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『存在のすべてを』塩田武士 未曾有の二児同時誘拐事件と、それからの三十年

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塩田武士の新たな代表作になりそう

2023年刊行作品。朝日新聞社の週刊誌「週刊朝日」の2022年4月1日号~2023年6月9日号にかけて連載されていた作品を単行本化したもの。初出時のタイトルは「未到の静けさ」だった。2023年版の週刊文春ミステリ・ベスト10では国内部門の7位にランクインしている。

作者の塩田武士(しおたたけし)は1979年生まれのミステリ作家。骨太の社会派系ミステリの書き手として知られ、2011年のデビュー以来、毎年ほぼ一作、コンスタントに新作を上梓している。ここ数年は『盤上のアルファ〜約束の将棋〜』『歪んだ波紋』『罪の声』『騙し絵の牙』と、手掛けた作品が続々とドラマ化、映画化され、注目度の高まっている作家といえるだろう。

存在のすべてを

表紙に使われているのは、画家、野田弘志(のだひろし)による絵画『THE-9』。これ、一見すると写真のように見えるが実は絵画なのだ。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

重厚感のある社会派ミステリがお好きな方。社会問題をテーマにしたミステリ作品を読んでみたい方。家族の在り方について考えてみたい方。新聞記者の存在意義について、思いを巡らせてみたい方。塩田武士作品が好き!と言う方におススメ!

あらすじ

平成3(1991)年に発生した未曾有の二児同時誘拐事件。空前の規模の捜査態勢が取られるが事件は未解決のままに終わる。当時、駆け出しの新聞記者であった門田は、三十年の歳月を経て、かつての被害児童の現在を知る。あの事件は何だったのか。そしていかに人々の運命を変えてしまったのか。埋もれていた事件の断片を追いかけていく中で、浮かび上がってきたものとは……。

ここからネタバレ

塩田武士による「誘拐」モノが再登場

塩田武士で誘拐事件を取り扱った作品と言えば、小栗旬と星野源のW主演で映画化され、話題になった『罪の声』を思い出す方も多いだろう。『罪の声』は、実際に起きた「グリコ森永事件」を下敷きに、作者独自の解釈を織り込んだ社会派ミステリの傑作だった。そんな塩田武士が、またしても誘拐モノを書いたというのだから、これは気になる。

昭和の時代には頻繁に起きていたように思えるのだが、令和の昨今に至ると、身代金誘拐の事件は滅多に起きなくなった。もともと成功する可能性が極めて低い、リスクの高い犯罪であることに加えて、現代では監視カメラがそこいら中に普及しているので、更に成功の見込みが薄くなった。今後、誘拐モノは、昭和や平成初期の時代を偲ぶための舞台装置となっていくのかもしれない。

ネット時代の報道の在り方について

本作の主人公は門田次郎(もんでんじろう)。大日新聞の記者で現在は地方局勤務。54歳。現在は管理職で、事件現場からは離れて久しい。知己であった刑事の死をきっかけとして、若き日に関わった二児同時誘拐事件について再び取材を開始する。新聞記者の生態を描くことに関しては、作者が元新聞記者なだけあって、非常にリアリティがある。

もともと事件記者であったわけでもなく、現在は、第一線からも離れている。若き日の情熱は失われ、いつしか事件の真相を取材することよりも、紙面を文字で埋めることに専念するようになっていた。そんな門田が、三十年前の事件を追いかける中で、ふたたび「実を見る」ことの大切さに気付いていく。

記者はなぜ記事を書くのか。ニュースはネットで読めばいい。新聞の購読者が減り、新聞社、新聞記者の存在意義が問われている中で、報道とはどうあるべきなのか。取材を続けていく中で「私はきちんと人間を書きたい」。そう力強く語れるようになった門田の、職業人としての誇りと決意が読み手の心に響く。

知られざる写実絵画の世界

『存在のすべてを』で紹介されるのは、世の中的にあまり知られていない超写実的な絵画の世界だ。そのあまりにリアルな筆致は写真と見まごうばかり。

作中で言及されているトキ美術館のモデルは千葉県千葉市にあるホキ美術館だろう。以前から行きたいと思っているのだけど、千葉市の中でもかなり行きにくい場所(最寄り駅は外房線の土気駅)にあるので、未だに行けていなかったりする。

表紙絵に使われている絵画『THE-9』を描いている野田弘志も、写実的な画風で知られる作家だ。

「家族」の物語

門田次郎を主人公とした事件の真相を追い求めるパートは第六章までで終わり、第七章以降は真相解明編になる。不遇の画家、野本貴彦(のもとたかひこ)と、その妻、優美(ゆみ)。そして二人の「息子」である内藤亮(ないとうりょう)こと、如月脩(きさらぎしゅう)の逃亡の日々が綴られていく。

写実画家野本貴彦は、優れた技量を持ちながらもなかなか目が出ない。画壇の権力争いに嫌気がさし、独自の道を模索し始めるも、恩師の逆鱗に触れ業界から干されている。そんな貴彦のもとに、兄、雅彦(まさひこ)が誘拐した児童、亮を押しつけてくる。

亮の実の母親はシングルマザーで育児に関心がない。このまま亮を親元に帰しても不幸になるだけなのではないか。そして亮には、圧倒的な絵の才能があった。かくして野本一家の逃亡の日々が始まる。終盤、貴彦の残した絵画の数々が、家族の逃亡の軌跡と重なっていく展開は圧巻で本作の白眉とも言える部分だと思う。野本家を守ると決めた、岸朔之介(きしさくのすけ)や、酒井龍男(さかいたつお)ら、支援者たちの覚悟の決まりっぷりにも痺れる。

ちなみにこの物語で重要な役割を再三果たしている楽曲、ジョージ・ウィンストン(George Winston)の「Longing/Love」はこんな曲。サビの部分のメロディは、多くの方がご存じなのではないだろうか。

存在のすべてを

作中、野本貴彦は亮にこう告げている。

これから世の中がもっと便利になって、楽ちんになる。そうすると、わざわざ行ったり触ったりしなくても、何でも自分の思い通りになると勘違いする人が増えると思うんだ。だからこ『存在』が大事なんだ。世界から『存在』が失われていくとき、必ず写実の絵が求められる。それは絵の話だけじゃなくて、考え方、生き方の問題だから。
『存在のすべてを』p436より

先行きの見えない放浪生活の中で写実にこだわり『存在』に向き合い続けた男の言葉である。この言葉が、その後の亮の人生を規定したのだと思う。実母と別れ、育ての両親と別れ、祖父母の家で根無草として育った彼は、目の前の存在に「父親」と同じように真摯に向き合うことで自己を保つことができたのではないか。

ラストシーン。貴彦と亮、ふたりの男の人生を追いかけてきた、新聞記者である門田が、彼らの「生きてきた」凄みを書きたいと思いを新たにする。これまで「存在」に向き合ってこなかった門田の生き方を、貴彦と亮が変えたのだ。

存在のすべてを
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ガンプラはオッサンの記号に

余談。『存在のすべてを』では、主人公の門田と、刑事の中澤洋一(なかざわよういち)が打ち解けるきっかけとなるアイテムとして、ガンプラが使われている。最初のふたりの会話がなんとも感動的(笑)。

「今、MK-Ⅱのスジ彫りしてます」
「えっ、そうなの?俺はF90のシールドを吹いてたんだよ」
『存在のすべてを』p59より

中澤の死後、彼の妻が、遺品となったガンプラの処分に困っているシーンは、なんとも笑えない展開である。ガンプラも出てきて40年。完全にオッサンの趣味なのだなと実感させられた。

神戸のおじさんこと、岸朔之介が、亮のためにZガンダムのプラモをお土産にもってくるのシーンも興味深かった。この時代だと旧キットの1/100スケールだろうか?

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