全世界2200万部の大ベストセラー
2020年刊行作品。オリジナルの米国版は2018年に出版されている。原題は「Where the Crawdads Sing」とわりとそのまま。作者のディーリア・オーエンズ(Delia Owens)は1949年生まれの作家、動物学者。
動物学者としてのキャリアが長く、1988年に刊行された『カラハリ アフリカ最後の野生に暮らす』は世界的なベストセラーとなっている。
『ザリガニの鳴くところ』のハヤカワ文庫版は2023年に登場。解説はコラムニストの山崎まどかが担当している。
『ザリガニの鳴くところ』はディーリア・オーエンズが69歳で初めて挑戦した小説作品である。版元の早川書房の記事によると、全世界での発行部数は800万部!とのこと。デビュー作でいきなりこの数字はスゴイ!
2023年11月の情報では全世界2,200万部突破!とのこと。凄まじすぎてコメントできない……。映画化で更に爆売れしたのだろうか。
なお、本作は2021年本屋大賞翻訳小説部門第1位に輝いている。
第1位は『ザリガニの鳴くところ』
— 本屋大賞 (@hontai) April 14, 2021
ディーリア・オーエンズ著、
友廣純訳、
早川書房
に決まりました!#本屋大賞
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★★(最大★5つ)
厳しい環境の中で戦い、成長していく少女の物語を読みたい方。美しくも濃密な自然描写の中で繰り広げられる恋愛ストーリーを楽しみたい方、1950~1970年代のアメリカを舞台とした作品を読んでみたい方。全世界で800万部も売れた超ベストセラー作品を読んでみたい方におススメ!
あらすじ
1950年代のアメリカ。ノース・カロライナ州。少女カイアは貧しい白人家庭に生まれ、やがて親兄弟にも見捨てられる。湿地の粗末な小屋でひとりで暮らす日々。日が昇る前に起きて、掘り出したムール貝の売上げで辛うじて命を繋ぐ。周囲の人々からは「湿地の少女」と蔑まれ、差別と偏見の中で生きていくカイア。深い孤独と絶望の中に居た彼女に、一人の少年が手を差し伸べるのだが……。
ココからネタバレ
過去と現在を交互に描く
本作の冒頭ではまず、村の有力者の息子で、好色漢として知られたチェイス・アンドルーが遺体で発見されるところから始まる。こちらが現代パートで1969年。
次の章は過去パートである。こちらは1952年、主人公であるカイアが6歳の頃、夫の暴力に耐えかねた母親が家を出るところからスタートする。
この物語ではまずチェイスの死が提示され。事件の捜査が現代パートでは進行する。一方の過去パートではヒロインカイアの幼き日の暮らしを丹念に綴り、その成長の過程を描いていく。
現代の事件にカイアはいかに関与しているのか。捜査が進展するにつれて、カイアへの容疑は深まっていく。過去パートは次第に現代へと近づき、最終的には同じ時間軸に合流する。ひたひたと迫り来る悲劇の予感。過去と現在を交互に描き、読み手を焦らしながら、カイアへの感情移入度を高めていく手法が上手い。
闘いの物語である
主人公カイアは、アメリカ南部、ノース・カロライナ州の貧しい白人家庭の生まれである。貧乏白人、ホワイト・トラッシュ (White Trash) と蔑称される彼らは、本来はとても居住に適さない湿地帯にしか家を建てることが出来ない。室内には虫がわき、カビが生えてくる。当然電気も水道もない。そんな場所で、カイアは10歳にして一人で生きることを強いられるのである。
内向的な少女として育ったカイアは人目を怖れ、他者との交わりを避けてしまう。他者から拒まれ続けてきた彼女は、差し伸べられた手を握り返す勇気すらないのである。
彼女を学校へ通わせようとする無断欠席補導員(そんな仕事があるんだね)のサリー・カルペッパーのような存在もいるのだが、村の少年少女たちの蔑視の視線に耐えられず登校を続けられない。
唯一の救いは、船着き場の燃料店の黒人店主ジャンピンと、その妻メイベルの存在である。この二人だけがカイアに救いの手を差し伸べる。ひたすら辛い序盤の展開の中で、彼らが居てくれたことがどれほどカイア(と読み手)の慰めになったことか。
最後の肉親であった父親に去られ、金も食べ物もなく、絶望の底に居たカイアが、ムール貝を拾い集めることで初めての報酬を得るシーンが強く印象に残る。無論これは、ジャンピンの恩情あってのことなのだが、これでカイアには自活の道が開ける。これから長く続いていく闘いの日々の、最初の一歩が力強く踏み出された名シーンなのである。
言葉と文字が世界を広げる
カイアの次なる転機は、村の少年テイト・ウォーカーとの出会いである。テイトはカイアに読み書きを教える。ものには名前があり、それは文字であらわすことが出来る。そして文字を読むことで目に見えない膨大な知識を得ることが出来る。
旺盛な向学心を持ちながらも、満足な教育を得られず「夢は叶わず消えていく」と信じ込んでいたカイアにとって、読み書きを学ぶことは大きな福音であった。ここで彼女は初めて家族と自分の名前の綴りを知る。
文字が読めることで世界が広がる。知識を得ることで遠くが見えるようになる。カイアの目線は次第に外へと向けられていく。彼女の中で閉じていた世界が一気に拡大していく展開に魅了された読者は多いのでないだろうか。
人との繋がりという意味でも、テイトとの交流はカイアを変えていく。頑なに閉ざされていたで彼女の心にも変化が訪れるのである。
美しい自然と恋愛描写
本作で描かれる湿地は魅力にあふれている。常に変化していく海辺の雰囲気。光と影のコントラスト。豊かな自然と動植物。複雑に入り組んだ水路。水辺の匂い。ここでは主な移動手段は車ではなくボートなのである。
そんな中で進展していく、カイアとテイトの恋愛描写が実に美しいのである。オオアオサギの眉、ゴイサギの頭の飾り羽。用心深く、極度に内向的なキャラクターであるカイアに対して、テイトは美しい鳥たちの羽を贈ることで関心を引こうとする。同じ価値観を共有できることを示し、テイトはカイアの心を開かせることに成功するのだ。
「秋の葉は飛び立つのだ」プラタナスの葉が舞い散る中でのファーストキスシーンも、読んでいるこちら側が赤面してしまいそうなロマンティックな描写である。しかし、辛い経験しかなかったカイアにとって、こうした少女時代の幸せな記憶は生きていく上での大切な糧となっていくのである。
"ザリガニの鳴くところ"とは?
さてこの物語のタイトル"ザリガニの鳴くところ"とはどのような意味があるのだろうか。作中ではカイアとテイトの会話の中で、以下のように語られている。
「どういう意味なの?"ザリガニの鳴くところ"って。母さんもよく言ってたけど」カイアは、母さんがいつもこう口にして湿地を探検するよう勧めていたことを思い出した。"できるだけ遠くまでいってごらんなさいーーずっと向こうのザリガニの鳴くところまで"
「そんなに難しい意味はないよ、茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きてる場所ってことさ。(以下略)
『ザリガニの鳴くところ』p155より
この時点では、深く気にも留めずに読み飛ばしてしまいそうな会話だが、ここが後々重要になってくる。
本作の中では、再三にわたって厳しい自然世界の掟が示される。哀れに死んでいく七面鳥。交尾した雌に食べられる雄カマキリ。異種の雄を食い殺す、蛍の世界の過酷な現実。作者のディーリア・オーエンズはもともと動物学者であっただけに、こうした自然界のエピソードが、ややもすると過剰に取り入れられている。
「生き物たちが自然のままの姿で生きてる場所」と書くと聞こえはいいのだが、そこは熾烈な生存競争の場である。幼くして自分の力だけで生きていかなくてはならなかったカイアにとって、この言葉が彼女の生き方、人生観を規定していく。
「そこに悪意はなく、あるのはただ拍動する命だけなのだ」「生物学では善と悪は基本的に同じ」であると。
法廷劇としての魅力
チェイス・アンドルー殺しの容疑者として拘束されたカイアは、法廷の場に立たされることになる。この物語の終盤は法廷劇の要素を多く含んでいる。
十分な殺害動機、現場に残された遺留品、状況証拠的には不利な要素がある。好奇と偏見に満ちた村人たちの視線。何よりもこの法廷は、陪審制なのである。村民たちに裁かれるカイアは無実を勝ち取ることが出来るのか。この展開は熱い。
孤立無援かと思われたカイアだったが、法廷には次第に彼女の味方が集まり始める。公正な弁護士トム・ミルトン。ジャンピンとメイベルの夫妻。生き別れた兄ジョディ。編集者のロバート・フォスター。そしてテイトとその父、スカッパーまでもが傍聴に訪れる。公判が開かれるたびに増えていく、カイアを信じる人々。それは内向的な彼女がこれまでの人生で、懸命に培ってきた人間関係の集大成であり、人生の果実でもある。
ところで、不利かと思われた陪審制の法廷で、カイアは何故無実を勝ち取れたのだろうか。証拠不十分という側面はもちろんあったにせよ、幼い少女をただ一人で放置し、救いの手を差し伸べようとしなかった、後ろめたさが周辺住民たちにはあったのかもしれない。
善悪を超えたところで
最終章では一気に時間が進む。カイアは天寿を全うし、夫となったテイトは彼女の遺品を整理している。ここでテイトは、詩人アマンダ・ハミルトンの正体がカイアであったことを知り、彼女が最後に残した詩「ホタル」を手に取る。
カイアは自然界の摂理に従い、生きていくためにチェイスを計画的に殺害した。そこには何の罪悪感もなかった筈である。「そこに悪意はなく、あるのはただ拍動する命だけ」なのだから。カイアの置かれてきた過酷な環境を考えるに、これは致し方のないことだったと思える。彼女の一生を追いかけてきた読み手としては、納得感のある結末である。
惜しむらくは、チェイスが何ら同情に値しないダメ男であったところだろうか。チェイスなりに良い息子であり、善き夫である部分も示しておいてもらえたら、多少なりとも物語に深みが出たのではないかと思われる。
関連リンク!
売れている作品だけあって版元(ハヤカワ)のサイトでもいろいろ記事が載っている。いくつかをご紹介。
こちらは、書籍にも掲載されている、訳者友廣純による「あとがき」の全文掲載。
表紙イラストを描いた、しらこの原画紹介。画像はさっそく保存した。
朝日新聞の読書サイト好書好日掲載。作家、柴崎友香によるレビュー。
WEB本の雑誌掲載、現役書店員さんのレビュー。
映画版は2022年公開
監督はオリヴィア・ニューマン、脚本ルーシー・アリバー、デイジー・エドガー=ジョーンズの主演で映画化された。