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『私が大好きな小説家を殺すまで』斜線堂有紀 共依存の行きついた果ては?

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斜線堂有紀の第四作

2018年刊行作品。メディアワークス文庫からの登場である。

斜線堂有紀(しゃせんどうゆうき)としては、『キネマ探偵カレイドミステリー』『キネマ探偵カレイドミステリー 〜再演奇縁のアンコール〜』『キネマ探偵カレイドミステリー 輪転不変のフォールアウト』に続く四作目。前三作は全て「キネマ探偵カレイドミステリー」シリーズだから、実質的には二作的な存在になるだろうか。

私が大好きな小説家を殺すまで (メディアワークス文庫)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

恋愛要素の強いミステリ作品を読んでみたい方。互いに互いを執着しあう、濃密な関係性を描いた物語に興味のある方。「小説家」の創作者としての苦悩を知りたい方。などにおススメ。

あらすじ

死ぬつもりだった。小学六年生の幕居梓は死を覚悟していた。そんな彼女の命を偶然救ったのは人気小説家の遥川悠真だった。行き場を無くしていた彼女は、遥川に拾われ、奇妙な共生関係を築いていく。しかし売れっ子の遥川は、次第に創作に行き詰っていく。遥川の作品を心の支えとして生きて来た梓は、とある決意を固めるのだが……。

ココからネタバレ

共依存の哀しい終着駅

母親の虐待を受け、行き場を失った幕居梓(まくいあずさ)は、踏切で投身自殺を図ろうとしたところを人気作家遥川悠真(はるかわゆうま)に救われる。幕居梓は、遥川悠真のデビュー作『遥かの海』を諳んじてしまえるほどの熱狂的なファンだった。

一方、遥川悠真は小説家として絶大な人気を誇り、第一作、第二作と高い評価を受ける。しかし彼の創作活動は完全に行き詰っていて、ようやく上梓した三作目は散々な酷評を受けることになる。

絶望的なまでに何かが欠けている二人が出会ってしまった。彼らは自分に足りないものを相手が与えてくれることを知る。少しだけ運命が違っていれば、これは幸せな出会いになったかもしれない。しかし、彼らを待っていたのは、互いを愛しながらも、執着する共依存の関係だった。

あとがきで作者はこう書いている。

「才能を愛された人間は、その才能を失った後にどうすればいいのか」あるいは「誰かを神様に仕立ててしまった人間は、変わりゆくその人とどう向き合えばいいのか」の話でした。誰かが誰かを救おうとした時に発生する救済の責任の話でもあります。感情のために最適解が選べない人間の話でもありました。

『私が大好きな小説家を殺すまで』p268 あとがきより

才能が枯れてしまっても、既に十分稼いだのだから、その金でなんとか生きていけばいいのでは?お互いに普通の男と女として、地道に生きていけばいいのでは?などと、凡人としては思ってしまうのだが、遥川の作品を何よりもを愛した梓。梓の期待に応えたいと思ってしまう遥川。

作品が書けず、精神を病み、梓をゴーストライターに仕立ててまで、「小説家」であろうとした遥川。遥川のためにと思って始めたことが、やがて彼を追い詰めてしまう梓。

互いに互いを思いあいながらも、「小説家」としての遥川悠真にこだわってしまう二人。歪な二人の関係は、悲劇的な結末を迎える。

追い詰められていく二人の心理描写がいい

本作は遥川悠真と幕居梓。ほぼこの二人しか登場しない。視点は幕居梓からのものに固定されており、彼女の心理状態は全編を通して細かく丁寧に描写される。遥川本人の心理が直接描写されることはない。しかし梓の目線を通じて遥川のちょっとした表情や、仕草、言動の数々から、読み手は彼の苦悩をも十分感じ取ることが出来る。斜線堂有紀は、行間を読ませる力がなかなか上手い作家だなという印象である。

この物語は、冒頭、既に事件が起きた後。失踪した遥川の部屋を二人の刑事が訪れたところからスタートする。ストーリー上、この刑事たちの存在は不要なのでは?とも最初は感じたのだが、遥川と梓の関係性の異常さを際立たたせるために、部外者の目で二人が暮らした部屋を描いて見せる必要があったのであろう。

神様の断頭台

あとがきによると、本作の当初のタイトルは『神様の断頭台』であったらしい。誰よりも小説家としての遥川を愛したが故に、結果として遥川を断頭台に送ってしまった梓。自分にとっての神を、自分自身で殺してしまう。作品の本質を現した良いタイトルだと思うのだがどうして変わってしまったのか。現在のタイトルに落ち着いたのは編集者サイドの意向が働いたのだろうか。

ラストシーンで、遥川が死んだ駅を訪れ、その場で死を選ぼうとした梓はその後どうなったのだろうか?遥川の後を追って死んでしまったのだろうか?

この点は解釈の別れるところかもしれないが、卒業式の遥川の台詞「俺はお前を、見てるからね」が挿入されている点、あとがきにあった「誰かが誰かを救おうとした時に発生する救済の責任」という部分を考慮すると、梓は死を選べなかったのではないかと考えたい。苦悩しながらも生きていくことが、神を殺してしまった梓が取るべき責任なのではないかと思うのである。

そして、改めて表紙のイラストを見ていただきたい。踏切の向こうがわ見える人影は、遥川と幼き日の梓であろう。それをこちら側にいる、成長した梓が見つめている。これは本来、起こりえない場面を描いている。成長した梓は、向こう側には行かなかった。そう考えるのはうがった見方に過ぎるだろうか。

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