「このミステリーがすごい!」大賞文庫グランプリ受賞作
2023年刊行作品。英題は「Lemon and murderer」とわりとそのまんま。作者のくわがきあゆは1987年生まれの小説家。2021年に『焼けた釘』で、産業編集センターが公募した第8回の「暮らしの小説大賞」を受賞し作家としてのデビューを果たしている。第二作は2022年の『初めて会う人』。
本作『レモンと殺人鬼』はくわがきあゆの第三作であり、2022年の第21回「このミステリーがすごい!」大賞で文庫グランプリを受賞している。応募時タイトルは「レモンと手」。表紙イラストは人気イラストレータの雪下まゆを起用する力の入れよう。巻末の解説は書評家の瀧井朝世(たきいあさよ)によるもの。
ちなみにこの年の大賞受賞作は小西マサテルの『名探偵のままでいて』。またもう一作の文庫グランプリは美原いつきの『禁断領域 イックンジュッキの棲む森』。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★(最大★5つ)
予測できない結末に震えたい方。加虐と被虐について考えてみたい方。家族の在り方について思いを巡らせてみたい方。タイトルが気になった方。「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した作品を読んでみたい方におススメ。
あらすじ
洋食店を営んでいた父親が通り魔に刺殺され、その後、母親が失踪。美桜と妃奈の姉妹はそれぞれに遠縁の親戚に引き取られ、幸せだった小林家は崩壊した。十年後、美桜のもとへ、妃奈の死が知らされる。殺人事件の被害者でありながら、保険金殺人の容疑がかけられる妃奈。妹の潔白を信じる美桜は、事件の真相を知るべく手がかりを求めて調査を開始する。
ここからネタバレ
登場人物一覧
まずは『レモンと殺人鬼』に登場するキャラクターをまとめておこう。
- 小林美桜(こばやしみお):主人公。貝東大学の事務員として働く派遣社員
- 小林妃奈(こばやしひな):美桜の双子の妹。保険外交員。遺体で発見される
- 小林恭二(こばやしきょうじ):美桜の父。洋食店経営。通り魔に刺殺される
- 小林寛子(こばやしひろこ):美桜の母。恭二の死後、失踪
- 佐神翔(さがみしょう):小林恭二殺害犯。犯行当時未成年
- 桐宮証平(きりみやしょうへい):貝東大学院生。ボランティアサークルを運営
- 海野真凛(うみのまりん):貝東大学生。かつて美桜を虐めていた同級生
- 渚丈太郎(なぎさじょうたろう):貝東大学生。海野真凛の交際相手
- 銅森一星(どうもりいっせい):地元の飲食店経営者
- 金田拓也(かねだたくや):銅森の側近
- 鹿沼公一(かぬまこういち):美桜の同僚
- 蓮(れん):美桜の初恋の相手
昔は幸せだったのに
『レモンと殺人鬼』でヒロインを務めるのは小林美桜。父親は通り魔に殺され、母親は失踪。その後家族は散り散りとなり、唯一の肉親である妹の妃奈とも別れ別れになってしまっている。経済的に困窮しており、契約社員として細々と暮らしている。幼い日に父親に殴られたことで前歯が欠損しており、自身の容貌に強いコンプレックスを抱いている。友人なし。彼氏なし。自己肯定感は低く、他者に対しても強い姿勢を取ることが出来ない。
そんな美桜が唯一心を許せた妹の妃奈が殺害されてしまう。しかも妃奈には、過去に保険金殺人を行っていた可能性が出てくる。引っ込み思案な美桜だが、妹の無実を信じ事件の解明に乗り出す。通り魔による父の死が全てを変えてしまった。繰り返し描かれる、家族四人が揃っていた頃の幸せな光景がなんとも切ない。
全キャラ怪しい!二転三転四転する結末
『レモンと殺人鬼』は二部構成となっていて、第一部は妹の妃奈にかけられた保険金殺人の容疑について迫っていく展開。続く第二部は、過去に小林家に何が起きていたのか。妃奈を殺したのは誰なのか?犯人の狙いは?そして意外な真犯人の姿に迫っていく。
困窮する妃奈に割のいいアルバイトを紹介する桐宮証平。美人の彼女がいるのに、妃奈の調査に協力する渚丈太郎。父を殺した犯人であり、現在は服役を終えて出所している佐神翔。妹とかつて関係を持っていた実業家の銅森一星など、出てくる人物がいずれも怪しい!ヒロインの美桜が終始、自信なさげな、おどおどしたキャラクターであることもあいまって作中には常に強い緊張感が漂う。
これらのいかにも怪しいキャラクターたちのうち、真犯人は誰なのか?終盤はヒロインの美桜に次から次へとピンチが訪れる。二転三転、さらにもう一段階捻りの入った、畳みかけるような終盤の展開には驚かされる。
ヒロイン造形の妙
どんでん返しの連続。着地点が読めないラストの展開も魅力的なのだが、わたし的に好みだったのはヒロイン美桜のキャラクター造形だ。悲惨な現在と、幸せだった過去。最初に読み手をミスリードさせておいて、実は過去パートにおいても、美桜は必ずしも幸せではなかったことが明らかになっていく。
常に虐げられてきた自分。惨めなのが自分だけではやりきれない。だから妹の妃奈も同じ、哀れな岸辺の側に留まっていて欲しい。妹は決して加害者であってはならない。搾取の結果として殺害された妃奈でなくてはならない。その真相にたどり着いた時に、ヒロインの美桜は嬉しさのあまり涙を流して笑うのだ。この暗澹たるヒロイン造形が、この作品でいちばんのホラーではないか。
第二部のラストで、美桜は、死んだ妹の妃奈が、単なる被害者ではなく「虐げる側」に変わっていたことを知る。加虐と被虐は時として相対的なものだ。美桜ですらもかつて「虐げる側」であったことがある。「欲望のままに奪えばいい」。ここまで描かれてきた美桜像が消極的で受動的なキャラクターだっただけに、ラストシーンでの反転が実に鮮やか。
唯一、未消化というか、釈然としなかったのはレモンの扱いだろうか。レモンはどちらかというと妃奈の象徴であり、美桜を象徴するのは鶏(チキン)の方だったのではないか。このあたり焦点があいまいになってしまったのは惜しいと感じた。