこの事件を下敷きにした物語。

「オレンジは、その水加減をする手が変わると、枯れるのだ」

『ハイファに戻って/太陽の男たち』「悲しいオレンジの実る土地」p117より

この言葉に、土地と人との分かちがたい結びつき。故郷を奪われる側の、強い悲嘆が込められている。

路傍の菓子パン

1959年作品。

ダマスカス。靴磨きの少年ハミードは難民の子で11歳。幼くして路上での働きを強いられるハミードに、難民児童向けの教育施設で教員を務める主人公は同情を寄せる。主人公は、何くれとなくハミードに目をかけ、手を差し伸べようとするのだが……。

虚構の上に立つ子どもの人生。支援が必要な人間は、得てして支援をしたいと思う側が思い描いた姿をしていない。大人が、こうあって欲しいと願う理想の子ども像は、得てして現実とは乖離してしまうもの。だが、兄の無残な死、狂ってしまった父親を持ち、家族を食べさせるために働かざるを得ないハミード。彼が内面に構築した虚構は、過酷な現実でを生き抜くための唯一の拠りどころであるのかもしれない。

盗まれたシャツ

難民キャンプでの暮らし。見つからない仕事。飢える家族。配給の小麦粉は今月も遅延している。恨みがましい妻の目線。鬱屈とした日々を過ごし、追い詰められていく主人公に、配給資材横流しの話が持ち込まれる。

10頁ほどの掌編作品。横流し一味への加入を勧める男を、主人公はシャベルで殴り倒す。正義感とか人間の矜持の顕現でもあるのだろうけど、出所を失って溜まりに溜まっていた主人公の憤りが、出やすいところに一気に噴き出しただけなのではという感もある。きっかけが違っていたら真逆の選択もあり得たのではと思えるところが辛い。

彼岸へ

1962年作品。

要職にある男は、とある若者を追っている。男の前に現れた若者は言う「申し上げてえことがあるんですよ!」と。父祖の地を追われ、虐げられ、逃げる自由さえなく、生きる権利を奪われてきたものたちの怨嗟の声は、遂にある形を取ろうとしていた。

「あんた達は、この百万人もの人間から一人一人が持ってる各自の個性ってやつを喪わせちまったんですよ。」「これで生きてるっているか?これなら、死んだ方がましだ」。未来が与えられていないパレスチナ難民と、それをただ見ているだけ、見世物として消費している、わたしたち「外側」の人間とのコントラストが鮮烈。

戦闘の時

1968年作品。

18人がひとつの家に住み、やっとのことで暮らしている現実。家族の誰一人としてまともな職はなく、生き延びることが全て。主人公の僕は、今日も「戦闘の時」を果敢に、そして逞しく乗り越えていく。

難民第二世代、10歳の少年を主人公とした作品。難民キャンプで生まれた彼らには、故郷を奪われた悲しみはなく、あるのは目の前の過酷な現実だけ。生きていくには、持っているものから奪うしかない。倫理観が歪み、犯罪行為にも臆することなく手が出せる。「戦闘」が日常となってしまった子どもたち。西側社会の価値観では測れない世界がそこには広がっている。

ハイファに戻って

1969年作品。カナファーニー最後となってしまった中編作。

1948年。ハイファに住んでいたサイード・Sとその妻は、イスラエル軍の侵攻により街を追われ、混乱の最中で、生まれたばかりの我が子を失ってしまう。20年ぶりに故郷に戻ったふたりは、かつてのわが家に、ユダヤ人の親子が住んでいることを知る。そこで明かされる衝撃の真実とは……。

表題作その2。ここまで紹介してきたカナファーニー作品はいずれもパレスチナ人の視点で物語が描かれており、対立しているユダヤ人側の考えが示されることはなかった。そんなふたつの民族が、本作では遂に直接的な対話をかわすことになる。パレスチナ人と、ユダヤ人とが直接対面してその想いをぶつけあうが、その主張は全くの平行線で妥協の余地がない。

サイード夫妻から住む家を奪ったユダヤ人はポーランド出身で、第二次大戦中にナチスによりアウシュビッツで家族を殺されていた。奪われたものが、こんどは奪う側になる。ユダヤ人の夫妻は理性のある温厚な人物として描かれているだけに、それでも和解は程遠いのだと感じさせられ、パレスチナ問題の難しさを読み手に痛感させる。

そして失ったと思っていた我が子ハルドゥン(ドウフ)が、ユダヤ人夫妻の手によって、イスラエル人として育てられていた悲劇。イスラエル軍に所属し、強い愛国の思想を持つハルドゥンはサイードを「あなたは向こう側の人間だ」と突き放す。世代が進む中で、パレスチナ人とイスラエル人の相互理解はより絶望的なものになっている。

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