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『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』斜線堂有紀 愛する人の死が三億の価値を持つとしたら?

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斜線堂有紀の第五作品

2019年刊行作品。『私が大好きな小説家を殺すまで』に続く、斜線堂有紀(しゃせんどうゆうき)の第五作。

個人的に『私が大好きな小説家を殺すまで』から始まる、『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』、『恋に至る病』の三作を、斜線堂有紀のメディアワークス文庫三部作と呼んでいる(『キネマ探偵カレイドミステリー』のことはちょっと置いておくとして)。この三作はいずれも共依存気味の、あまり健全とは言えない男女の関係を描いた作品だ。斜線堂有紀作品の「らしさ」が出始めた作品群で、なおかつ全てクオリティも高い。斜線堂有紀の、その後の躍進に繋がる三作だったと考えている。

夏の終わりに君が死ねば完璧だったから (メディアワークス文庫)

表紙イラストはくっかが担当。『夏へのトンネル、さよならの出口』の人だね。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

恋愛要素の強いミステリ作品を読んでみたい方。斜線堂有紀の初期作品に関心がある方。よくある難病モノ作品に飽きてきた方。ヒロインは年上属性に限ると思っている方におススメ!

あらすじ

実母からの虐待。金を稼がない義父。進学の道を閉ざされ、未来に絶望していた中学生江都日向は、集落内のサナトリウムで療養中の女子大生、津村弥子からとある提案を受ける。全身が金に変わっていく致死の難病「金塊病」を患う弥子が持ち掛けたのは、死後三億の価値を持つ彼女の「死体」の相続だった。次第に互いを異性として意識していくふたり。しかし、終わりの時は間近に迫っていた。

ここからネタバレ

定番の難病モノではあるけれど

死が避けられない難病に罹患しているヒロイン津村弥子(つむらやこ)と、それを見守るしかない主人公、江都日向(えとひなた)。鉄板すぎる難病モノの設定で、使い古された構図をいかに料理していくか。そこが書き手の腕の見せどころになってくる。

本作『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』が、数ある難病モノの中でも特徴的なのは、ヒロインの死が経済的に困窮している主人公を救う可能性がある点だ。

主人公の母親は再婚に失敗し、現在は地元にできた金塊病のサナトリウム施設への不毛な反対運動に熱を上げている。前夫との間にできた主人公への愛情はなく、高校への進学費用を負担する意思もない。母の再婚相手は、当初は田舎町である昴台(すばるだい)の村おこしに意欲を見せるが、すべての事業に失敗。現在は、ごく潰しとして毎日を無気力に過ごしている。

主人公には他者より秀でた、とある才能が眠っているのだが、母親の無理解から進学が許されていない。クラスの同級生たちが新生活への夢を膨らませている中で、卒業旅行の費用すら工面できないでいる主人公の絶望とはいかばかりであろうか。そんな中で、金塊病(多発性金化筋線維異形成症)に罹ったヒロインの「相続」話が持ち込まれるのだ。

逃げ延びたはずだったのに……ヒロインのエゴ

本作のヒロインである津村弥子の境遇も、なかなかに込み入っている。事業に行き詰った弥子の両親は一家心中を企てる。だが、父親の意図を察した幼き日の弥子は、辛うじて死を免れる。ただ一人生き残った弥子は親戚筋からは疎まれ、養護施設に引き取られ、それでも優秀な成績で奨学金を得て大学生になった。死の運命から自分は逃げ延びた。生き残った。自分は正解を選んだはず。そう思って生きてきた弥子だったが、そんな彼女を不治の病である金塊病が襲う。

人生の「正解」にこだわる津村弥子は、ボードゲームのチェッカーをこよなく愛する。チェッカーは最適解のあるゲームである。正解を選び続ければ必ず勝利することができるゲームである。わたしは正解を選び続けてきた。それなのに二十歳そこそこの若さで死ななければならない。それならばあの時家族と共に死んでいれば良かったのではないか?自分の人生に意味があったと思いたい。信じたい。そう願い続けた弥子は、最後の希望として「二月の鯨」を描いた江都日向に出会うのである。

お互いの打算と愛情の証明

交流を深めていく中で、江都日向と津村弥子はお互いを異性として意識し、ゆっくりとではあるが愛情を育むようになっていく。避けられない弥子の死。弥子の遺体には三億の価値があり、それは絶望的な日向の未来を救ってくれるかもしれない。自分は死んでしまうけれども、その死が日向を生かすことになる。これが自分の人生の正解だったのだ。自分は間違っていなかったのだと思いたい。

日向と弥子それぞれに、純粋な愛情だけではない利己的な感情がある。打算的な思いがある。相手への愛情が深まれば深まるほど、自分の中のエゴとの温度差に引き裂かれそうになる。しかも厄介なことに、この二人はお互いが抱え込んでいるエゴの部分も、理解できてしまっているのである。

自分の相手への感情は本当に愛情なのか?自分勝手な思いが、そう勘違いさせているだけなのではないか?どうすれば自分の中の愛情を証明できるのか。ふたりが最後にたどりついた結論が哀しくも切ない。

弥子の「選択」の理由は?

結局、弥子は三億円の遺産を日向に「相続」させなかった。それは何故だろうか?これによって日向の高校進学の道は閉ざされてしまうことは明らかだったはずだ。だが、弥子は「正解」を確信していたはずだ。絶望の中に生きていた日向が、自分の死後、希望を持って生きていくであろうことに。

優れた絵の才能を持ちながら、自分に全く自信が持てなかった日向。しかし彼が描いた「二月の鯨」は弥子の心を救った。そして日向によって救われた弥子の愛情が、日向に生きる力を与えた。前を向いて歩く意思を持たせた。愛する存在から承認されることは、人間の自己肯定感を際限なく向上させる。日向は弥子によって、はじめて自分の価値を認めることが出来たのだ。

「二月の鯨」を描いた黒のペンキが、さまざまな色のペンキを混ぜ合わせた結果の黒であることはなんとも象徴的だと思う。どんな鮮やかな色でも混ぜ合わせれば真っ黒になってしまう。しかしそんな黒い色のペンキでも、人の心を救う「二月の鯨」を描くことができる。弥子と過ごした144日間で、日向は綺麗なものだけではない、多種多様な感情をぶつけられたはずだ。弥子だけではない、数多の人々の想いを受け止めた日向だからこそ描ける絵があるのではないか。

人間の愛情とは証明できるものなのか?弥子は日向に遺産を残さないことでその意思を示した。そして次は日向が示す番である。それは日向がこれからの人生のすべてをかけて示していくことになるのだろう。

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