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『海がきこえるⅡ〜アイがあるから〜』氷室冴子 1990年代の恋愛シーンがよみがえる青春小説の佳品

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拓と里伽子にもう一度会える

1995年刊行作品。1993年に刊行された『海がきこえる』の続編である。前作の『海がきこえる』は徳間書店のアニメ情報誌「アニメージュ」の連載作品であったが、本作は書下ろし作品として上梓されている。

前作に引き続き、表紙、および、本文中のイラストは、アニメータ、イラストレータの近藤勝也(こんどうかつや)によるもの。雑誌連載ではなかったのにこれだけの数のカラーイラストが入るって凄くない?

また、巻末には氷室冴子自身によるあとがきが収録されている。

徳間文庫版は1999年に登場。解説はドラマ版(後述)の脚本を書いた岡田惠和(おかだよしかず)が担当している。こちらにも氷室冴子のあとがきは入っているが、文庫用に書き直されており、単行本版のものとは内容が異なる。

そして2023年に徳間文庫の復刊専門レーベル「トクマの特選!」枠で、再文庫化されている。新装文庫版の解説はミステリ作家の斜線堂有紀によるもの。里伽子論として秀逸なのでファン的には必読である。プロの書き手の言語化能力ってやっぱりすごい。

巻末のあとがきは、旧文庫版のものの方が収録されている。せっかくなら単行本版のあとがきも収録して欲しかったな。

海がきこえるⅡ アイがあるから〈新装版〉 (徳間文庫 トクマの特選!)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

1990年代の大学生を主人公とした青春小説、恋愛小説を読んでみたい方。携帯電話が普及する前の恋愛事情を知りたい方。気が強くて何をしでかすかわからない系のヒロインが大好きな方。かつて石神井公園付近に住んでいた方。氷室冴子の最後期作品をチェックしておきたい方におススメ!

あらすじ

高知の高校を卒業して、東京の大学へと進学した拓と里伽子。それぞれの大学生活が始まっている。夏休み、帰省先からアパートに帰った拓は、二学年上の美女津村知沙が、泥酔して眠りこけている現場に遭遇し途方に暮れる。複雑な家庭環境に葛藤する里伽子と、不倫の恋を忘れられない知沙。二人の女性に翻弄されながら、拓の大学生活一年目は波乱含みで進展していく。

ここからネタバレ

大学一年目の解放感

前作『海がきこえる』は、主人公杜崎拓(もりさきたく)と、ヒロイン武藤里伽子(むとうりかこ)の高校時代と、大学一年目の夏までを追想形式で描いた作品だった。主な舞台は拓の故郷である高知。

これに対して『海がきこえるⅡ』は、時系列的に『海がきこえる』のラストシーンのすぐ後から物語が始まる。大学一年目の夏から、その年のクリスマスまでのおよそ四カ月間が描かれる。今回は追憶パターンではなく、リアルタイム形式で物語は進行していく。そして、お話の舞台となるのは拓と里伽子の進学先である東京。

ひとり暮らしを始めた瞬間は、人生が激変するタイミングのひとつだ。

親元を離れ大学に進学する。東京でひとりで暮らす。高校時代よりは少しだけ自由になるお金が増えて、自動車の免許を取れば格段に行動範囲は広がる。好きな時間に好きなものが食べられる。自分だけの電話が持てて、時間を問わず何時間でも話が出来る。夜更かしをしても誰にも怒られないし、彼女を自宅に引っ張り込むことだってできる。行動の自由度、選択肢が爆発的に増えるのだ。この解放感といったらないよな。

血を見ないと相手のダメージがわからない

『海がきこえるⅡ』で軸となるのは、武藤里伽子と前田美香(まえだみか)との関係だ。前田美香は、里伽子の父親の再婚相手(ただし事実婚)で32歳。妊娠が判明した美香はなんとかして義理の娘である里伽子との関係性を、良好に保とうとするがなかなかうまくいかない。頑なに美香を受け入れようとしない里伽子は、あの手この手でその企てをかわしていく。

10代の女子大生として、家庭を崩壊させる要因となった、父親の不倫相手(しかも父親よりも大幅に若い)を許容できないのは十分に理解は出来る。それだけに里伽子は美香を傷つけることに躊躇いも無ければ容赦もない。美香には美香の側の事情もあるのだろうけれど、里伽子の立場でそれを忖度する理由もない。

女どうしのケンカは拳で殴りあわないぶん、とことん容赦がないなあ、とぼくはあとになっても、このときのことを思い浮かべるたびにゾッとなったものだ。血を見ないから、相手がどれくらいダメージを受けているかがわからないのだ。

『海がきこえるⅡ』p134より

けっきょく、里伽子は「血を見る」ことでようやく美香の想いに、ちょっとだけ寄り添えるようになる。里伽子と美香のエピソードは、大昔に読んだ際には里伽子側に肩入れして読んでしまったけれども、この年になって再読してみると、里伽子はさすがにオーバーキルだと思うし、美香側のしんどさもわかってしまう(というか、里伽子の父親が無神経に過ぎるのだと思う)。

津村知沙の救済でもあったはず

『海がきこえる』はオリジナルの『アニメージュ』連載版から、書籍化される際、大幅にエピソードがカットされており、その影響をいちばん受けたのが津村知沙(つむらちさ)だった。その反動として『海がきこえるⅡ』では津村知沙の出番は非常に多い。

帰省から帰ったら、二学年上の美女が自分のアパートに勝手に上がり込み、飲んだくれた挙句に爆睡しているというシチュエーションはなかなかに衝撃的である。ここで、しっかりと田坂浩一(たさかこういち)を頼って、危機を回避し主人公の理性と自制心は驚愕に値する。って、ここで津村知沙に手を出してたら、相当めんどうなことになってただろうけど。

道ならぬ恋にのめり込む津村知沙。彼女の不倫相手の妻である大澤みのり。奪おうとする側と、奪われんとする側。津村知沙と大澤みのりの関係は、前田美香と武藤里伽子の関係に置き換えることが出来る。

容姿に恵まれ、そこそこ才能もありそうで、恵まれた環境で育ち、これまで挫折を知らなかったタイプであろう津村知沙は、里伽子のキャラクターとも被る部分がある。そんな津村知沙が、不毛な恋からいかにして立ち直ろうとしていくのか。人間、アイがあるから苦しみもあるが、アイがあるから救われる部分もある。この物語は津村知沙救済の物語でもあったのだと思う。

つき合いはじめるちょっと前がいちばん楽しい

拓と里伽子は、高知時代の数々の因縁を乗り越えて、なんだかんだ言いながらも少しずつ進展してきた。でも、ここまで来て、まだこのふたり、つきあっていないのである。もうお前らつきあっちゃえよ!とツッコみたくもなるもどかしさけれども、客観的に見てみたら、このくらいの頃合いがいちばん楽しいのかもしれない。

自分の恋心は自覚している。相手もどうやらまんざらでもないみたい。もう一押しすれば付き合えそう。いざつきあい初めてみたら、恋愛は綺麗ごとだけでは済まないので、実はこのタイミングってとても貴重な時間だと思うのだ。

氷室冴子的に1990年代後半以降はほとんど新作を書かなくなってしまったので、『海がきこえる』の物語はここで閉じてしまっている。ここで終わっているからよいのだとは思うけれども、拓と里伽子の「それから」をもう少し読んでみたかった気もする。里伽子とつき合うのはけっこう大変そうだけど。

無粋な想像だが、この年代に大学生をやっている彼らは、氷河期直撃の世代でもあるので就職ではかなり苦労しているはず。日大の芸術学部に通っていた(と思われる)拓が、その後どんな進路を選んだのかが気になる。松野のその後の消息も知りたい。もし、氷室冴子が存命だったら、2020年代の彼らを描いていただろうか。

ちなみに学生時代のわたしには、クリスマスの日に銀座デートしてくれるような彼女は存在しなかったことを書き添えておく。杜崎拓、羨ましい!

ドラマ版は武田真治主演

本作は『海がきこえる〜アイがあるから〜』のタイトルで、テレビドラマ化されている。1話完結のスペシャル枠での放映。放映日は奇しくも1995年の12月25日だった。脚本は岡田惠和。主なキャストはこんな感じ。

  • 杜崎拓:武田真治
  • 武藤里伽子:佐藤仁美
  • 津村知沙:高岡早紀
  • 田坂浩一:袴田吉彦
  • 大沢正太:石田純一
  • 大沢みのり:鈴木保奈美
  • 松野豊 :林泰文

武田真治は本作がドラマ初主演。里伽子役は公募で選ばれ、佐藤仁美は本作がデビュー作だった。津村知沙役が高岡早紀なのは破壊力抜群。その不倫相手が石田純一というのも、ハマり過ぎの配役だと思う。

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小説作品

『白い少女たち』 / 『さようならアルルカン』 / 『クララ白書』 / 『アグネス白書』 / 『恋する女たち』 / 『雑居時代』 / 『ざ・ちぇんじ!』 / 『少女小説家は死なない! 』 / 『蕨ヶ丘物語』 / 『海がきこえる』 / 『海がきこえるⅡ〜アイがあるから〜』 /  『さようならアルルカン/白い少女たち(2020年版)』

〇エッセイ

『いっぱしの女』 / 『冴子の母娘草』/ 『冴子の東京物語』

〇その他

『氷室冴子とその時代(嵯峨景子)』