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『タタール人の砂漠』ディーノ・ブッツァーティ 無為な日常がすり減らしていく人生

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ブッツァーティの代表作

2013年刊行。オリジナルのイタリア語版は1940年に刊行されており原題は「Il deserto dei Tartari」。作者のディーノ・ブッツァーティ(Dino Buzzati)は1906年生まれのイタリア人作家。20世紀イタリア文学を代表する作家の一人である。

『タタール人の砂漠』は『山のバルナボ』『古森の秘密』に続く、ブッツァーティの長編第三作であり、代表作でもある。

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

自分の人生、このままでいいのかなと悩んでいる方。何かを変えなきゃダメだと思いながらも、一歩前に踏み出せないでいる方。現代のイタリア文学に挑戦してみたいと考えている方におススメ!

ブッツァーティ作品をどれから読んでいいか悩んでいる方はまず、この一作から。

あらすじ

青年将校ジョバンニ・ドローゴは、初任地であるバスティアーニ砦へと赴く。そこは荒涼とした岩と砂漠に囲まれた不毛の国境地帯であった。敵国の来襲はあるのか。華々しい活躍の時は来るのか。そして、この砦から逃れることは出来るのか。不安と期待。無為な日々を積み重ねるうちに、ドローゴは人生を虚しく浪費していく。

ココからネタバレ

無為も積み重ねれば日常になる

何百人という男たちが誰一人通ろうとしない峠を守っている。

新卒で入った会社で、最初に配属された部署がとんでもなく僻地にあって、職場の人間以外との交流が無い。仕事は単純で平凡な作業の繰り返し。生産性なし。やりがいなし。周りには男しかない。最低でも四年は任地に居なくてははならない。こんな状況に置かれて、自分だったらどうするだろうか。

『タタール人の砂漠』の主人公、ジョバンニ・ドローゴが配属されたバスティアーニ砦は絵にかいたような不毛の任地だった。

さっさと見切りをつけて転職する人間も多いだろうが、まずは腰を据えてやってみようと思う方も多いと思う。劣悪な環境も住めば都。次第に慣れてくる。

問題は最初の四年が過ぎてからだ。同僚たちの多くが要領よく立ち回り、砦から去っていく。逃げそこなったドローゴは不本意ながら砦での生活を継続する。この頃には、無為を積み上げていくことが、彼の日常になってしまっている。人生において惰性の力は大きいもので、ルーティンと化してしまった日々を変えていくのは難しい。ドローゴの青春の日々はじりじりと失われていくのだが、何かを変えようとするよりも、平穏な毎日に飲み込まれていくことをドローゴは選んだ。傍から見ていれば、愚かなことにみえるかもしれないが、これは誰でも起こりうる事態である。決して笑えない。

アングスティーナとオルティス

本作で主人公のドローゴ以外で、印象に残るのは、アングスティーナとオルティスである。アングスティーナは砦を去ることが出来たのにあえて残る。そして非業の死を遂げる。一方のオルティスは無為な日常をひたすら積み重ねて砦で定年退職を迎える。非日常のシンボルがアングスティーナで、日常のシンボルがオルティスなのであろう。

敢えて死を選んだとも思えるアングスティーナに憧憬に近い感情を抱きつつ、ドローゴの実際の生活は、オルティスの人生をなぞったものになっていく。このまま行けば自分はオルティスのようになる。明確なロールモデルが目の前にありながら、それでも自分の生き方を変えることが出来ない。これはドローゴの弱さでもあり、日常の惰性に抗うことの難しさでもあるのだろう。

人生を変えてくれる何かを待ち望むこと

何も変わらない日常が続く中で、ドローゴは変化を熱望する。遠い地平線の彼方に馬が見えた。敵の測量部隊が現れた。遥か彼方で敵兵がなにか工作をしている。

自分からは何も行動を起こせないドローゴにとっては、外的要因の変化だけが希望である。敵が攻めてくれば何が起こる。最前線に立った自分は、英雄的な戦いを行うことが出来るのではないか。雄々しく戦う自分を夢想するドローゴの姿が痛々しい。

人生を変えてくれる何かが、いつかやってくるのではないか。能動的には決して動かない。あくまでも受け身で生きていくドローゴは、読む側としては実に愚かな男に見えてしまう。ただ、ドローゴを笑える人間は少ないのだと思う。自分で人生の進路を決めて、自分から進んで環境を変えらえれる人間は決して多数派ではないからだ。

自分の人生はこんなもの

若き日にドローゴがオルティス大尉に出会ったときと全く同じ構図で、中年士官となったドローゴは、新任のモーロ中尉に出会う。このシーンは非常に印象的である。ドローゴは自分の人生にもはや見切りをつけてしまっている。「さらば、人生のすばらしいものよ」。ドローゴの肉体は未だ老いてはいなくても、それ以上にその精神が老いてしまっている。

あまりに長く続いた無為な日々が、かつては瑞々しかった若者の精神を磨り潰してしまう。この結果は、流されるままに生きて来たドローゴに対しての罰なのだろうか。こんなものだろう、これくらいでいいやと、判断してしてしまった時点で、その人間の伸びしろはなくなってしまう。ドローゴの精神としての生は、この時点で既に死を迎えていたのかもしれない。

最後の戦い

老境に入ったドローゴの生活は、オルティスよりも遥かに悲惨なものだった。砦としての規模を縮小されながらも、オルティスは最後は司令官として軍人の生を終えた。しかし、この時代、司令官は同僚であったシメオーニが務め、ドローゴは副司令官の地位に甘んじている。更に、病がドローゴを襲う。ドローゴは満足に軍務を務めることが出来ず、次第に閑職に遠ざけられ、最新の情報も与えられなくなっていく。

そして最大の悲劇が怒る。時ここに至って、長年何の動きも見せていなかった敵国が国境を越えて攻めてくるのである。悲願とも言える、戦いの瞬間を前に、ドローゴは自分の身体を動かすことも出来ない。

もはや起き上がることできないドローゴは、シメオーニによって厄介払いされ、後方へと送られる。ドローゴは、名も知れぬ集落のひなびた旅籠で人生最後の瞬間を迎える。

死を意識した、初めてドローゴはここで初めて、能動的に生きようとしたのではないだろうか。ドローゴは世界の誰にも愛されず、世界に何も残すことなくこの世界を去っていく。それでも胸を張って死を迎えること、笑みを浮かべて死ぬこと。それが、ドローゴにとっての残された最後の矜持であったのかもしれない。

もちろん、この時点でやる気を見せたところで誰も褒めてくれないし、その行為を知る人も居ない。何の意味もないかもしれない。しかし、流されるままに生きて来たドローゴが、人生の終焉を前にして、最後の戦いをやり遂げた。死の瞬間ですら人生は変えられるの。それは僅かな救いと呼べるかもしれない。

もちろん、死の直前に行いを改めたとしても、既に遅いのだ。そんな教訓をも、本作は残しているのだが。

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

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