夕木春央の第五作
2023年刊行作品。作者の夕木春央(ゆうきはるお)は1993年生まれのミステリ作家。
デビュー作は2019年のメフィスト賞受賞作『絞首商會(こうしゅしょうかい)』。第二作は2021年の『サーカスから来た執達吏(しったつり)』。そして、2022年には、当時のミステリ界を席巻した話題作『方舟(はこぶね)』を上梓。2023年には初の短編集である『時計泥棒と悪人たち』も刊行されている。
今回ご紹介する『十戒(じっかい)』は、そんな夕木春央の第五作品である。ちなみに「十戒」の読みは「じっかい」であって「じゅっかい」ではないので注意。
カバーデザインを見る限り『方舟』のテイストが踏襲されており、読む側の期待も高まる。
年末発表のミステリ系ベスト10では、週刊文春ミステリ・ベスト10で2023年国内部門6位、本格ミステリ・ベスト10で2024年国内7位にランクインしている。
あらすじ
今は亡き伯父が所有していた孤島、枝内島(えだうちじま)。この地にリゾート開発の話が持ち上がり、父や業者の人々らとともに島を訪れた里英。しかし無人であったはずの島内には明らかに何者かが立ち入った痕跡が残っていた。訝しみながらも、島で一夜を過ごした彼らだったが、翌朝、滞在者のひとりの遺体が発見される。犯人と思われる人間が残した「十戒」は何を意味しているのか。
ここからネタバレ(前作『方舟』のネタバレも含むので未読の方は読まないように!)。
登場人物一覧
まずは『十戒』に登場するキャラクターを確認しておこう。
- 大室修造(おおむろしゅうぞう):主人公の伯父。枝内島の所有者。故人
- 大室里英(おおむろりえ):主人公。芸大志望で二浪中
- 大室(おおむろ):主人公の父、修造の兄
- 沢村(さわむら):日陽観光開発の社員
- 綾川(あやかわ):日陽観光開発の研修社員
- 草下(くさか):草下工務店社長
- 野村(のむら):草下工務店所属。設計士。シングルマザー
- 藤原(ふじわら):羽瀬蔵(はぜくら)不動産社員
- 小山内(おさない):羽瀬蔵不動産社員
- 矢野口(やのぐち):伯父の友人
主人公の伯父である大室修造が交通事故で急逝。大室修造には妻子が無く、彼が所有していた枝内島は、主人公の父親が相続することになる。そして、この島にリゾート開発の計画が持ち込まれる。開発業者、土建屋、不動産業者らと共に主人公の大室里英がこの島を訪れ、そして事件が起こる展開だ。
『方舟』でも顕著であったが、夕木春央作品では、主人公、大室里英とその近しい人間(父親と行動を共にする綾川)以外の書き込み、内面描写などをほとんどしない。このあたりの思い切りの良さは評価が分かれるところだろうが、本作のようなパズル要素の強い作品ならアリなのだと思う。主人公以外のキャラクター描写を削ぎ落すことで、全体のボリュームも抑えらえており、全体で300頁を切っているのも評価して良いのではないかと。
「十戒」の内容はこんな感じ
序盤に示される、犯人による「十戒」をかいつまんでまとめるとこんな感じ(実際にはもっと細かく書かれている)。
- 三日間、島の外へ出てはならない
- 島外へ殺人の発生や島の状況を伝えてはならない。警察への通報も禁じる
- 家族や関係者に帰宅が三日間遅れることを伝えること
- 通信機を所持してはならない(スマホはすべて回収)
- 島外との連絡は衆人環視のもとでのみ可能
- 複数人が30分以上同座し続けてはならない
- カメラ、レコーダによる記録の禁止
- 部屋割りは各部屋にひとり。他の部屋を往訪する際にはノックが必須
- 脱出、指示の無効化を試みてはならない
- 犯人が誰なのか見つけたり、告発したりしてはいけない
「十戒」に書かれている項目の多くは、孤島という、ただでさえ外界から隔絶された環境を、より完璧にクローズドサークル化するための掟の数々。そして、特筆すべきは10番目の「犯人探しの禁止」であろう。
島には犯人によって持ち込まれた大量の爆薬が各所に仕掛けられている。これらが全て爆発したら島に居る人間は誰も生き残ることが出来ない。という、特殊な環境が用意されることで、登場人物たちは犯人の示した「十戒」に従う以外の選択肢を奪われてしまうのだ。
しかも、どうやら犯人はメンバーの中にいるらしい?自分たちの行動が、犯人の意に沿えているのか?犯人の意図を確かめるための、貝殻と石のイエスノー(こっくりさん)診断が、頻繁に行われるところも面白い。
犯人凄すぎない!?でも……
本作品において、犯人はそもそも殺人をするためにこの島に来たわけではない。仕事でたまたまこの島を訪れ、犯罪に巻き込まれてしまった被害者のポジションだった。しかし自身の生命への危機が迫ったと感じた瞬間に、犯人は驚くほどの行動力を示す。一晩で「十戒」のルールを考え出して、他のメンバーの行動を封じ、的確に邪魔になる人物を排除し、更にその犯罪の痕跡を消していく。
百歩譲って「十戒」を考えるまではいいとしても、実際に自分が直接人を殺そうとまではふつうの人間ならば思わない。考えるのと、実際に手を下すまでの間には無限の距離がある。そう「ふつうの人」であれば……。
『方舟』を読了された方であれば、最終ページのこの文章で犯人の正体に見当がつくはずだ。
意外だったのは書類上の彼女が結婚していることだった。綾川というのは旧姓で、新しく始めた観光開発会社の仕事では、そちらを名乗ることにしているのだという。
「言ったっけ?私、勝手に人を好きになって、期待して、それでがっかりすることが多いんだよね(後略)
『十戒』p292より
これで頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた読者も多いのでは?
これでも気づけなかった読者のためなのか、最後に決定的な一文でこの物語は締めくくられている。
「ーーじゃあ、さよなら」
それは言い慣れた様子の、あまりにそっけない挨拶だった。
『十戒』p293より
「ーーじゃあ、さよなら」は『方舟』で犯人が主人公に遺した最後の言葉ではないか。
絲山麻衣(いとやままい)お前かよ!ネットの感想をググっていると、かなり初期の段階で見当がついていた方もおられるみたい!恥ずかしながらわたしはこの段階までまったく気づかなかった。
犯人が麻衣なのであれば、自分が生き残るために、瞬間で非常時モードに脳が切り替わるのも理解できる。この犯人、実際にはかなり危ない橋を渡っていて、最後までやり切れたのは相当に運が良かった側面もある。けれども、これも麻衣ならではの、犯罪に対する躊躇いの無さ、思い切りの良さが奏功しているのかもしれない。
読後はネタバレ解説サイトをチェック!
『方舟』に引き続き、『十戒』でも最後まで読み終えたユーザのために、ネタバレ解説サイトが用意されている。今回の解説は昔ばなしシリーズなどの作品で知られる、ミステリ作家の青柳碧人(あおやぎあいと)が担当している。
『十戒』の魅力を余すところなく紹介した良解説と思われるので、読後の方は要チェックである(但しパスワード制。でも本編を読んでいればわかるはず)。この解説を読むと再読をしてみたくなる。まったく別の物語として楽しむことが出来るはずだ。
話題のミステリ作品の感想をもっと読む