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『一線の湖』砥上裕將 魅力的な水墨画の世界と、瑞々しいタッチの成長小説

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『線は、僕を描く』の続篇が登場

2023年刊行作品。作者の砥上裕將(とがみひろまさ)は1984年生まれの小説家。デビュー作は第59回のメフィスト賞受賞作『線は、僕を描く』(応募時タイトルは『黒白の花蕾』)。この作品は横浜流星(よこはまりゅうせい)の主演で映画化され話題になった。

砥上裕將は、その後2021年に短編集『7.5グラムの奇跡』を上梓。そして三作目として書かれたのが本作『一線の湖』だ。本作は『線は、僕を描く』のその後を描いた続編作品となる。表紙イラストは前回に続きイラストレータの丹地陽子が担当している。

一線の湖

担当編集者によるコラム記事はこちら。この記事によると前作の部数は20万部を越えたらしい。

前作『線は、僕を描く』の感想はこちらから。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

前作『一線の湖』を読んで、続編を読んでみたいと思っていた方(本作を先に読むのはまったくお勧めしない)。水墨画の世界に興味のある方。人の気持ちの優しさに触れてみたい方。ハートウォームな成長小説を読みたい方におススメ!

あらすじ

かつて水墨画によって救われた青山霜介。大学三年生となった霜介は新たな壁に直面していた。描けない苦しみ。期待に応えられない苦しみ。そして進路の悩み。誘われるがままに小学校の外部招聘講師として招かれた霜介は、子どもたちと触れ合うことで自身の新たな可能性を知る。そして、師、篠田湖山は霜介にとあるものを手渡すのだが……。

ここからネタバレ

前作『線は、僕を描く』の内容についても言及するのでご注意を。

ぶち当たったものが形を決める

高校時代に事故で両親を失い、失意の中生きる気力を失っていた霜介は、水墨画の巨匠、篠田湖山(しのだこざん)、孫娘の千瑛(ちあき)、弟子の西濱湖峰(にしはまこほう)、斉藤湖栖(さいとうこせい)らに出会う。彼は水墨画を描くことで生命力を取り戻し、やがて隠れた才能を発揮。彼の絵は、周囲にも驚きを持って迎えられていく。

というのが前作までのあらすじ。それから二年が経過。主人公の青山霜介(あおやまそうすけ)は大学三年生となった。もはや彼にとって水墨画はあたりまえのように自分の中にある存在であり、描くことが自らの存在理由にもなっている。

ただ、ここに至って彼は描くことで壁にぶち当たる。揮毫(きごう)会の場で、満足に腕を振るうことができず、醜態をさらした霜介は深刻なスランプに陥る。人間、順風満帆な中では自らの課題や問題点に向き合うことがない。超えられない壁が目の前に立った時、人はどう振舞えばいいのか。困難の中でもがき苦しむ中で、自分でも想像していなかった新しい自分が見えてくる。困難な環境が人を造るのだ。本作の中ではそれを「ぶち当たったものが形を決める」と表現していて、なかなか良い言い方だなと感じた。

ようやくさよならが訪れた

描くことに行き詰っていた霜介を救ったのは子どもたちだった。小学校の臨時講師として招かれた彼は、子どもたちに水墨画を教えることで再起のきっかけをつかむ。そしてその小学校は、教諭であった母が生前に勤務していた場所でもあった。

母のかつての同僚たち、矢ケ瀬弥生(やがせやよい)、椎葉朋美(しいばともみ)らと出会うことで、霜介は今まで知ることがなかった、社会人としての、教育者としての母の姿に出会う。母の時間のなかにいる。同じ立場に立つことで見えてくるものがある。それは、これまで母の死に向き合えずにいた彼の心を変えていく。

特に、椎葉朋美の存在は霜介の心の在りように大きな影響を与えた。椎葉朋美は、霜介の母親を強く慕っていた若い教師であり、その死に未だその死に囚われている人間でもあった。霜介は自分と同じような、哀しみの闇に閉ざされたままの人物を初めて見たのではないだろうか。だからこそ自分の中の哀しみを共有できた。思いを吐露することができたのだ。これはきっと千瑛では無理な役割だったのだと思う。霜介はようやく、両親の死を受容することができたのだ。

あなたが筆を持たないならわたしも持たない

第一章、第二章ではヒロインの座を椎葉朋美に持っていかれていた篠田千瑛だったが、第三章からようやく正ヒロインとしての存在感を増していく。水墨画界の巨人篠田湖山を祖父に持ち、その後継者として才能を発揮することを期待されている千瑛。彼女は失敗できない世界で生きることを宿命づけられ、自らもそれを選んだ人物だ。

水墨画の世界でサラブレットとして生きてきた千瑛は、前作で霜介と出会ったことで生き方を変えられる。逆境の中から立ち上がり、キャリア二年余りで自分に匹敵するレベルにまで上達した同世代の霜介を千瑛は意識せざるを得ない。祖父は自分には与えなかった特別な鼬毛の筆を霜介には授けている。自分には与えない試練を次から次へと与えていく。

揮毫会での失敗。学園祭での事故。千瑛が壊してしまった筆。そして手の感覚を失い描けなくなった霜介。単なる男女の愛情を越えた、同じ道を歩むものとしての矜持や、共感そして自分には無い才能へのコンプレックス。千瑛が霜介に対して抱いている感情は、とても複雑なものなのだけれども、いつしかもう手放せない存在になっている。霜介の方も朴念仁なので二人の関係はなかなか進まなそうだけど、依存し過ぎないくらいの現在の在りようが、いまは丁度いいのかな。

生きるとはやってみること

篠田湖山は、描けなくなり、壁にぶつかり呻吟する霜介を、自身が創作のために使っていた山荘に送り出す。そこで霜介は意外な人物にであう。ええっ、ここで斉藤さんが出てくるのか!西濱さんといい、霜介はほんとうに兄弟子に恵まれている。家族を失った霜介が「君は俺たちの家族だからな」と言われて、どれだけ救われたことだろうか。

鼬毛の筆の筆を託され、斉藤湖栖と創作にあけくれる日々を過ごす中で、霜介は自分に何が足りなかったのかを掴む。あまりに張りつめた心には隙間が無い。創作には心の内側に余白が必要で霜介にはそれが無かった。かつての師と同じ時間、同じ空間に身を置くことで自らに欠けていたものが何だったのがわかる。これは、小学校での「母の時間」に身を置いたことのリフレインであり、作者の上手さを感じる構成だ。

最終章は、霜介にとってリベンジとなる揮毫会。しかも篠田湖山の引退セレモニーを兼ねた大舞台だ。迫力のある揮毫会の描写は圧巻のひとことで、自身が水墨画家である作者だからこそ書けるシーンだ。描かなければ失敗はない。なにごとやってみなくては始まらない。生きるとはやってみることなのだと締める。最後に、タイトル回収も見事に決まり、物語は美しく幕を閉じるのだ。

教育者としての適性を見出した霜介は、進路に小学校の教諭職を選ぶ。ひとたび千瑛らと道は分かれるが、筆は握り続けるだろうし、いずれは続編も書かれることと期待したい。

一線の湖

一線の湖

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