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『停電の夜に』ジュンパ・ラヒリ 不安、喪失感、行き違う心、そして言ってはいけない言葉

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ジュンパ・ラヒリのデビュー作

2000年刊行作品。新潮社の外国文学レーベル「新潮クレスト・ブックス」からの登場だった。オリジナルの米国版は1999年刊行で、原題は『Interpreter of Maladies(病気の通訳)』。

作者のジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri)は1967年生まれのインド系アメリカ人。『停電の夜に』が最初の著作となる。本作は刊行直後から話題となり、2000年のピューリッツァー・フィクション賞を受賞している。

新潮文庫版は2003年に刊行されている。

停電の夜に (新潮文庫)

作家、堀江敏幸による本作のレビューを発見したのでリンクしておく。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

ジュンパ・ラヒリの代表作(そしてデビュー作)を読んでみたい方。インド系のアメリカ移民について詳しく知りたい方。インドの文化を背景とした小説作品が気になる方。人生の断片を鮮やかに切り取った良質な短編集を読んでみたい方におススメ!

あらすじ

夜毎の停電で、隠していた秘密を打ち明けあう夫婦(停電の夜に)。幼き日、自宅を訪れていた男性の思い出(ピルサダさんが食事に来たころ)。観光ガイドを務める男と、アメリカからやってきた観光客親子の物語(病気の通訳)。「門番」としてとある集合住宅に居着いた女に訪れた悲劇(本物の門番)。先の見えない不倫関係にハマる女(セクシー)。ベビーシッターの女と、彼女の家に預けられた少年(セン夫人の家)。愛の無い結婚をした男の葛藤(神の恵みの家)。病弱で迫害を受けて暮らす女に訪れた出来事(ビビ・ハルダーの治療)。アジアからヨーロッパ、そしてアメリカへとやってきた男の人生(三度目で最後の大陸)。計9編を収録した短編集。

ここからネタバレ

インドとアメリカの狭間で

本作には9つの物語が収録されている。ジュンパ・ラヒリはインド生まれだが、両親が渡米したことでアメリカ人として生きることになる。インドとアメリカ、ふたつの国を故郷とする移民二世ならではの価値観が作品には色濃く反映されている。

9つの物語では、インドで暮らす人々、インドからアメリカへやって来た移民一世、そしてラヒリと同じような移民二世と、さまざまな属性のインド系の人々が描かれる。また、インド系だけではなく、アメリカの白人女性や、白人の少年の視点も持ち込まれている。そのため、物語の構造がより重層的になり、読み応えのある作品集となっている。

以下、各編ごとにコメント。

停電の夜に

英題は「A Temporary Matter」。直訳すると「一時的な問題」くらいな感じか。邦訳版ではこの短編のタイトルが、作品集全体のタイトルとなっている。

ショーバは昨年、生まれる筈だった子どもを死産している。夫のシュクマールは大学院生。子どもが死んだ日、学会で妻のもとを離れていたことを悔いている。冷え切った関係が続くふたりは、自宅の停電をきっかけに、互いの秘密を打ち明けあうようになるのだが……。

蝋燭の火のゆらめき。毎晩定期的に訪れる停電をきっかけとして、ふたりの関係性は修復されるのか?現実がよく見えていない夫と、冷静にこの先を判断している妻の間に横たわる埋めがたい溝。人と人との関係性においては、時として、絶対に言ってはいけないことがある。停電が終わり、妻は自らの意思で、部屋の明かりを落とす。このシーンがなんとも印象的。

ピルザダさんが食事に来たころ

原題は「When Mr. Pirzada came to Dine」。

1971年。インド系アメリカ人の少女リリアは、父の招きで家を訪れたピルザダに出会う。大学で植物学の講師を務めるピルザダには、故郷に残してきた家族がいる。折しも、インドではバングラディシュ独立による政情不安が続いていた。

インドからの移民で、アイデンティティ的にはインド人であるリリアの両親。リリア自身はアメリカ人としての自覚しかなく、インドは遠い異国でしかない。バングラディシュ紛争で家族の生死すらわからないピルザダの存在が、リリアの人間としてのアイデンティティを揺さぶる。移民一世と二世の間の距離感。アメリカ人の移民への無関心。異国でアメリカ人として生きていくことの哀しみが行間から伝わってくる。

病気の通訳

原題は「Interpreter of Maladies」。オリジナルの米国版ではこの短編のタイトルの方が、作品集全体のタイトルとなっている。

カパーシーの本業は病気の通訳。多言語国家であるインドにあって、医師と患者の間の仲立ちを務めている。ある日、カパーシーは副業の観光ガイドで、インド系アメリカ人、ダス氏とミーナの夫婦を案内することになる。

カパーシーは「病気の通訳」という仕事に引け目を感じている。おそらくインドにおいては、それほど高い地位の仕事ではないのではないか。一方、アメリカから訪れたミーナは「通訳」を高度で知的な職業だと理解し、カパーシーに自身の不倫の秘密を打ち明ける。カパーシーの自己認識と、外国人であるミーナの他者評価のすれ違い。

カパーシーをそれなりに評価し、不倫の事実を告げたミーナだが、根っこの部分ではインド人の彼を見下している。一種の「旅の恥はかき捨て」とばかりにカパーシーを消費している。もともとは同じインドにルーツを持つふたりでありながら、出自によるメンタリティの違いは歴然としてしまっているのだ。

本物の門番

原題は「A Real Durwan」。

インドのカルカッタ(現コルカタ)。とある集合住宅で「門番」として暮らす、階段掃除婦のプーリー・マーは64歳。彼女はかつての裕福な暮らしを、懐かしむように周囲の人々に語り続ける。しかしアパートが盗難で荒らされ、その責任追及が彼女に向けられる。

1947年にインドからパキスタンが独立する。ヒンドゥー教を信仰するとインドと、イスラム教を信じるパキスタンとで国が分かれたわけだ。もちろん地域によって、きれいに住民の宗教が分かれていたわけではなく、数多くのパキスタン難民が生まれた。

本作はそんな歴史的背景を持った作品。かつては豪勢な屋敷に住んでいて贅沢三昧だった(と、彼女は主張している)。だが、いまでは落ちぶれて住む家も無い、階段掃除婦に身を落としているプーリー・マー。周囲からは虚言壁のある老婆だと思われている。

結果的に、プーリー・マーはなけなしの全財産と、過去の象徴である合い鍵を奪われ、職すらも失い路頭に彷徨う。「嘘じゃないよ、嘘じゃない」と繰り返すその姿が切ない。

セクシー

原題は「Sexy」。

アメリカの白人女性ミランダは、ベンガル人で銀行に勤めている男デヴと不倫関係にある。不毛な関係をずるずると続けているミランダ。ある日、彼女は、友人の従姉妹の子、7歳のロヒンを預かることになる。

愛人の前で着るかもしれないと思った、銀のカクテルドレスにはなかなか出番がない。たまたま家を訪れた少年の前でドレスを着ることになったミランダ。子どもの口から出た「セクシー」という言葉に、彼女は自分が愛人に過ぎないことを改めて実感させられることになる。

セン夫人の家

原題は「Mrs. Sen's」。

11歳のエリオットは母親との二人暮らし。父親はいない。ベビーシッターのセン夫人はインドからやってきた女性。彼女は車の運転が苦手で、丸ごとの魚を捌くの上手、そして故郷からの手紙を楽しみにしている。エリオットは、セン夫人の家で母のいない時間を過ごすようになるのだが。

白人のアメリカ人少年の視点から、インド系女性の悲哀を描いた作品。セン夫人は同国人の夫が、アメリカの大学で講師を務めている。インドではアメリカで暮らせることは大出世で故郷からは羨望の目で見られている。しかし慣れない異国での生活と、思ったように動いてくれない夫に失望し、セン夫人の精神は次第に消耗していく。

エリオットは、父親のいない家庭で育ち、学校が終わるとセン夫人の家に預けられる。頼りない気持ち、寂しい気持ち、自分は恵まれていない、そんなマイナスの感情を日々抱えて生きてきたエリオットにとって、セン夫人は初めて出会った「自分より不遇な人」だろう。そんな他者を認識することで、自分の不遇さを相対化出来た。それは彼にとって大きな成長の一歩だった。

神の恵みの家

原題は「This Blessed House」。

サンジーヴはマサチューセッツ工科大出身の33歳。将来を嘱望されるエリートビジネスマン。一方、妻のトゥインクルは27歳。スタンフォード大学の院生で天真爛漫な性格。家と家の関係で娶った妻は美しく、高学歴で、出身カーストも申し分ない。だが愛せない。

アメリカにおけるインド系社会では、結婚相手は恋愛の結果として個人の意思で決まるのではなく、あくまでも家と家のつながりで決まることが多いらしい。その背景には、インドならではのカースト(階級)意識が横たわっているものと思われる。

見た目も出自も申し分のない相手だが、性格が致命的に合わない。それでも人は暮らしていかなければならないし、生きていくしかない。

ビビ・ハルダーの治療

原題は「The Treatment of Bibi Haldar」。

ビビ・ハルダーは29歳。生まれついての病弱で、満足に外に出ることも出来ない。彼女は年上のいとこの家で、厄介者として細々と暮らしている。「結婚すれば病気は治る」そう信じる彼女だったが、次第に追い詰められていく。

インドの社会で弱者として生きていく。「情緒不安定、身長152センチ、花婿募集」こんな新聞広告を出されて応募が来るとは思えない。そんな彼女に思わぬ「治療」が行われる。これでいいの?という思いと、ビビ・ハルダーの逞しい生命力に、不思議とほっこりとさせられるお話。

三度目で最後の大陸

原題は「The Third And Final Continent」。

カルカッタから、ロンドン大学へ進学。その後、マサチューセッツ工科大の図書館に職を得た私は単身アメリカへと渡った。インドからやってくる妻を迎えるため、新居の準備を整える私。異国での新婚生活が始まろうとしていた。

ジュンパ・ラヒリの両親はカルカッタ出身のインド人で、ラヒリが生まれてから、アメリカに渡っている。父親はアメリカの大学図書館勤務ということで、「三度目で最後の大陸」は父親の体験に根差した部分がとても大きな作品なのではないかと想像できる。

右も左もわからない地で、気難しいが、根は親切な大家のミセス・クロフト(105歳である!)との出会いから、私の人生が開けていく。私以上に、慣れぬアメリカに戸惑う妻のマーラ。ぎこちなかったふたりの関係が、これまたミセス・クロフトのひとことから距離が縮まっていく。

アジア、ヨーロッパ、そしてアメリカと、三つの大陸を渡り歩き、とうとう自分の場所を見出し、家族を得た私の高揚感と自負、人生への喜びが伝わってくる。最終エピソードらしい、爽やかな読後感の一編なのだった。

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