ネコショカ

小説以外の書籍感想はこちら!
2023年に読んで面白かった新書・一般書10選

『嫉妬と階級の『源氏物語』』大塚ひかり

『たべもの芳名録』神吉拓郎 直木賞作家による昭和のグルメエッセイで食を満喫

本ページはプロモーションが含まれています


美味しいものを食べたくなるエッセイ

新潮社の小説誌「小説新潮」に1979年1月号から1980年12月号にかけて連載された、エッセイ「食物ノート」を書籍化したもの。単行本版は新潮社から出ている。1984年の刊行。

筆者の神吉拓郎(かんきたくろう)は1928年生まれの作家、エッセイスト。1984年に『私生活』で直木賞受賞している。

続いて文庫版が文春文庫から1992年に登場。

この文春版が、2017年にちくま文庫で再文庫化されている。わたしが読んだのはこちらの版。巻末には酒に関する数々の著作で知られる、大竹聡(おおたけさとし)による解説文が収録されている。

たべもの芳名録 (ちくま文庫 か 70-1)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

美味しいものの話をひたすら読んでみたいと思っている方。食についてのエッセイ作品に興味のある方。昭和の時代の食文化について知りたい方。神吉拓郎の円熟味のある文体に触れてみたいと思っている方におススメ。

内容はこんな感じ

「ものを喰いに行く楽しみの大半は予想ないし想像」である。何を食べようかと考え、店を決め、うきうきしながら現地へ向かう。店の雰囲気を楽しみ、注文を決め、配膳をそわそわと待つ。この過程がたまらなく愉しい。鮓、ビフテキ、小籠包、鯛、天ぷら、鰻、鮎。食の歓びを満喫できる!24編を収録した昭和のグルメエッセイ集。

ここからネタバレ

昭和の食の思い出

本作は1979年から1980年にかけて。元号に直すと昭和54年~55年にかけて書かれている。書かれた当時は、単に現代の食事情を、現代の作家が描いたエッセイ作品だったのだが、半世紀近くの歳月を経て触れてみると「昭和の食の歴史」として読むことができる。筆者としてはこのような受容は想定していなかったかもしれないが……。

現在では食に関する情報が多すぎるほどに溢れている。始めて行くレストランは、失敗したくないからネット情報の口コミを読んで入念にチェックする。ネットのレビューを読めばたくさんの先行者が書いた感想が読めるし、料理の写真や動画すらも見ることができる。

食材の手配にしても、もはや単独の八百屋や鮮魚店は皆無に等しい状態で、大型スーパーや、ネット通販で何でも買えてしまう時代だ。ここ十数年で、食をとりまく環境は劇的に変わってしまったのだ。

昭和の時代、食に関する情報は圧倒的に少なかった。食材を手に入れる手段も限られていた。筆者は本書の中で「ものを喰いに行く楽しみの大半は予想ないし想像」と書いている。事前に入る情報が少ないからこそ、昭和の時代、食べる前の「予想や想像」は、現代よりも豊かなものになっていたのではないだろうか?

食にまつわる語彙の数々

恥ずかしながら本書で初めて知った単語がいくつかあった。いくつか具体例を紹介したい。

  • 骨湯(こつゆ)

煮魚や焼き魚の骨を熱湯に浸し、醤油しょうゆや塩で味をつけて飲むもの。

コトバンク/デジタル大辞泉より

地域によっては、医者いらず(魚の身を綺麗に食べられるので健康になる)、ネコ泣かせ(ネコの食べる部分がなくなる)などとも呼ばれていた食べ方。この言葉は知らなかったが、思い起こせば祖父母がこうした食べ方をしていた記憶がある。食べ物を大事にしていた時代の気遣いを感じる食べ方だ。

  • 賃餅(ちんもち)

賃銭をとって餅をつくこと。また、その餅。

コトバンク/デジタル大辞泉より

かつては正月の餅は自宅で搗くのが当たり前だった。そのため、餅屋に手配して搗いてもらう餅は賃餅と呼んで区別していたのだとか。年末になると商店街の餅屋や和菓子屋に「賃餅あり〼」と掲示がなされるのは暮れの風物詩だったのだ。

本書は上記の例以外にも、そろそろ通じなくなってきそうな食にまつわる言葉があれこれ登場する。ビフテキ(ビーフステーキの略)なんてのもそろそろ通用しなくなりそう。昭和世代としては懐かしく、平成世代の方であれば新鮮な気持ちで読むことができるのではないだろうか。

食べてみたいこんな料理、こんな食べ方!

最後に本書に登場する、魅力的な食べ方、食べ物について、いくつかご紹介したい。

まずはステーキを食べるときのアブラ身を使った禁断の肉汁ご飯。美味そう!

(前略)肉を引き上げたあと、アブラの部分を切り取って、もう一度アブラだけ焼き直す。

そうすると、……考えただけでも、舌が躍るのだが、ステーキ・パンの中には、最高の肉汁が、たっぷりと出来上がる。

この肉汁を、炊き立てのご飯に手早く合わせて食べるウマさは、実に罰当たりといいたいほどなのである。肉には目もくれない。

『たべもの芳名録』p39「肉それぞれの表情」より

続いて、鰻丼を食べる際の一工夫編。行儀が悪いけれど、これも美味しそう。タレを白飯と均等に混ぜたい派と、あえて味のグラデーションの差異を楽しみたい派で、評価が別れそうな技ではある。

このエピソードが登場する「丸にうの字」は、いざ!鰻丼にありつくまでの過程が丁寧に書き込まれており、本作に収録されている各編の中でも出色の面白さだった。

昔、運ばれてきた鰻丼にすぐ箸をつけずに、なにかのまじないのように、くるりと上下をひっくり返して置く人を見たことがある。

(中略)

あれは、丼の底に溜まったタレを、もう一度飯に戻してやる為だ、と聞いたことがある。

『たべもの芳名録』p101「丸にうの字」より

神楽坂(飯田橋)に現在も存在する蕎麦屋「翁庵(おきなあん)」のかつそばも美味そうだった。しかも冷やしがいいらしい!これはいずれ食べに行ってみたい。

きりがないのでこの辺にしておくが、本書には次から次へ魅力的な食べ物が登場するので、くれぐれもお腹が空いているときには読まないように。わたしは夜中に読んでしまい、とても切ない思いをした(笑)。

神吉拓郎作品の感想をもっと読む