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『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』阿部暁子 南朝の姫と人々の想い

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阿部暁子初の一般レーベル作品

2018年刊行作品。集英社文庫での描き下ろしである。

作者の阿部暁子(あべあきこ)は1985年生まれ。これまで集英社コバルト文庫や、オレンジ文庫で作品を上梓して来た阿部暁子としては、初の一般向けレーベルからの作品刊行となる。歴史小説の世界でもなかなか扱われない室町時代、それも南北朝の争乱をテーマとした内容であり、室町時代ファン(わたしのことである)としては感涙の一冊と言える。

室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君 (集英社文庫)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

歴史小説がお好きな方。特に室町時代、南北朝時代を描いた作品を読んでみたいと思っている方。南朝のファンの方。知られざる歴史の一面を垣間見てみたい方。阿部暁子が書いた歴史小説に興味のある方におススメ。

あらすじ

室町幕府三代将軍、足利義満の時代。南朝の皇女透子は密かに行宮を抜け出し京都へ潜入する。南朝を裏切り、北朝へ寝返った、楠正儀に翻意を迫るためであった。世間知らずが災いして、早々に人買いに拉致されてしまった透子だったが、彼女を助けたのは皮肉なことに、仇敵足利義満その人であった。

ここからネタバレ

阿部作品の室町モノは二作目

なかなか書かれることの少ない室町モノの歴史小説だが、阿部暁子作品においては、これは初めての事ではない。阿部暁子は、なんとデビュー二作目の『室町少年草紙』で既に、この時代を舞台とした作品を世に送り出しているのである。

『室町少年草紙』については、既に当ブログで感想を書いているので、詳細はこちらをご参照頂きたい。

コバルト文庫で歴史モノ、しかも室町(南北朝)時代を取り扱うとは相当にマニアックである。作者の人並ならぬこの時代への愛着を感じる。そして、作家としては気合が入るであろう、一般レーベル参入第一作も室町(南北朝)時代モノなのである。どれだけ好きなんだよというところだが、その心意気や良しである。こういうこだわりは大事にすべきだよね。

二人の征夷大将軍

南北朝時代は、二人の天皇が並び立つ日本史の中でも極めて異常な時代だが、二人の帝が存在する副産物として、二人の征夷大将軍が同時代に併存する不可思議な状態も発生している。

北朝を戴く足利将軍の義満と、南朝後醍醐帝の遺児である宗良親王。本作では二人の征夷大将軍が互いの主義主張を持って会いまみえる。

後醍醐帝の遺志、志半ばで死んでいった同志たちの想いを背負い、40年間募らせた憎悪を捨てられない宗良親王と、不毛な戦いであるからこそ終わらせて、これからの100年を見据えた政をすべきであるとする義満の主張は当然かみ合わない。

征夷大将軍VS征夷大将軍って、なかなかありえないシチュエーションで、これは燃える。こういう対決軸を考えられるのはさすがは作家の想像力である。

終わらせるためにここに来た

楠正儀(くすのきまさのり)は、有名な楠木正成の三男であり、南朝を支えた大黒柱の一人である。楠家の武将でありながら、正儀は南朝を裏切り北朝に寝返るのである。だが、正儀の面白いところは、その後もう一度南朝に出戻ってしまうことにある。非常に興味深い人物だけに、阿部暁子的にもお気に入りの武将だったのだろう。義満、観阿弥世阿弥父子と並んで、正儀は前作の『室町少年草子』にも登場している。

本作での正儀は、南朝の後村上天皇天皇の遺志を受け継ぎ、裏切り者の汚名を背負いながらも、南北朝和睦の道を探っていく人物である。寡黙でありながらも、行動力があり、清濁併せ飲める器量がある。こういう渋いキャラクターをしっかり活躍できるのが本作の良い所だろう。

女にだって心はある、男にあるものは全てある

ヒロインの透子は、南朝後村上天皇の末子で、長慶天皇の妹にあたる13歳の少女だ。お姫様育ちの上、山深い南朝の行宮で育ったために、庶民の生活にも、最新の政治動向にも疎い。ただ、苦難の時代が続く南朝の人々を救えないかと突っ走る。この行動力が人々の心を動かしていく。

無謀な行動をたしなめる楠正儀に対して、透子が言い放つこのセリフは彼女のキャラクターの本質が良く出ている部分ではないだろうか。

お兄様もそうおっしゃるわ。女がでしゃばるな、御簾の内でしとやかにしていろと。けれど、女にだって心はあるのよ。誇りも、願いも、男が持つものはすべて女にもある。わたしは後村上院の娘として生を享けた。自らの属するもののために力を尽くしたいと願うのは、そんなにもおかしいことっ?

『室町繚乱』より

終盤、世阿弥のセリフに託されているが、たとえ非力な存在であっても、何かが出来ると信じて、自分に出来ることを懸命になしていくのであれば、それは無力ではないという主張は作者の信念なのであろう。

結果として宗良親王は一時的にではあるが矛を収めた。しかし、南北朝の和睦はまだ先の話であり、和睦したとしても南朝方の積年の怨恨が消えることはない。ただ、非力ではありながらも、無力ではなかった透子の行動は、僅かながらでも歴史を動かしたのかもしれない。

歴史とは権力者たちだけが築いていくものではなく、多くの無名の人々の想いの蓄積が動かしていくものなのではないか。そんな作者の願いにも似た想いを感じ取ることが出来た一作なのであった。また、室町モノ書いて欲しいなあ。

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