デイジー・ジョンソンの第二長編
2023年刊行作品。オリジナルのイギリス版は2020年刊行で英題は『Sisters』。作者のデイジー・ジョンソン(Daisy Johnson)は1990年生まれのイギリス人作家。2016年の短編集『Fen』がデビュー作。2018年には第一長編となる『Everything Under』を上梓。本作はそれに続く第二長編となる。訳者は市田泉(いちだいずみ)。表紙イラストは、昨今大人気のイラストレータ榎本マリコによるもの。ちなみにブロンド(稲妻の髪)の方がセプテンバーで、黒髪がジュライ。
短編集『Fen』掲載の「アホウドリの迷信」については、以前に紹介した岸本佐和子、柴田元幸セレクトによる現代英語圏異色短編コレクション『アホウドリの迷信』に収録されており、当ブログでもご紹介している。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★(最大★5つ)
表紙イラストを見てピンと来た方。支配と被支配。強い共依存。姉妹の特別な関係性について考えてみたい方。イギリスを舞台とした海外作品を読んでみたいと思っていた方。イギリス独特の「家」の魔力に触れてみたい方におススメ!
あらすじ
9月生まれのセプテンバーと、7月生まれのジュライは年子の姉妹。強欲にして傲慢。支配力旺盛な姉。内向的で意思薄弱。姉の支配下で生きることに疑問を持たない妹。ふたりは母と共に、亡父の生まれ育った海辺の街へ転居する。セトルハウスと呼ばれる奇妙な家で、姉妹の関係性に変化が訪れる。彼女たちにいったいなにが起こったのか。
ここからネタバレ
支配と被支配の物語
姉さんはブラックホール。
姉さんは大竜巻(トルネード)。
姉さんは行き止まり、姉さんは施錠したドア、姉さんは闇夜の鉄砲。
(以下略)
『九月と七月の姉妹』p3より
から始まる、本作の巻頭言が印象的だ。破滅的であり、災害的であり、何をするか分からない。姉、セプテンバーの特異なキャラクターが既にこの段階で明示されている。世間との折り合いを考えようとしない。ただひたすらに自分の邪悪な意思を通そうとする人間とは、通常、一般人はまともに付き合っていくことは出来ない。
だが、そんな人物が身の回りに、しかも僅か一歳上の姉として存在したらどうなるだろうか。他人であれば拒絶し、距離を置ける相手でも、肉親ともなればそうはいかない。二十四時間同じ家で過ごし、長い年月を共に生きてきた中で、もともと引っ込み思案であった妹、ジュライの精神は完全に姉に支配されてしまっている。
あまりに強力な支配力は、被支配者から束縛に抗う力を奪ってしまう。ジュライは、セプテンバーが命じたどんな残酷な命令にも従う。わかちがたく結びついてしまった、精神のシャム双生児ともいうべき二人の姉妹の姿を本作では克明に描いていく。
<家>の存在感と受け継がれる支配の構造
姉妹らが暮らすセトルハウスは、今は亡き父ピーターが生まれ育った家だ。家に名前がついているのがイギリス的。イギリスを舞台とした作品を読んでるなあという気にさせられる。
都会から離れた海辺の街。この地にやってきてから母マーサの精神はより不安定になり、姉妹の結びつきも新たな段階へと深化していく。
古くからある家には、独特の存在感がある。そこに住んだ家族たちの記憶や思いが凝って沈殿していくのだろうか。かつてこの家で暮らした、父と母もまた、姉妹と同じような支配と被支配の関係にあった。両親の歪んだ在りかたが、現在の姉妹の在りようにも影響を与えている。
信頼できない語り手
この物語の主な語り手は、妹のジュライが務めている。わたしたち読者は、次第にジュライの普通ではない様子、ただならぬ精神状態に気付いていく。ジュライの語りはほんとうに正しいことを言っているのだろうか、ジュライは正常に現実を認識できているのだろうか?そして何よりも、そもそも「セプテンバーは存在するのか」そんな疑問に読者は突き当たる。
オックスフォード時代の姉妹に何があったのか?作者的に叙述ミステリとして読ませるつもりはなかったのか、その真相は早くも第二部のラストで明らかとなる。ここまでの展開は、サスペンスタッチのミステリとして読むこともできる。だけれども、あくまでも本作で描きたかったのは姉妹の尋常ならざる関係性だと思うので、セプテンバーの謎を最後まで引っ張らず、早々に真相を示してきたのは正解だと思う。
半身を切り裂かれること
悪魔的な支配力を持った姉が突如として死んでしまった。精神的に強く依存していた相手が存在しなくなった時、人間は果たしてどうなるのか。第二部の最後でセプテンバーの死が明らかとなり、読者はジュライの異常性を改めて認識することになる。姉の服を着て、姉のように話す。セプテンバーの欠落を埋めるかのように、姉そのものとなって生きていこうとするジュライ。
あまりに強すぎるセプテンバーの呪縛は、もはやジュライの人格形成と一体化していて、本人が死んだとしても、もはやジュライから切り離すことができない。
あんたの中で生きられるようにして
わたしたち一人しか生きられないなら生き残るのはあなたです
わたしは地下室で暮らしている
姉ではなく自分が死ねばよかったのに。もう死んでいるセプテンバーに全てを明け渡していく。溶けていくジュライの自我。これはかつて夫を失い、心を病んでいく母の姿をなぞったものなのか?全ての悲劇を見てきたセトルハウスの重苦しい圧が、少なからず住民たちの心に暗い影を落としているようにも思える。救いがなく、残酷な結末なのに、美しい姉妹愛の結実にも思えてしまうところがこの物語の怖ろしいところだ。