陸秋槎の第三作
2020年刊行作品。陸秋槎(りくしゅうさ/ ル・チュウチャ)としては、『元年春之祭』『雪が白いとき、かつそのときに限り』に続く三作目となる。過去二作はハヤカワ・ポケット・ミステリからの登場であったが、本作はハヤカワ文庫からの刊行となっている。また、表紙イラストは爽々(そうそう)が担当している。
オリジナルの中国版は2019年に刊行されており、タイトルは『文学少女对数学少女』と、邦題と同様である。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★(最大★5つ)
本格ミステリ、それもガチなマニアの方。中国を舞台とした本格ミステリを読んでみたい方。ロジカルに自分でも考えて作中の謎を解きたい!特に「読者への挑戦」系の作品が好きな方。百合成分を含んだ作品が好きな方におススメ。
あらすじ
陸秋槎は推理小説作家を夢見る高校二年生。彼女は自作の評価を、学内きっての天才と名高い数学少女韓采蘆に依頼する(連続体仮説)。フェルマーの定理が導き出す意外な結論とは?(フェルマー最後の事件)。少女が書いたミステリ短編が示す家族の秘密(不動点定理)。喫茶店のマスターを殺したのは誰なのか?(グランディ級数)。四編を収録したミステリ短編集。
ココからネタバレ
文学少女と数学少女が対決するわけではない
タイトルだけ見ると誤解してしまいそうになるのだが、本作は、”文学少女”陸秋槎が、”数学少女”韓采蘆(かんさいろ)と、推理合戦を繰り広げるようなタイプの作品ではない。
あとがきによると、
<文学少女対数学少女>というシリーズ名は、麻耶雄嵩(まやゆたか)による『貴族探偵対女探偵』へのオマージュだ。
『文学少女対数学少女』あとがきp318より
とのこと。この物語では陸秋槎と韓采蘆は対決して議論を戦わせるわけではない。同じ方向を向いて同じ事件に向き合うが、文系脳の陸秋槎と、理系脳の韓采蘆とでは、結論に至るための思考形態が全く異なってくる。『文学少女対数学少女』は、その違いを楽しむ作品なのかと思われる。
ただ、天才韓采蘆の方が”数学少女”と呼ばれるのは妥当だが、作中の陸秋槎は、一般的なイメージの”文学少女”とは属性が異なり、”ミステリ作家志望の女子高生”くらいのキャラクターだろう。"文学少女”と銘打つのは少し違うように思えてしまう。
それでは以下、各編ごとにコメント
連続体仮説
陸秋槎と韓采蘆の馴れ初めエピソード。陸秋槎は、自作の「犯人当て小説」を、数学少女と呼ばれる韓采蘆に読んでもらい、推理のロジックに不備が無いか確認を依頼する。
陸秋槎の「犯人当て小説」
高名な作曲家の晁北夢が殺害される。浴室から発見された彼女の髪は何故か切断されていた。犯人の可能性があるのは、晁北夢のオペラ上演スタッフの八人の関係者。与えられた手がかり導き出す真犯人の正体は?
『文学少女対数学少女』最大の特徴は、収録されている全ての作品に作中作が存在することである。これは非常に凝った趣向である。
陸秋槎の書いた「犯人当て小説」は解釈の余地が大きく、作者の意図しない犯人も犯人でありえてしまう可能性がある。全ての犯人が理性的に行動するとは限らない。全ての推理作家にとっての永遠の課題とも言える課題が突きつけられるのだ。
このエピソードで韓采蘆は、真と偽の判定が不可能となる数学の「連続体仮説」を引き合いに出して、陸秋槎作品の問題点をあぶりだす。
しかし、韓采蘆はこうも云うのである。
君がそう言ったとき、かつそのときに限り。君が作者なんだから、君が犯人と言った人間が犯人であり、君が真相だと言ったものがーーつまり真相である。
『文学少女対数学少女』p76より
作者の意図していない解釈を読み手に許さないようにと、表現を細かく突き詰めていけばいくほど小説としては味気ないものとなってしまう。でも、そんなことはしなくていい。作者は小説の中では神なのだから、作者が決めた真相が正解なのである。
本格ミステリの脆弱性、危うさを示しつつも、作者が全てを決めていい。そこに推理小説の自由がある。
フェルマー最後の事件
国際的な数学大会で優秀な成績を収めた韓采蘆たちは、その成果として偉大なる数学者フェルマーの故郷、フランス・トゥールーズへの旅行権を獲得する。何故か同行することになった陸秋槎はそこで思わぬ事件に巻き込まれる。
フェルマー最後の事件
晩年のフェルマーが、とある宿屋で、旧知の人物の殺害事件に遭遇する。不可解な状況下で殺害されたモンジャン将軍。彼はいったい誰に?そしていかなる方法で殺害されたのだろうか?
第二エピソードから、この作品の筋立てはさらに込み入ってくる。作中作だけではなく、現実の世界でも事件が起きるのだ。
現実界での事件と、作中作での事件。この二つを繋ぐの「フェルマーの最終定理」である。間違いのある推理からでも、正しい結論を導き出すことが出来る。「フェルマーの最終定理」の証明にかこつけて、韓采蘆の推理はアクロバティックな着地を見せる。
不動点定理
陸秋槎は、韓采蘆が家庭教師を務めている少女、黄夏籠が住む”懐風館”を訪れる。黄夏籠が書いた推理小説を評価して欲しい。そう頼まれた陸秋槎は、原稿を手に取るのだが、そこでは意外な事件が記されていた。
黄夏籠の作品
密室状態の自室で殺害された黄夏籠。凶器は現場に残されていた彫像。容疑者は懐風館の人々。一見すると、不可能とも思える状況下で、いったい誰が彼女を殺害したのか?
黄夏籠の家庭環境が、自作の推理小説の中にも反映されている、少々ややこしい作中作である。事件が起きている以上、何らかの正解は必ず存在するはずだが、その説き方がわからない。背理法を使って可能性をつぶしていく過程が楽しい。
ちなみに作中に登場するイリヤ・レーピンの『イワン雷帝とその息子』はこちら。
わが子を手にかけてしまった父親を描いた作品で、作中での黄夏籠の不安定な心理を象徴しているのではないかと思われる。
グランディ級数
高校の先輩の正体を受け、喫茶店<小宇宙>に向かう陸秋槎。この場所に陸秋槎は、親友の陳姝琳と、音信が途絶えていた韓采蘆を招く。<小宇宙>では陸秋槎作の推理小説が披露されるのだが、そこで新たな事件が発生する。
陸秋槎の犯人当て小説
U大学写真同好会の面々は、卒業後久しぶりの再会を果たした。集った場所は、かつてメンバーであった鄭羽の父、鄭公超が管理人を務めるペンション山眠荘。鄭羽はここで不慮の死を遂げているのだが……。
本格ミステリ永遠のテーマの一つである「偽の手がかり」にまつわるお話。ある描写が伏線かどうかは、答えに利用されているかどうかだけで決まる。導き出したい結論があるなら、それに合う手がかりを探してくれば事足りる。
現実界での事件解決を軽やかに放棄して見せるあたり、この問題に関する根の深さを暗示しているように思える。
後期クィーン問題に切り込む
『文学少女対数学少女』は本格ミステリにおける「後期クィーン問題」を扱った作品である。「後期クィーン問題」については、こちらを参照のこと。
作中で示した解決が本当に唯一無二の真実であるのか。それは誰にも証明できない。しかし物語の中では、作者こそが神なのだからそれで良いのではないか。本格ミステリとはもっと自由であって良い。陸秋槎の主張はそこにあるのではないかと思われる。
この部分、なんちゃってミステリファンのわたしには正直言って荷が重い。ガチのミステリファンでないと理解しきれない部分が多いので、巻末にある作者あとがきと、葉新章の解説をじっくり読んでいただき、加えて関連作品を読み込んでいただければと思う。
三角関係の行方は?
真面目な本格ミステリファンの方には本当に申し訳ないのだが、本作におけるわたしの興味は、ヒロイン陸秋槎を巡る、韓采蘆、陳姝琳との三角関係にある。
高校の寮の同室で、作品冒頭から親友関係にある陸秋槎と陳姝琳。この間柄に割って入るのが数学少女韓采蘆である。「連続体仮説」での衝撃的な出会いから、二作目の「フェルマー最後の事件」ではいきなり、韓采蘆との関係性が深まっている。この点、もうすこし二人の仲が進展する描写が欲しかったところ。百合作品は過程が大事派のわたしとしては捨て置けない部分である。
最後の「グランディ級数」は、陳姝琳の逆襲劇である。陳姝琳は無茶な解決案を警察に提示して、強引に陸秋槎を連れ出し韓采蘆と引き離す。連続した作品として読んだ場合、尻切れトンボ感が強く。読む側としてはなんとも落ち着かない。
かくなる上は是非、続篇を書いていただき、読者の百合ミステリをもっと読みたい!欲を満たしていただきたいところである。
陸秋槎作品の感想をもっと読む
併せてこちらもどうぞ