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『少女七竃と七人の可愛そうな大人』桜庭一樹 大人になってから読むと身につまされる作品

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一般文芸の世界で輝き始めた頃の桜庭一樹作品

桜庭一樹(さくらばかずき)は1971年生まれの女性作家。1990年代に山田桜丸(やまださくらまる)名義で、ライター、ノベライズ作家、ゲームシナリオ作家として活躍。1999年に『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーティアン』(応募時タイトルは「夜空に、満天の星」)が、ファミ通エンタテインメント大賞小説部門で佳作入選し、現在の筆名での作家活動を開始している。

『少女七竃(ななかまど)と七人の可愛そうな大人』は2006年刊行作品。角川の小説誌『野性時代』に2005年10月~2007年2月にかけて、掲載された作品をまとめたもの。

桜庭一樹はデビューしてからの数年はライトノベル畑での活躍が主であったが、2004年刊行の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』がジャンルの枠を超えて多方面で高い評価を受ける。以後、この作家は一般文芸の世界へと活動の比重を移していく。そんな中で刊行されたのが本作である。

角川文庫版は2009年に登場している。解説は古川日出男が担当している。

少女七竈と七人の可愛そうな大人 (角川文庫)

本作は連作短編形式。各編の視点人物が異なる構成となっている。

第一話の前にはプロローグ的な内容の「辻斬りのように」が挿入され、第六話にはサブエピソードとして「五月雨のような」が入り、更に第七話のあとに、番外編的な「ゴージャス」が入る。結果的に全部で10編の短編が収録された作品ということになる。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

訳ありの母親と美しい娘の葛藤の物語を読みたい方、地方都市を舞台とした物語を読んでみたい方、男女の恋愛観の違いについて考えてみたい方、あまりに抜きんでた美しさは呪いだと思っている方におススメ!

あらすじ

若き日の母の奔放な男遍歴の結果、父親がわからない子として川村七竈は生まれた。人並外れて美しく成長した七竈には、さまざまな人物たちが近寄ってくる。他者との交流を厭い、ただひとり幼馴染の桂雪風とのつながりだけを大切にして生きる七竈。しかし、歳月の流れはそんな二人の関係にも変化をもたらしていく。

ここからネタバレ

「七人のこびと」と「七人の可愛そうな大人」

タイトルから想像するに『白雪姫と七人のこびと』のパロディ的な要素があるのかな。美しい白雪姫には、七人のこびとが世話をしてくれるが、美しい七竈には傍迷惑な七人の大人が寄ってくるみたいな?

ディズニーの『白雪姫』では、七人のこびとそれぞれに以下の名前と属性が割り振られている。

  • ドク (Doc) = 先生
  • グランビー (Grumpy) = 怒りんぼう(苦虫)
  • ハッピー (Happy) = 幸せ(呑気屋)
  • スリーピー (Sleepy) = 眠い(眠り屋)
  • バッシュフル (Bashful) = 恥ずかしがりや(照れ助)
  • スニージー (Sneezy) = くしゃみっぽい(苦沙弥)
  • ドーピー (Dopey) = ぼんやり または おとぼけ(抜け作)

白雪姫 - Wikipediaより

一方で、『少女七竃と七人の可愛そうな大人』における「七人の可愛そうな大人」は以下の七人であろうかと思わえる。

  • 川村優奈(かわむらゆうな) ※七竈の母親
  • 田中 ※川村優奈の同僚教師で、かつての情人。七竈の担任教師
  • 田中の妻 ※田中の元同僚で後に結婚
  • 桂 ※かつての街一番の美男子。七竈の父親説濃厚
  • 桂多岐 ※桂の妻で川村優奈の友人、田中の妹。
  • 東堂 ※川村優奈の七番目の男
  • 梅木美子 ※芸能プロデューサー。かつてのアイドル乃木坂れな

「七人のこびと」と「七人の可愛そうな大人」の属性を、なんとか結び付けられないだろうかと考えてみたのだが、さすがに全員が全員つじつまを合わせるのは無理がありそう。ドク→田中先生、グランビー→田中の妻、あたりまではこじつけられるけど、他はちょっと難しい。さすがに、これは深読みし過ぎたかな。

では、以下各編ごとにコメント。

辻斬りのように

初出は『野性時代』2005年10月号。

七竈の母、川村優奈(かわむらゆうな)の若き日の姿を描いた作品。川村優奈自身の視点で描かれる。

辻斬りのように男遊びをしたいな、と思った。ある朝とつぜんに。そして五月雨に打たれるように濡れそぼってこころのかたちを変えてしまいたいな。

『少女七竃と七人の可愛そうな大人』p6より

冒頭から桜庭一樹ワールド全開で一気に引き込まれる。

小学校教諭。これと言って特徴のない女。「平凡な白い丸」であった川村優奈は、突如として何かに憑かれたかのように男漁りを始める。こうした名状しがたい衝動を言語化できるのが作家の凄さだと思う。他人の交情のシーンなんて、傍から見たらヤバい男女にしか見えないのに、美しい情景に思えてくるから不思議。

一話 遺憾ながら

初出は『野性時代』2005年11月号。ヒロイン川村七竈の視点で描かれる。

美とは希少なもので、希少であるが故に価値のあるものだ。そして、母数が少なくなる地方都市ではその価値はより高まることになる。ただし、他者からの評価の高さ、関心の高さは、本人にとっては重荷でしかないことも多い。

意図せずして美しく生まれてしまった七竈の鬱屈。唯一の親友である、桂雪風と自分の容貌の相似。二人は兄妹なのではないか。そんな不安要素を冒頭に提示してこの物語はスタートする。

元担任教師で、母の情人のひとりでもあったと思われる田中が告げる、「七竈の実」の運命は、なにやらこの先の七竈が旭川に留まった場合の運命を暗示しているようでもあり、実に印象的。

二話 犬です

初出は『野性時代』2005年12月号。視点はまさかの犬!ビショップ。古川日出男が解説に起用されているのは、同様に犬が主人公の作品『ベルカ、吠えないのか?』を書いているからだろうか? 

辻斬り時代の川村優奈、七番目のお相手、東堂が現れる。わざわざ、視点を犬のビショップにしたのは何故だろう?嘘しかつかない男東堂に対して、動物故の洞察力でその本質を読み手に正しく示して見せるためだろうか?

ビショップは、七竈と雪風の血縁関係も既に理解しており、この二人の将来に男女の関係は成立しえないことを読者に予見させてもいる。

三話 朝は戦場

初出は『野性時代』2006年1月号。視点は、雪風の母親である桂多岐(かつらたき)。閉塞感に満ちた彼女の述懐が重い。

若くなくなった女がいるのは、この世の果てだ。

(略)

ここはやわらかい行き止まり。

『少女七竃と七人の可愛そうな大人』p96、97より

彼女の夫は、川村優奈との間に七竈を産ませている。七竈は、多岐が産んだ子どもたちと容貌が酷似している。それには多岐自身も、周囲の誰もが気づいている。それでいて、多岐と優奈の間には奇妙な友情関係が維持されている。それは「どこにもいけない」者と「どこにもつかない」者との腐れ縁なのだろうか。

四話 冬は白く

初出は『野性時代』2006年2月号。川村七竈視点で描かれ、芸能プロデューサ梅木美子(うめきよしこ)が登場する。

梅木美子は、かつての昭和の売れっ子アイドル乃木坂れなである。かつて人並外れた「呪いのかんばせ」を持っていた彼女は、七竈の人生における、延長線上の存在。将来像の一つとして提示される。呪いを解くには、この町を出るしかない。そして時間が過ぎて置いていくのを待つしかない。

この町にはおれぬ。

長くは、おれぬ。

『少女七竃と七人の可愛そうな大人』p121

かつて、田中に告げられた「七竈の実」のイメージが、べちゃりべちゃりと潰れていく七竈の心象風景が鮮烈に印象に残る一編。

五話 機関銃のように黒々と

初出は『野性時代』2006年3月号。桂雪風の視点で描かれる。

地方都市の世間の狭さを感じさせてくれる作品。七竈のはとこが、雪風の従姉と結婚することになる。かつて関係があった、川村優奈、桂、桂多岐、田中、田中の妻が、披露宴の場で、一堂に会する。「七人の可愛そうな大人」のうち五人までもが揃う、修羅場のような空間である。こういうの、でも、年月が経つと意外と気にならないものなのだろうか?

東京へ進学する決意を固めた七竈に対して、戸惑いを隠せない雪風。裕福とは言えない、子だくさんの桂家の長男は北海道から出ることはできない。

ぼくたちの道がかさなっているのは、そこまで。

『少女七竃と七人の可愛そうな大人』p150

相互依存の関係にあった相手がいなくなる。恋とも友情とも、家族愛とも言えない、奇妙な感情で繋がってきた相手が消えてしまう。最後の引き金を引いて別れの決意を固める雪風の気持ちが切ない。

六話 死んでもゆるせない

初出は『野性時代』2006年4月号。またしても犬のビショップ視点。描かれるのは田中の妻である。よりにもよって、夫の浮気相手の家の目の前で車に轢かれる。夫は死んでしまったが、裏切りは許せない。でも本当は……。

自分自身でも明確に出来ない心の奥底を、あえてビショップ視点で描くことで形にしてみせている。

五月雨のような

川村優奈視点。「死んでもゆるせない」とセットで描かれる、田中と優奈のいちどきりの過ちのお話。本当に欲しかったものに近づく勇気がなかった女。「平凡な白い丸」であった川村優奈のこころのかたちを本当に変えてしまったひとときのお話。

これを読むとこの物語の真のヒロインはやはり、川村優奈なのではと思えてしまう。

七話 やたら魑魅魍魎

初出は『野性時代』2006年5月号。川村七竈でのラストエピソード。

七竈が髪を切るシーンが強烈な印象となって残る。

「要するにわたし、おかあさん、あなたのことを生涯ゆるせない気がするのです。」

(略)

「時が解決するわ。ゆっくりと待つわ。あんたがわたしのようになるのを待つわ。」

『少女七竃と七人の可愛そうな大人』p243~244

それは母と娘の決別でもあり、和解のはじまりであったともいえる。

そして、髪を切った七竈のかんばせは雪風そのものだったのである。結局この二人は、物理的な距離で分かたれようとも、本質的には切り離すことが出来ない、精神の双生児であったのかもしれない。かつての二人にはもう戻れなくても、それぞれの内側にはお互いが輪郭となって残っているんじゃないのかな。

ゴージャス

初出は『野性時代』2007年2月号。梅木美子の乃木坂れな時代のお話。

このエピソードだけ掲載タイミングがずいぶん後になっており、番外編的な内容となっている。「呪いのかんばせ」は歳を取ったら幸せになれるのか?

『少女七竃と七人の可愛そうな大人』の前史として読むことが出来、これを最初に読んでから本編を読んでみると、また違った発見がありそう。

「可愛そうな大人」のための物語なのでは?

今回久しぶりに『少女七竃と七人の可愛そうな大人』を再読してみたのだが、「可愛そうな大人」の側になってみると、見えてくる世界がまるで違っていて驚かされた。

初読時は、七竈と雪風の別離のシーンだけが記憶に残っていたのだが、今回は大人側の視点ばかりが気になってしまった。変わってしまうこころのかたち。どこにも行けない、どこにも着けない。やわらかな行き止まり感。それはある程度、年齢を経たものであれば、誰でも大なり小なり感じていることであろう。

七竈は云う。

「おかしな人!大人って、かわいくて、かわいそう!おかしなものですねぇ!」

『少女七竃と七人の可愛そうな大人』p70

「可哀そうな大人」ではなく、「可愛そうな大人」であるところに、桜庭一樹の優しさというか、茶目っ気があるように感じる。少なくともわたしは、後者の大人でありたいと思う。

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