ネコショカ

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『また、同じ夢を見ていた』住野よる 人生と幸せの意味


「キミスイ」後の住野よる二作目の作品

2016年刊行作品。大ヒット作となった『君の膵臓をたべたい』に続く、住野よるの第二作である。デビュー作があれだけ売れると、第二作はさぞかしプレッシャーになるのではと思うのだが、また少し違ったタイプの作品を書いてきた。

また、同じ夢を見ていた

双葉文庫版は2018年に登場している。今回わたしが読んだのはこちら。

また、同じ夢を見ていた (双葉文庫)

また、同じ夢を見ていた (双葉文庫)

 

あらすじ

小学生四年生の小柳奈ノ花には同級生の友だちがいない。しかし彼女には、一匹の猫と、素敵な女性”アバズレさん”、そしてやさしい”おばあちゃん”との交流があった。そんなある日、奈ノ花は初めて訪れた場所で”南さん”という不思議な女子高生に出会う。人生と幸せの意味。さまざまな事件を通して、成長を遂げていく奈ノ花の姿を綴る。

児童文学のような佇まい

最初児童文学なのかと思った。青い鳥文庫とか、児童文学のレーベルに入ってても違和感なさそう。

主人公の小柳奈ノ花は小学四年生としては、ずいぶんと大人びた考え方をする女の子で、アタマも良く、それ故にまわりの子どもたちからは浮いた存在になってしまっている。元気いっぱいだが独自の価値観を持ち、周囲の空気を読まず、思ったことは瞬時に実行に移す。確かに現実に存在してたら、環境によっては苛められそうなキャラクターではある。

最初は、全体の構成がよく判らずに、読み手としては戸惑うのだが、南さん編でだいたいお話の骨格は見えてくる。アバズレさん、おばあちゃん、そして南さんは、全て奈ノ花の「ありえたかもしれない自分」の姿なのである。

南さんの幸せ「自分がここにいていいって、認めてもらえること」

アバズレさん、おばあちゃん、南さん。彼女ら「ありえたかもしれない自分」は、何度も奈ノ花の目の前に現れて、その人生の危機から救ってくれる。

この作品の面白いところは、奈ノ花がピンチから救われるだけでなく、奈ノ花によって彼女たち自身も救われていることである。お互いがお互いを助けているのである。

奈ノ花は南さんからのアドバイスで、両親の事故死フラグを回避することに成功している。

そして、幼いころに両親と喧嘩別れしたまま死別してしまった南さんは深い悔恨と孤独の中に生きてきた。しかし奈ノ花と出会うことで、南さんは自分の存在価値を認識し、再び生きていく勇気を得る。南さんは奈ノ花によって、「自分がここにいていいって、認めてもらえ」たわけである。

アバズレさんの幸せ「誰かのことを真剣に考えられること」

アバズレさん(凄いネーミングだ)は、「季節を売る」お仕事をしている。季節を売る、つまり春を売る、売春を生業としている女性である。彼女もまた、辛い人生を送る中で自暴自棄になり、奈ノ花に出会う間際まで死ぬことばかりを考えていた。

桐生くんのいじめ問題から発展して、自身もいじめを受けるようになった奈ノ花に、アバズレさんは「誰とも関わらないなんて言っちゃ駄目」であることを諭し、人との関わり合いを絶ってはいけないことを教える。

一方で、奈ノ花は、誰とも正面から関わり合うことをしてこなかったアバズレさんに、「誰かの事を真剣に考える」幸せをもたらし、再び生きるための勇気を与えることになるのである。

LIVE ME「僕も、小柳さんの味方だから」

アバズレさんとの交流を通して、奈ノ花はひとりだけで生きてはいけないことを知る。一度は諦めた桐生くんへの説得を再開し、無価値だと思っていた学校生活とも向き合う決意をする。

これまでの奈ノ花は、南さんやアバズレさんのような「ありえたかもしれない自分」自身によって救われてきた。しかし、桐生くんとの対話を通じて、奈ノ花は「味方が欲しいのはわたしだった」ことを悟る。奈ノ花はここで初めて桐生くんという他者によって救われるのである。

人生は他者とのつながりが無ければ、とても辛く寂しいものになってしまう。桐生くんとの心が通じ合ったシーンの描写は、本作の中でもとりわけ印象的である。

黒は一つの染みも作らずに、だけれど一面が白いわけでもなく、この世界にこんなものがこれまでにあったのかどうかも分からない、もしかするとこの時新しくこの世界にその色は生まれたんじゃないかと思うほどの、そんな素敵な色が私の心に塗られたのです。

『また、同じ夢を見ていた』より

おばあちゃんの幸せ「今、私は幸せだったって、言えること」

おばあちゃんの位置づけを読み解くのは少々難易度が高い。

彼女は晩年に至って

「好きなことをして、好きな人達と一緒に、人生を過ごしてきたよ」

「普通に幸せな人生を送ることが出来た」

「幸せだと思える人生を歩いてこられた」

と、心境を語っており、人生に何の悔恨も無いように思えるのだ。つまり、南さんやアバズレさん時代の苦難を乗り越えて、幸福なまま人生を終えようとしている。

ただ、注意深く読み進めていけばわかると思うのだが、おばあちゃんの人生において、桐生くんは「家族と海外に住んでいる」わけで、二人の関係は「友達」止まりで終わっていることがわかる。

もちろん、この人生の選択に、おばあちゃんは何の後悔も抱いていない。「桐生くんを選ばなかった」人生でも、彼女は十分に幸せだったのであろう。

それでも、彼女は奈ノ花に告げる。

「皆が選ぶんだよ」

「幸せになるためだけに」

彼女は人生の最後に、幸せへの選択肢は一つではないこと。彩り豊かな人生の無限の可能性を奈ノ花に教えるのである。ここの描写も色彩感に溢れていて本当に綺麗。

長く長く続いた洞窟の中、真っ暗な闇の中、そこから外に出た時に拡がる目を潰してしまうかと思うほどのまばゆい光と、想像していたよりもずっと広大な風景。そこには数えきれないくらいの素敵な緑や風があって、そこには数え切れないほどの縁や幸福があって、この先に一歩踏み出すというそのことだけで、私の心は甘いものに満たされる。

『また、同じ夢を見ていた』より

奈ノ花の幸せ「行動や言葉を自分で選べること」

ということで、ようやくここに繋がる。南さんやアバズレさん、そしておばあちゃんとの触れ合いを通じて、奈ノ花がたどり着いた幸せの意味がこれである。

幸せとは、自分が嬉しく感じたり楽しく感じたり、大切な人を大事にしたり、自分のことを大事にしたり、そういった行動や言葉を自分の意思で選べることです。

『また、同じ夢を見ていた』より

人生に存在する無限の可能性を、誰に強いられるのでもなく、自分の意思で選んでいけること。それが幸せなのだと。

ここで、再三、奈ノ花が口にしていた『三百六十五歩のマーチ』の冒頭の歌詞が、本作のテーマを何度も何度も提示していたことに改めて気づかされる。

しあわせは 歩いてこない
だから歩いて ゆくんだね

星野哲朗 作詞 『三百六十五歩のマーチ』より

最初から言ってたじゃん!この構成の巧さには参った。凄いよね。

薔薇の下で

ラストシーンでは大人になった奈ノ花と桐生くんが登場する。

ここで奈ノ花はきっと「桐生くんを選ぶ」人生を選択するのだろう。南さんともアバズレさんとも、おばあちゃんとも違う、誰のものでもない小柳奈ノ花の人生を、彼女は選んで生きていくのである。

ちなみに「薔薇の下」とはラテン語で「sub rosa」。秘密を意味する。

静かな余韻を残す、美しい物語の幕の引き方である。

kotobank.jp

 

コミカライズ版は全三巻

本作はマンガ版が存在する。桐原いづみによる作画で、双葉社のコミック誌『月刊アクション』に2017年11月号から2018年10月号にかけて連載されていた。こちらは全三巻で完結済である。

また、同じ夢を見ていた(1) (アクションコミックス(月刊アクション))

また、同じ夢を見ていた(1) (アクションコミックス(月刊アクション))

 
また、同じ夢を見ていた(コミック版) : 2 (アクションコミックス)

また、同じ夢を見ていた(コミック版) : 2 (アクションコミックス)

 
また、同じ夢を見ていた(3) (アクションコミックス(月刊アクション))

また、同じ夢を見ていた(3) (アクションコミックス(月刊アクション))

 

住野よるのデビュー作『君の膵臓をたべたい』の感想はこちらからどうぞ

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