角川文庫キャラクター小説大賞受賞作
2019年刊行作品。KADOKAWA主催による、第四回角川文庫キャラクター小説大賞の大賞受賞作。『鬼憑き十兵衛』でファンタジーノベル大賞を受賞した、大塚已愛(おおつかいちか)の第二作でもある。
特徴のある画風だから、見たらすぐ判ると思うが、表紙イラストはTHORES柴本(とーれすしばもと)である。
あらすじ
19世紀末。ヴィクトリア朝時代のロンドン。男爵令嬢のエディスは、とある画廊で見かけたルーベンスの未発表作品に目を奪われる。絵から現れる異形の世界。突如として現れた謎の青年サミュエルは何者なのか?贋作から生み出される悪夢の産物たちと、それを操る一団の陰謀に、いつしかエディスは巻き込まれていくのだが……。
ヴィクトリア朝モノの愉しみ
ヴィクトリア朝時代とはヴィクトリア女王が大英帝国に君臨した、1819年から1901年までの期間を指す(けっこう長いのだ)。この時代を描いた作品として、世界的にもっとも知られているのは、やはりコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズかな?
2000年代に入ってからだろうか?日本では、このヴィクトリア朝時代を舞台とした作品が目立つようになってきてる。枢やなの『黒執事』や、森薫の『エマ』、竹内良輔・三好輝による『憂国のモリアーティ』、ライトノベルの世界では谷瑞恵の『伯爵と妖精』シリーズや、青木祐子の『ヴィクトリアン・ローズ・テーラー』あたりが特に有名だろうか。
どうしてこの時代が人気があるのか、正直いま一つピンと来ていないのだけど、日本人的にも良く知られているだけに書きやすく、読み手もイメージがしやすいのかも。近代に入っていて、最低限の交通機関や文明の利器も出てきている。それでいて昔ながらの貴族社会も堅牢に残っていて、物語にメリハリがつけやすい。現代的な科学文明と、近代までの古き良きものが絶妙な状態で混淆している。そんな時代であったのかもしれない。
エディスと巡る不思議な絵画の世界
本作の楽しみの一つは、エディスの視点から語られる西洋絵画の数々だろう。有名な作品ばかりだが、いわゆる「名画」とは少し異なる、屈折した精神の有り様、もしくは本来とのあり方とは異なる描かれ方をされたものばかりが集められている。
以下、wikipedia先生から画像が引用出来たものをご紹介しよう。
ドラクロワ「怒れるメディア」
英雄イアソンとの間に出来た二人の子ども。イアソンの裏切りを知り、その子らを殺そうとしている王女メディアの姿を描いたもの。
エディスによれば、黒髪の幼子の方が、サミュエルに似ているのではとのこと。
Médée (Delacroix) — Wikipédiaより
イリヤ・レーピン「イワン雷帝とその息子イワン」
エディスが画家になることを諦めさせた一枚。息子イワンを自らの手で殺してしまった、イワン雷帝の姿を描く。
フランツ・ヴィンターハルター「ヴィクトリアの家族」
美化が激しすぎる!とエディスに突っ込まれていた一枚。この絵を見ていた時に、エディスはブラウンに声をかけられる。
File:Franz Xaver Winterhalter Family of Queen Victoria.jpgより
ちなみに写真でヴィクトリア女王を見てみるとこんな感じ。
もう少しお年を召された頃だとこんな感じ。作中のヴィクトリア女王のビジュアルはこちらに近いかな?メッチャ貫録たっぷりである。
イワン・クラムスコイ「荒野のイエスキリスト」
エディス曰く、ブラウンが連れていたロシア人青年アレクセイは、この絵のキリストに似ているような気がするとのこと。こ、怖い。
アレクセイは今回、ほとんど出番なかったけど、次回は出てくるのだろうか。
ピーテル・ブリューゲル「ベツレヘムの嬰児虐殺」
キリストが生まれたことを知り、ユダヤの支配者ヘロデ王が2歳以下の男児を全て殺害させたという聖書のエピソードに基づく一枚。
後世、改竄され、虐殺される嬰児が鳥や壺などに置き換えられている作品。
なお、ターナーの裸婦画はラスキン先生に焼かれてしまったので(実話)、見ることが出来なくて残念。ただ、裸婦画ならぬラフ画は現存しているらしく、こちらのページに載っているので、興味のある方は是非。中段より少し下あたり。
ラスキン先生は、ラファエル前派あたりの美術展を観に行くとかならず言及される大物である。妻をジョン・エヴァレット・ミレーに寝取られたり、幼い少女にゾッコンになったりと、いろいろなことをしでかしているので、追いかけてみると相当に面白い人物だと思う。『ネガレアリテの悪魔』でも、かなりの分量をこの人物に当てており、作者的にも気になる人物だったのではないだろうか?
ネガレアリテ=心が形になる世界
ああ、すっかり脱線してしまった。本編の話もしなくては……。
ネガレアリテとは陰画(ネガ)が現実(レアリテ)になる世界である。ここでは、日頃押し隠している鬱屈した想いが、グロテスクな形で可視化される。
ビジュアル的には『魔法少女まどかまぎか』の魔女登場のシーンを描いた、犬カレー空間っぽい感じかな?(個人の感想です)
ビジュアル的には相当グロイであろうと思える、ネガレアリテでの戦闘シーンがなかなかに魅力的である。
「贋者」たちの羞恥と哀しみ
ヒロインのエディス・シダルは男爵令嬢だが、実は父親の姉が産み落とした不義の子である。謎の青年として現れるサミュエルも、後ろ暗い出生の秘密を持ち(本作では完全には明かされない)、ラスボスであるブラウンはヴィクトリア女王が愛人との間に産んだ子供である。そして敵として登場する、「反秩序の王」は贋作絵画の中から登場する異形の者なのである。
つまり本作の登場人物全てが、その出自に負い目を感じる「贋物」ばかりで構成されているのだ。そのため「贋物たちの輪舞曲」というサブタイトルは、実に言い得て妙であると言える。「贋物」たちは生まれながらに、自らが望まれてこの世に出たのではないことを自覚しており、それ故に自身への肯定感も低い。
蓮の花がもたらす確信と残された謎
それぞれ、自身を肯定できずに生きてきたエディスとサミュエル。しかし、この二人が出会うことで彼らの運命は動き出す。自分と似た存在を知ることで、初めて自分を客観視することが出来たってことだよね。暗闇の中にいた二人の心に、初めて光が射しはじめるのである。この構成は良くできてる。
取り繕った清澄な上澄みの奥には、汚泥に塗れた本当の自分がいる。しかしそんな泥の中にも、美しい何かが潜んでいるかもしれない。心の中の蓮の花がエディスにもたらしてくれた確信は、これから彼女の運命をどう変えていくのだろうか?
エディスの出生の秘密は?サミュエルはいかにして生まれたのか?ブラウンは何をしようとしているのか?明かされていない秘密はあまりに多い。
幸い次回作『ネガレアリテの悪魔 黎明の夜想曲 』が間もなく刊行(2019年12/24発売)されるようなので、出たらさっそく読んでみるつもり。