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『エレファントヘッド』白井智之 複雑に入り組んだ本格ミステリの迷宮

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2023年のミステリ界を席巻した一作

2023年刊行。書下ろし作品。作者の白井智之(しらいともゆき)は1990年生まれのミステリ作家。ここ数年は意欲作を連発し、年末のミステリ系各賞の常連となった感がある。長編作品としては2022年の『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』に続く、六作目の作品となる。

エレファントヘッド (角川書店単行本)

『エレファントヘッド』は2023年のミステリ系各賞では、すべてで一桁順位にランクイン。

  • 週刊文春ミステリーベスト10:4位
  • このミステリーがすごい!:4位
  • 本格ミステリ・ベスト10:1位
  • ミステリが読みたい!:7位

特に「本格ミステリ・ベスト10」では第一位(昨年の『名探偵のいけにえ 人民教会殺人事件』も一位だったので連覇になる)に輝いている。

なお、装画はイラストレータの加藤宗一郎(かとうそういちろう)によるもの。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

白井智之作品なら何が起きて大丈夫!って方。グロ描写に耐性がある方。倫理観がアレな主人公でも問題ない!って言える方。ただひたすらロジカルに構築されたミステリ世界を堪能したい方。予想外の展開に度肝を抜かれたい方におススメ!

あらすじ

職業、精神科医。妻は女優。美しいふたりの娘。裕福な暮らし。象山の人生は順風満帆に見えた。しかし彼は知っている。どんなに幸せな家族でも、たった一つの小さな亀裂から崩壊してしまうことを。とある男から手に入れた謎の薬シスマ。この薬がもたらす驚くべき効果に象山の運命は大きく狂わされていくのだが……。

ここからネタバレ

登場人物一覧

まず最初に本作に登場するキャラクターをまとめておこう。

  • 象山晴太(きさやませいた):神々精(かがじょう)医科大学付属病院勤務の精神科医
  • 象山季々(きさやまきき):象山晴太の妻。女優
  • 象山舞冬(きさやませいた):象山晴太の長女。音楽ユニットアカダマのボーカルerimin
  • 象山彩夏(きさやませいた):象山晴太の次女。腎臓に持病を持つ
  • 和泉早希(いずみさき):芸能ジャーナリスト伊豆美崎の名で活動
  • ムイ:タイ人。舞冬のマネージャ
  • 夢沢文哉(ゆめさわあやか):患者
  • 裏島一年(うらしまかずとし):患者
  • 生田医久彦(いくたくにひこ):象山晴太の同僚

「エレファントヘッド」って?

タイトルの「エレファントヘッド」は直訳すれば「象の脳」だ。象は地上動物で最大の脳を持ち、その重さは約4.2キロ。人の脳が約1.4キロなので、およそ3倍の重さを持つ。しかし象が人間の3倍賢いわけではない。人間は体の大きさに比して脳が大きいらしく、人間の脳にはあと二~三人の人間を動かすだけの性能があるらしい。人間の脳がその力をフルに発揮できたとしたら?そんな「if」がこのタイトルには込められているものと思われる。

幸せな家庭を守りたい

主人公の父親はかつての人気奇術師、象山不二夫(ふじお)。しかしその栄光の時は長く続かず、事故により引退を強いられる。妄鳴山(もなきやま)に建てた別荘不死館(しなずかん)に家族とともに隠棲した不二夫は、次第に精神の平衡を失っていく。

どんなに幸せな家族も、たった一つの亀裂から、あっという間に瓦礫の山に替わってしまう。

『エレファントヘッド』p24より

事故により暗転したかつての象山家。過去に体験した悲劇から、象山は自らが築いた家庭だけは何が何でも守りたいと思っている。精神科医としての安定した地位と裕福な暮らし。女優の妻と愛らしい二人の娘。絵にかいたような成功者の人生だったが、そんな象山の周囲で不穏な事件が発生しはじめる。

とまあ、序盤だけ読んでいると、不幸な生い立ちを持つ主人公が、さまざまな困難を乗り越えて家庭を守っていくハートフルな物語なのかな?なんて思ってしまうのだが、だがそこは白井智之作品。そんな美しい展開にはなりっこないのである。

長女、舞冬につきまとう芸能ジャーナリスト伊豆美崎。いち早くその存在を察知した象山は、説得による問題解決を試みるのだが、交渉決裂とみるや、即座に伊豆美崎を殺害!ここから一気に白井智之ワールドは、暗黒面へとシフトチェンジしていくのだ。

分岐する平行世界と驚異の多重解決

第二章からは、清々しいまでに倫理観が崩壊した、象山晴太の振り切れたヤバさが淡々と描かれていく。壊れたものは戻らない。それなら壊れる前に防ぐしかない。ってまあ、その考えはいいとして、どうしてそういう解決法になるのか??

象山は、家庭を守るためなら凶悪な犯罪行為も厭わない。しかしその隠蔽工作はきわめて杜撰で、いくつかの運命のいたずらも相まって、次第に追い詰められていく。進退窮まった象山は、怪しいクスリの売人エデンから入手した謎の薬物シスマに手を出す。

シスマの効用は時間遡行とパラレルワールドへの分岐。第三章からは主人公が三つの人格に分裂して、それぞれの平行世界を生きていくアクロバティックな展開に入っていく。第一章のラストも相当にトリッキーだったが、流石は白井智之。展開をさらに斜め上の方向に加速させていくのだから侮れない。

「逃亡者」「幸せ者」「修復者」。三つの人格に分裂した象山はそれぞれのやり方で、幸せな家庭を守ろうとする。だがどうやっても彼の家族は崩壊してしまう。不可能状況下で、無残なかたちで殺害されていく象山の家族たち。いったい誰が、どんな方法で犯行を成し遂げたのか。

このあたりから、話が込み入り過ぎて、凡人の読み手には訳がわからなくなってくるのだが、三つのパラレルワールドを描きつつ、それぞれの世界での合理的な解法を示す多重解決の凄み。更にその先の仕掛けまで用意されているのだから、この作者の頭の中はどうなっているのかと本当に不思議になってくる。

象山(たち)は本当にクズで、倫理観も崩壊している。グロ描写も多く、読み手を選ぶ作品だとは思う。だが、練り込まれた構成、緻密に構築されたロジック、終盤まで休むことなく駆け抜けるノンストップに読ませる筆力が圧倒的。毎回毎回、読み手の期待のハードルを上げてきているのだけど、白井智之はこれからどうなっていくのか。本当にこの先が楽しみな作家だと思う。

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