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『廃帝綺譚』宇月原晴明 順帝、建文帝、崇禎帝、そして後鳥羽院の物語

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『安徳天皇漂海記』とあわせて読みたい

2007年刊行作品。宇月原晴明(うつきばらはるあき)としては六作目の作品にあたる。ミルキィ・イソベの表紙デザインが美しい。

廃帝綺譚

廃帝綺譚

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タイトルや表紙デザインから想像がつく方もおられるかもしれないが、本作は2006年に上梓された『安徳天皇漂海記』の姉妹編とも言える作品である。本作は単独でも十分堪能できるが、出来うることなら『安徳天皇漂海記』を読んでから臨まれることをお勧めしたい。

中公文庫版は2010年に刊行されている。 

廃帝綺譚 (中公文庫)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

王朝の最期に興味がある方、滅びの美学を堪能したい方、明代や元代の中国史がお好きな方、伝奇小説ファン、源平合戦の時代が好きな方におススメ!

あらすじ

大都を追われ北辺に去った元朝最後の皇帝、トゴン・テムル(順帝)、明朝の二代皇帝でありながら叔父である永楽帝に簒奪され存在を抹消された建文帝、非凡な才を持ちながら時勢に恵まれず明朝最後の皇帝となった崇禎帝、承久の乱に敗れ隠岐に流された後鳥羽法皇。中華と日本。四人の廃帝が最後に垣間見た夢幻の世界を描く連作短編集。

ここからネタバレ

四人の廃帝の物語

前半の三篇は扉に「遠く異朝をとぶらへば」と『平家物語』の冒頭の一説が引用されており、異朝(中国王朝)の廃帝である、元のトゴン・テムル(順帝)、明朝の建文帝と崇禎帝が登場する。

そして後半の一篇では、扉に「近く本朝をうかがふに」と同様に『平家物語』の一節が引かれ、こちらでは、本朝(日本)の廃帝として後鳥羽法皇が登場する。

各篇は独立した物語だが、廃された帝の元祖ともいうべき、水蛭子(ひるこ)、淡島の二柱の存在が共通要素として根底に横たわる構成となっている。

水蛭子はイザナギ、イザナミの間に生まれながら不具の子であったがために葦舟に乗せられオノゴロ(淤能碁呂)島に流された神。淡島はイザナギ、イザナミの二番目の子として生まれたが、同様に不具であったがゆえに流され、子の数には含まれない悲運の神である。

では、以下、各篇ごとにコメントしていこう。

遠く異朝をとぶらへば

前半三篇は中国王朝を舞台とした物語である。

最初に登場するのはマルコ・ポーロとルスティケロである。マルコ・ポーロはアジア諸国での見聞を『東方見聞録』として残しているが、その著述を実際に行ったのが著述家のルスティケロだ。

本作では、マルコ・ポーロが死の直前にもう一冊の著作『驚異の書』を残し、元朝の皇帝クビライ(フビライ)に贈ったとする。この『驚異の書』が前半三篇の陰の主役となっている。

北帰芒芒ー元朝篇

本来であれば皇位を継げる立場ではなかったのが、運命の悪戯で皇帝になってしまった男。元朝最後の皇帝となったトゴン・テムル(順帝)の物語。

トゴン・テムルには南宋の皇帝、恭帝の血をひいているのではという疑念がつきまとう。また、重臣に権力を握られ、実権を持たない皇帝であった彼は、自身の存在理由に悩み、「私は何者であるのか」という疑念を生涯持ち続けた。

元は、後継王朝である明との最終決戦を行うことなく、大都を放棄して本拠地であるモンゴルに逃亡する。その後も北元として、王朝の命脈を繋いでいくので、今回登場する他の皇帝に比べると悲壮感は少ない。

帝国は滅びない、ただ「風に散じる」のみであるとして、秘蔵の『驚異の書』を新王朝明に託してトゴン・テムルは大都を去る。執着を惜しげもなく手放せたのは、トゴン・テムルの生涯で常に付きまとった自己肯定感の低さ故なのか。

南海彷徨ー明初篇

ここで登場する廃帝は、明朝二代皇帝の建文帝である。しかし、あくまでも故人としての立ち位置である。実際には、建文帝から皇位を簒奪した叔父である永楽帝の時代。その部下であった鄭和の目線から物語は紡がれる。

永楽帝は中国歴代皇帝中でもトップクラスの名君で軍事的才能にも恵まれ、明の最盛期を築いた君主である。鄭和は世界史を習った方なら、覚えておられる方も多いかと思うが「南海遠征」で知られた人物である。この時代にアフリカ沿岸にまで達した大航海者として知られる。

史上七回も行われた鄭和の「南海遠征」が、実は甥から皇位を奪った永楽帝の悔恨の情からによるものだったという設定が面白い。建文帝を弔うために「本当のジパング」を探す鄭和。永楽帝の老いと共に、緩やかに傾いていく明朝の衰退も描かれ、悲劇の予感を漂わせる終わり方はなかなかに好み。

禁城落陽ー明末篇

明朝最後の皇帝、崇禎帝の物語である。この人が一番悲惨かも。

崇禎帝は結果として明朝を滅ぼしてしまったが、決して無能ではなかった君主である。能力も意欲もあったものの、家臣に恵まれず、内乱を招き、北方からは急速に勢力を拡大する満州族(清朝)が迫る。内も外も敵だらけで、傾いた国家を立て直すには至らなかった。先代皇帝たちの怠惰と放漫のツケを最後に払わされた悲劇の人物だ。

陥落目前の帝都北京。后妃らを自裁させ、自身も縊死を選ぶ崇禎帝だが、最愛の娘、長平公主だけは救いたい。ここで、一族が代々受け継いできた『驚異の書』に縋ろうとする。

崇禎帝と長平公主のエピソードは、中国史好きであればある程度知られているエピソードだと思われるが、この話を『驚異の書』に絡めてくるとは!宇月原晴明ならではの奇想の冴えである。

近く本朝をうかがふに

最後の一篇は本朝日本を舞台とした物語である。ボリューム的にこの話が一番長い。

冒頭では、オノゴロ島に水蛭子が流される際、わずかに残された肉片が神器の一つ、真床追衾(まどこおうふすま)に転じたとされる伝承が示される。

水蛭子から生まれた真床追衾は、前作『安徳天皇漂海記』でも登場した、このシリーズの最重要アイテムである。加えて、本作では淡島由来の「小珠」が登場し、物語に新たな彩りを添えている。

大海絶歌ー隠岐篇

承久の乱で敗れ、絶海の孤島隠岐に配流された、後鳥羽院を主人公とした物語である。後鳥羽院の父親は平家の血を引く高倉天皇。壇ノ浦で没した安徳天皇は兄にあたる。

平家一門は都落ちに際して安徳天皇と共に三種の神器を持ち去る。そのため後鳥羽天皇は三種の神器なしで即位しなくてはならず、これが彼の生涯の負い目となっている。

この物語では、顕の神器である三種の神器(八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉)とは別に、密の神器として、水蛭子の大玉(真床追衾)、淡海の小珠を登場させている。

「あの時宇治に沈んでいれば」。大海に没して死んだ兄・安徳帝に対して、承久の乱で敗れながらも生きながらえている自分。数奇な宿縁から淡海の小珠を手に入れた後鳥羽院は、やがて自身が呪殺したと信じる源実朝の幻影に苦しめられることになる。

この時代を代表する歌人のひとりでもあった後鳥羽院は、源実朝が残した『金槐和歌集』との歌合(うたあわせ)を思いつく。

大海の磯もとどろによする浪われて砕けて裂けて散るかも

実朝渾身の「大海の歌」に対して、後鳥羽院はいかなる歌を返したのか。最期の瞬間に後鳥羽院が見た、浪の彼方の都がただただ美しい。苦難の生涯を生きた人物の終焉に、これくらいの救いはあっても良いのではないか。

かつて一つであった水蛭子の大玉と淡海の小珠を、安徳帝と後鳥羽院の関係に準え、分かたれていたものが、長い歳月を経てまた一つになる。最終章に相応しい、見事な幕の引き方であったかと思う。

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