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『楽園とは探偵の不在なり』斜線堂有紀 二人殺せば地獄行きの世界で連続殺人は可能か?

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斜線堂有紀、初のハードカバー作品?

2020年刊行作品。作者の斜線堂有紀(しゃせんどうゆうき)は1993年生まれ。『キネマ探偵カレイドミステリー』で電撃小説大賞の「メディアワークス文庫賞」を受賞し、2017年に作家デビューを果たしている。

当初はメディアワークス文庫での作品発表が主であったが、ここ2020年前後からは他社からも作品がリリースされるようになった。本作は早川書房から初登場。あれ、ひょっとして初ハードカバー作品にもなるのかな?

『楽園とは探偵の不在なり』は「ミステリが読みたい!」で第2位、「週刊文春ミステリーベスト10」で第3位、「本格ミステリベスト10」では第4位、「このミステリーがすごい!」では第6位と、ミステリ系ランキング全てで上位にランクインされた。斜線堂有紀の出世作となった一作だ。

ハヤカワ文庫版は2022年に刊行されている。

楽園とは探偵の不在なり (ハヤカワ文庫JA)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

斜線堂有紀作品に興味のある方。通常世界とは異なる特殊設定下での本格ミステリを読んでみたい方。クローズドサークル系の作品が好きな方。このタイトルにピンときたテッド・チャン読者の方におススメ!

あらすじ

"天使"の顕現する世界。そこでは二人以上の殺人は即座に地獄行きとなる。探偵、青岸焦は、大富豪、常木王凱によって天使が群れ集う常世島へと招かれる。やがて、怪しげな人々が滞在するこの島では連続殺人事件が起こる。"天使"の存在下で、犯人はいかにして複数の殺人を成立させることが出来たのか。事件の解決に乗り出した青岸は、意外な真相を知ることになるのだが……。

ココからネタバレ(犯人にも言及しているので注意!)

特殊設定下のミステリ

ある瞬間から"天使"が出現するようになった世界。羽を持ち空を飛ぶ。皮膚は爬虫類、骨と肉は人間を模したかのよう。脳と顔はなく喋ることもない。表紙絵を見てみても、一般的な天使像からはかけ離れたえげつないビジュアルである。こんなのがたくさん空飛んでたら、相当に気が滅入りそう。

この世界では、二人以上人間を殺害すると"天使"によって地獄へと引きずり込まれる。従ってこの世界では連続殺人は起こりえない。ただし、地獄へ送られるのは殺人の実行犯に限られ、それを教唆した人間や、陰謀を巡らしたり、人知れず殺人へと導いたものは"犯人"とは見做されない。ミステリ的にはここがポイントかな。

"天使"は単純に二人以上の直接殺人者を裁くが、そこに善悪の判断はない。ただ機械的に処理がなされるのみ。それが不可抗力の事故であろうが、正当防衛であろうが一切の容赦はない。無慈悲にして、不条理な世界で、人々はどう生きるのか?

昨今、特殊設定下でのミステリが流行しているよう思えるのだが、本作はその中でもきわめつけの一作と言えるかもしれない。

喪失後の人生をどう生きるか

人生最高の時を過ぎ、最高の仲間たちを喪った後に、人はどう生きて行けばいいのだろうか。

本作で探偵役を務める、青岸焦(あおぎしこがれ)は、過去に大切な仲間たち全員を爆殺された凄惨な過去を背負っている。"天使"出現後の世界では連続殺人が激減し、探偵の仕事にも影響が出ている。青岸に持ち込まれる依頼も少なくなり、彼は深い絶望と孤独の中で、虚無の日々を生きている。

二人殺した殺人者を地獄に送り込むくらいしか能のない天使たちだが、気まぐれに人々に"祝福"をもたらすことがある。青岸はまさにそのレアケースに該当し、天使の"祝福"によって重度の火傷が奇跡的に治癒している。

"祝福"を受けたところで、全ての仲間を失った人生に価値はあるのか。出口のない迷路を彷徨う探偵の孤独感が、読み手の心に強く刺さってくる作品である。

「正義の味方」にも死は訪れる

作中で再三言及される、青岸のかつての仲間たちは以下の通り。

  • 赤城昴(あかぎすばる):美大卒のフリーター
  • 真矢木乃香(まやこのか):ホワイトハッカー
  • 嶋野良太(しまのりょうた):元刑事
  • 石神井充希(しゃくじいみつき):元大企業秘書

特に印象に残るのは、中心メンバーである赤城昴であろう。彼は、かつて青岸に命を救われた過去がある。赤城は独断で新たなメンバーを選定しては、青岸の探偵事務所を賑やかにしていく。彼らは組織のはぐれモノばかりだが、「正義の味方」であることに強い自負心を持ち働いていた。

しかし、そんな彼らを待ち受けていたのは新型爆弾フェンネルによる無惨な死であった。正義の執行者であろうとも死は免れない。

地獄があるのだから天国もあるのではないか?正義を信じた者たちは天国にいるべきではないのか。"天使"が舞飛ぶ常世島に、一縷の望みを託して訪れた青岸であったが、そこで起きたのは凄惨な連続殺人事件であった。

二度目の"祝福"はあったのか?

本作で"祝福"を受けたとされる人物はもう一人存在する。それは常世館のメイド倉早千寿紗(くらはやちずさ)である。記者であった父親、檜森百生(ひもりももお)を常木らによって殺された彼女は復讐を誓い犯人グループに接触を試みる。メイド採用時に起きた"祝福"がなければ彼女が常世島に来ることはなかったし、今回の犯行に手を染めることもなかったはずである。

この物語の中では探偵と犯人だけが"祝福"を受けている。これはなんとも皮肉な構成であると言える。

千寿紗の犯行は、"天使"システムの裏を突いたもので、その点では卓越した発想であった。しかしこの連続殺人は相当にリスキーで綱渡りである。政崎がおとなしく千寿紗の言うことを聞いて自殺してくれるとは限らないし、井戸とボートを使った物理的なトリックは成功したこと自体が奇跡のようなものである。争場の暴走も想定外だった。それでも彼女は最後までやり切った。この犯行が最後まで成就できたこと自体が、彼女にとっては二度目の"祝福"であったのかもしれない。

辺獄の終わり

そして、二度目の"祝福"はもう一つあった。そう考えたいのが探偵青岸の復活である。この事件は、探偵としての青岸を再び蘇らせるための舞台装置だったのではないかと思えるのである。常世島に集められた宇和島彼方(うわじまかなた)、伏見弐子(ふしみにこ)、大槻徹(おおつきとおる)はいずれも、青岸に対して何らかの恩義を感じている人物であり、彼に対して同情的である。

失意の中で常世島を訪れた青岸だったが、彼はこの事件を通じてかつての自分を取り戻していく。愛すべき仲間たちを失ったとしても、青岸の探偵としての本質が失われたわけではない。

「探偵とは事件に巻き込まれた人を幸せにするのが役目」。今は亡き赤城昴の言葉に背中を押され、事件解決への決意を固める青岸の姿は読み手の心を打つ。

エピローグの中に「辺獄」という言葉が使われているが、これは天国と地獄の間にあるとされる中途半端な場所である。ここから青岸は抜け出すことが出来た。"天使"や神はしょせん不条理なもので、人間には何もしてくれない。であれば、人間は自分の力で生きていくしかない。正義をなすのはあくまでも人なのである、と。

テッド・チャン「地獄とは神の不在なり」

最後におまけ。

参考文献のところで明示されているが、「作品の根底に通じるテーマとして」、テッド・チャンの「地獄とは神の不在なり」が挙げられている。本作のタイトル事態も、この作品にインスパイアされたものなのであろう。

「地獄とは神の不在なり」はテッド・チャンの短編集『あなたの人生の物語』に収録されている。天使が顕現し、祝福と災厄をもたらす世界が描かれている。本作と共通する要素も多いので、未読の方には一読をおススメしたい。

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