須藤古都離のデビュー作
2023年刊行作品。第64回のメフィスト賞受賞作品である。作者の須藤古都離(すどうことり)は1987年生まれのミステリ作家。ペンネームから女性作家を想像させられたが、講談社の公式サイトを見る限り、男性作家である様子。本作『ゴリラ裁判の日』がデビュー作で、第二作の『無限の月』が既に上梓されている。
表紙絵はイラストレータの田渕正敏(たぶちまさとし)によるもの。
講談社による『ゴリラ裁判の日』公式サイトはこちら。
本作のモデルとなったアメリカでのゴリラ「ハランベ」射殺事件の概要はこちら。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★(最大★5つ)
動物と人間の違い、関係性、権利について考えてみたい方。ゴリラ好き、ゴリラマニアの方。法廷モノのミステリがお好きな方。社会派のミステリ作品を愛している方。メフィスト賞受賞作を読んでみたいと思っている方におススメ。
あらすじ
ローズはカメルーン生まれのニシローランドゴリラ。彼女は人間の言葉を理解し、手話によって自らの意思を伝えることもできる。その驚異的な能力を買われ、彼女は単身アメリカに渡る。動物園の雄ゴリラと夫婦関係になったローズだったが、不幸な事件によって夫のオマリは人間に射殺されてしまう。動物の命は人間に劣るのか?強い憤りから動物園側を訴えたローズ。果たして裁判の行方は……。
ここからネタバレ
人間と対話ができるゴリラ
ニシローランドゴリラのローズは手話を使って人間と対話することができる。この能力は、突然変異体と思われる母親ヨランダの特性を受け継いでいるものと思われる。ローズの知能は高く、人間と問題なく対話することができる。学習への意欲も高く、新しい概念を次から次へと理解し、成長、発展を遂げていく。ローズの能力は、手話を音声言語化する特殊なグローブの開発によって、さらに注目を集めることになる。
ローズの特徴的な点は、謙虚さと柔軟性だと思う。知性があるとはいっても、ローズを人間よりも劣った存在して扱う人びとが大多数だ。しかしローズは落ち着いている。自らの至らぬ点はすぐに認めて改善していこうとする。自分を認めない相手にも、一歩下がって素直に教えを乞うことができる。同じような状況に陥った時、ローズのようにふるまえる人間が、そう多く存在するとは思えない。
ゴリラ裁判の開廷
アメリカに渡ったローズは、一躍、全米注目の的となる。動物園内の雄ゴリラ、オマリとの夫婦関係も成立し、新たな生活を築き始めたローズ。しかし、ゴリラ舎の中に人間の幼児が落下。突然の侵入者に興奮したオマリは侵入してきた子どもを掴み、振り回し始める。人命を尊重する動物園側は、やむなくオマリの射殺を決意する。
なぜ射殺したのか。麻酔銃で良かったのではないか?愛する夫を殺害されたローズは激昂し、動物園側に対して謝罪と賠償を求め訴訟を起こす。ここに全体未聞の、ゴリラを原告とした裁判が開廷される。
動物園長のホプキンスは誠実な人物で、動物への愛情も人いちばい深い。それでも人命と天秤にかけたとき、動物の命は軽くなる。だが果たしてそれは正しいのか?ゴリラと人間は何が違うのか?言語の有無?知性とは何か?人間の定義を問い直すところまで物語は突き詰めて展開されていく。
まさかのプロレス界入り
最初の裁判では、弁護人のやる気のなさもあいまって、ローズは敗訴する。動物園に居ずらくなったローズに手を差し伸べたのは、全米屈指のプロレス団体WWD(ワールド・レスリング・ドミネーション)だった。裁判に破れ、傷心のローズだったが、まさかのプロレス界入りでその知名度と人気は不動のものとなる。
金にガメつく、実力至上主義。それでもローズを人と同等に扱う、プロレス界の大物興行師ギャビン・グラハムのキャラクターが良いのだ!「お前のプロレスは逃げてる奴のプロレスだ」。そうローズを突き放しながらも、敗訴以来、鬱屈としていたローズの心を奮い立たせ立ち直らせるギャビン!ローズは裁判でふたたび人間社会と戦う決意を固めるのだ。
全ての命は同じ命として
正義は人間に支配されている。一審で敗れたローズは報道陣の前でこう語って物議をかもした。
決して人間には理解できないだろう苦悩、それは全ての動物が負っている宿命でありながら、私以外の動物はそれを知ることすらない。世界で私だけがこの苦しみを味わっているのだ。
動物は人間よりも劣っている。人の命は動物に優先される。
『ゴリラ裁判の日』p240より
人間が持っている社会通念をアップデートすることは容易ではない。実際問題、この作品で起きたような事件が目の前で起きたとして、あなたは人間の子供の命と同じようにゴリラの命も大切であると主張できるだろうか。わたし個人として言わせてもらえばそれは無理だと思う。
それでもローズはこう云うのである。
私は何者なのか、ずっと悩んで生きてきましたが、今回、はっきりと分かりました。私はゴリラであり、同時に人間でもあるのです。
『ゴリラ裁判の日』p301より
ゴリラであり、同時に人間でもある。この物語では人間の概念を拡張している。人間をホモサピエンスの上位概念として考え、人間にはゴリラも含まれると定義する。そこには、全ての命を同じ命として尊重すべきだとする、作者の想いが込められているのだと思う。
人間とは狭量な生きもので、同じ人類どころか、人種や国が違うだけで、もはや同じ人間とは見做せなくことがある。ましてや動物を同列に考えるなんて!と、思う方も多いと思う(わたしもそうだ)。それでも、命は同じ命なのだと考える。そんな価値観もあるのだと知ることは、人間自身の尊厳を守ることにも繋がっていくのではないかと考えた。
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