ノーベル文学賞受賞者が描く感染症小説
筆者のジョセ・サラマーゴ(José de Sousa Saramago)は1922年ポルトガル生まれの作家。1998年にはノーベル文学賞を受賞。2010年に87歳で没している。
『白の闇』のオリジナル版は1995年刊。原題は『Ensaio sobre a cegueira』。日本では2001年に最初の版が日本放送出版協会より登場。
2008年にソフトカバー版の新装版が刊行されている。
そして上記の新装版を底本として、2020年の3月に河出文庫版が刊行された。わたしが読んだのはこちら。奇しくもコロナ禍の真っただ中に登場したことになり、偶然とはいえ悄然とさせられた。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★(最大★5つ)
カミュの『ペスト』を読んで、文学者の書いた感染症小説をもっと読んでみたいと思った方、極限状態での人間心理に触れてみたい方、抑圧された集団生活の中で人がどう変わっていくかを知りたい方、強い女性主人公の小説を読みたい方におススメ!
あらすじ
突然視力を奪ってしまう正体不明の感染症。罹患者たちは隔離施設に送られ、全く目が見えない状態の中、自分たちの力だけで生きていくことを強いられる。劣悪な衛生状態。周囲を取り囲む武装兵。食糧不足。不安に駆られ、疑心暗鬼に陥る人々。そして暴力による支配。数奇な縁から同室となった人々は、様々な困難に直面していく。
ココからネタバレ
もし突然眼が見えなくなったら
とある国、とある街を襲った視力を奪う謎の感染症。わずかな接触時間での感染。圧倒的な感染力であるが故に、彼らは隔離するしかなく、医師や看護等の医療スタッフもつけることが出来ない。非人道的な環境下に、多数の人間を送り込んだとき、極限状態の中で人は理性を保って生きることが出来るのか。人間の尊厳や誇りは守られるのか。
ノーベル賞作家が書いた感染症モノというだけあって、よくあるエンタメ系のパニック小説とは一線を画している印象である。リアルな感染症小説というよりは、寓意に寄せて、人間の醜さ、本能的な狡さ、性への衝動みたいなものを赤裸々に描いていく。
独特のサラマーゴ文体
寓意性を強調するためなのか、具体性を排除したい意図なのか、はたまた無国籍感を出したかったのか、登場人物たちには名前がつけられていない。
本作の登場人物たちは、最初に失明した男、最初に失明した男の妻、眼医者、眼医者の妻、サングラスの女、黒い眼帯の老人といった具合に作中では表記される。
加えて、ジョセ・サラマーゴ特有の文体らしいのだが、この作家はなんと会話文に「」を一切使わないのである。しかも改行もしない!つまり地の文章と、キャラクターの会話文が一見すると区別できないのだ。
そして一つ一つの段落の改行間隔がものすごく長い。結果として全ページに文字がみっしりと詰まった状態になっており余白ゼロ。紙面から発せられる圧がものすごいのである。
こんなの最後まで読めるのかと不安になったのだが、訳が良いのだろうか、慣れてしまえば意外に読み進めていくのに困難は感じなかった。どの台詞を誰が喋っているのかも明瞭に判断がつく。また、緊迫感のある展開が続くので、中盤以降は、読みだしたら止まらない!状態で一気に読めてしまった。意外にリーダビリティは高いのだ。
眼医者の妻の役割
感染した夫を案じるあまり、本当は目が見えているのに隔離施設に同行した眼医者の妻が、本作では実質的な主人公格として機能している。視力を失い、食事やトイレなどの日常行為すらもままならない感染者たち。眼医者の妻は自分の目が見えることを、夫以外には隠した状態で密かに彼らのサポートを続ける。
僅かな食料の奪い合い。脱走者に与えられる容赦のない死。機能しないトイレと糞尿の山が築かれる施設内。そして暴力による支配の台頭。追い詰められ次第に人間性を失っていく彼らを、「見えている」眼医者の妻の目線から、生々しく描かれていくのである。
もっとも印象的なのは、暴力者集団によって「女を供出」することを命じられたとき、女たちは見知らぬ男たちに体を差し出す前に、同室の男たちに体を許していく場面である。ただ一人目が見えている医師の妻は、自分の夫がサングラスの娘と交わるのを、憐みの目線でただ見守る。「見えている」が故に、その中に入っていけない医師の妻の深い孤独と諦観が重い。
抑圧から解放へ
視力を奪う感染症はあまりに強力であったため、結局すべての国民が罹患してしまう。結果として、施設を隔離包囲していた軍隊も機能を維持できず、医師の妻たちのグループはようやく施設からの逃亡が可能となる。
苛烈な体験を共にすることで、赤の他人同士から疑似家族のような存在となっていた彼らは、医師の妻の視力を頼りに生き残りを図る。
ここで読者に示されるのは、国民すべてが視力を失った世界である。交通インフラどころか、流通網も政府機関も機能せず、街中は阿鼻叫喚の地獄絵図になっている。
そして二番目に印象残ったシーン。突然の便意に襲われた彼らだが、トイレは使えない。すると彼らはアパートの中庭で、ためらいもなく次々と排便を始めるのである。大人の男女複数人がである。極限状態の中で損なわれていく自尊感情と、逆に共に過ごしてきた中で培われてきた共同体の意識。これは逆に、視力を奪われた中での開き直りであり、人間の持つ逞しさでもあるのかなと感じさせられた。
終盤、作者はサングラスの娘にこんな台詞を言わせている。
わたしたちの内側には名前のないなにかがあって、そのなにかがわたしたちなのよ。
河出文庫版『白の闇』p344より
人間の本質は目に見える外側にではなく、内側に「名前のない」状態で存在しているのではないか。登場人物たちに固有の名前が与えられていなかった理由もここにあるのであろう。視力を奪われ、極限状態に置かれたことで、彼女がこの真理に到達しえたことは、この物語の一つの救いであると言える。
映画化されている!
本作は、2008年にフェルナンド・メイレレス監督によって『ブラインドネス(Blindness)』として映画化されている(わたしは未見)。
キャスティングは以下の通り。なんと伊勢谷友介と木村佳乃が出演している!映画版は、多国籍キャストで制作されたようだ。これは見てみないと。
- 眼科医の妻: ジュリアン・ムーア
- 眼科医: マーク・ラファロ
- サングラスの娘: アリシー・ブラガ
- 最初に失明した男: 伊勢谷友介
- 最初に失明した男の妻: 木村佳乃
- 泥棒: ドン・マッケラー
- 会計士: モーリー・チェイキン
- 少年: ミッチェル・ナイ
- 黒い眼帯の老人: ダニー・グローヴァー
Prime Video版もかつてはあったようなのだが、現在は見ることが出きない。Prime会員なので、また見られるようにしてくれないかな。