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『暗い旅』倉橋由美子 鎌倉、東京、そして京都へ、失われた愛を求めて

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倉橋由美子の初長編作品

1961年刊行作品。最初の単行本は講談社の系列会社であった、いまは亡き東都書房から。続いて1969年に学芸書林版の単行本版が世に出ている。このあたりは、さすがに古すぎてAmazonでも書影が出ない。

最初の文庫版は新潮社から。こちらは1971年の登場。わたしが大昔に、最初に本作を読んだのはこの版だ。

1975年刊行の『倉橋由美子全作品』の第三巻にも収録されている。

そして、本日ご紹介するのは2008年に刊行された河出文庫版になる。長らく入手が難しい状態だったのでこれは嬉しい。河出版では、1961年版の「作者からあなたに」、1969年版の「あとがき」、『倉橋由美子全作品』収録の「作品ノート」を収録。更に鹿島田真希の解説がついてくる。まさに決定版ともいえるこだわりようだ。

暗い旅 (河出文庫)

ちなみに電子書籍版は引き続き、新潮社からリリースされている。電子派はこちらをおススメ。

倉橋由美子は1935年生まれの小説家。2005年に亡くなられている。一般的な知名度として、一番知られているのは1984年の『大人のための残酷童話』だろうか。

作家デビュー作は、1960年、大学院在学中に書かれた『パルタイ』。その後『婚約』『人間のない神』と作品刊行が続くが、これらはいずれも短編集。今回の『暗い旅』は初めての長編作品ということになる。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★(最大★5つ)

紀行スタイルの恋愛小説を読んでみたい方。昭和30年代の鎌倉、東京、京都の情景を感じ取りたい方。特急「つばめ」号に憧憬を感じる方。倉橋由美子作品に関心がある方。倉橋由美子の長編作品を読んでみたい方におススメ!

あらすじ

婚約者の突然の失踪。彼はなぜ消えたのか、いまどうしているのか、もう会うことはできないのか。東京、鎌倉、そして京都へ。主人公はかつてふたりが愛しあった足跡を訪ね歩く。それは、自らの裡に秘めてきた、暗い記憶と向きあうことでもあった。旅の終わりに、主人公がたどりついた場所とはどこだったのか。

ここからネタバレ

昭和30年代の世界

『暗い旅』は昭和30年代の社会情勢、世相、風俗を強く反映した作品となっている。わたしが本作を初めて読んだのは1984(昭和59)年だったのだが、当時ですら作品が書かれてから二十年が経過しており、「古さ」は否めなかった。今回はそれから更に、38年が経過しているので、本作で描かれている情景は、もはや異世界と言って良い。

昭和30年代だから、まだ新幹線が走っていない。主人公は東京から京都までを、東海道線の特急「つばめ」で六時間もかけて移動する。タクシーの初乗りは100円だし、鎌倉には西武デパートがある。作中に登場する新宿や吉祥寺、京都などの往年の名店も多くが閉店してしまっている。そして、強い時代性というか、作者の嗜好を表しているのが、作中全体を貫くジャズの香りだ。

執筆当時、本作はもちろん「現代」小説だったと思うのだが、時の洗礼を経て、新たな魅力が付加されているようにも思える。

鎌倉、東京、そして旅立ち

主人公の女性は東京のO女子大付属(お茶の水女子?)から、歯科医である父親の仕事の都合で鎌倉に転居してくる。転校先はK高校とあるから鎌倉高校かな。お金には困っていないインテリのお嬢さまで、大学は京都のL女子大(京都女子?)を経て、翌年彼氏と同じQ大(東大)に入りなおしている。

彼氏であり、後に婚約者ともなるミチヲとは高校時代に出会う。カミュの『異邦人』をから始まる、ちょっと背伸びしている感もある、昭和の文学少年、文学少女の恋が眩しい(羨ましい)。

二人にはそれぞれに複雑な過去があり、恋人になってからも、自由に他の女や男を愛することを許容している。二人の関係には常に不安定さが付きまとう。互いを強く求めながらも、愛情の強さゆえに一歩引いてしまう、自己評価の低さゆえに自棄になってしまう。そんな状態が長続きするはずもなく、大学院生となったとき、二人の関係は遂に破局を迎える。

京都への鉄道旅

主人公は失われた男の愛を求めて、かつて二人が旅した京都へと向かう。本作の白眉とも言えるのがこの京都への移動過程だ。

この時代、東京から京都への移動は鉄道を使っても六時間かかった。在来線(というか新幹線は無いので、これしかないのだけど)の東海道線、特急「つばめ」に乗り込み主人公は旅をする。「つばめ」号にはビュッフェがあり、食堂車がある。今となっては想像しがたい、昭和の鉄道旅行の情景だ。

この六時間で、主人公は失われた男との過去を想起する。そして封じられていた、少女時代の忌まわしい記憶にも遡っていく。強いられて女にさせられた過去が、主人公に重くのしかかる。それは自身の肉体を顧みない生き方につながり、奔放な性体験にも発展していく。主人公にとっては女を演じることが、過去への復讐と自身の解放でもあったわけだ。

龍安寺と西芳寺、そして大徳寺

京都観光編も旅好きにはたまらない章だった。まだ市電が走っていた時代の京都が、いまとなっては懐かしい。大徳寺の拝観料が20円!というのにも時代を感じる。龍安寺(個人的に大好き)の石庭を猛烈にまた見たくなった。

京都に着いた主人公は、かつて叔母の夫であり、大学の師でもあった佐伯と再会し、そのまま一夜を共にすることになる。京都は主人公がミチヲと初めて関係を持った場所であり、彼女にとっては「不毛な情事の都市」「死んだ愛の死姦の場所」だ。

佐伯と寝てから死を選ぶつもりであった主人公だが、この一夜が彼女を変える。佐伯の存在はきっかけに過ぎない。ミチヲとの関係が既に破綻していたことを悟り、主人公の中でのミチヲが死に、彼女は解放され自由になるのである。

倉橋ヒロインの知的エロティシズム

倉橋由美子はわたし的には10代~20代にかけて熟読した作家だ。倉橋作品に登場するヒロインの知的エロティシズムに熱狂した男性読者は多いのではないだろうか。ただ、かつて読んだ際には、倉橋作品に登場する女性たちの性的奔放さに魅せられる一方で、彼女たちの抱える闇の部分、隠された瑕の部分にまではうまく読み取れなかったような気がする。この年になって改めて読んでみて、倉橋ヒロインの陰影をより感じ取れるようになると、より立体的にその魅力が際立ってくるようにも思える。

せっかくなので、他の作品も少しづつ読んでみるかね。

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