野崎まどの第五作
2011年刊行作品。『[映] アムリタ 』『舞面真面とお面の女』『死なない生徒殺人事件』『小説家の作り方』に続く、野崎まどとしては五作目の作品である。
さらに続く『2』を含めて、野崎まどの初期六部作を構成している。
この野崎まどの初期の六作品は、一時期入手困難となっていたが、2019年に全巻で新装版が登場した。野崎まど人気おそるべしである。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★(最大★5つ)
友情、友達の大切さについて考えてみたい方。小学生女子がワイワイ楽しくやっている小説を読んでみたい方。井の頭線沿線、特に吉祥寺周辺を舞台とした物語を読んでみたい方。野崎まどの『2』を早く読みたい方におススメ。
あらすじ
小学四年生の理桜は、毎年クラス委員を任される程の「ちょっと出来る」優等生キャラ。担任の教師から不登校の女子「さなか」に会い、学校へ来るよう説得して欲しいと頼まれた理桜は、友人のややや、柊子と共にさなかの家を訪れる。しかし、出会ったさなかは飛び級で大学卒業済みの天才少女だった。優秀過ぎるさなかは、学校教育に価値を認めない。理桜は学校で出来る「友達」にこそ価値があると説得を開始するのだが……。
ここからネタバレ(野崎まどの『[映] アムリタ 』『舞面真面とお面の女』『死なない生徒殺人事件』『小説家の作り方』の四作についてもちょっとだけ言及)。
登場人物一覧
前回も書いたので、引き続き今回も登場人物をカンタンにまとめておく。
- 理桜(りざくら):小学四年生。周囲の子よりちょっとだけ頭がいい。
- さなか:小学四年生なのに既に大学まで卒業している天才少女
- ややや:(やややで名前)。小学四年生。家はお金持ちらしい
- 柊子(ひいらぎこ):トム。小学四年生。引っ込み思案キャラ
- 千里子先生:理桜たちの担任教師。結婚関連ネタはNGワード
今回の物語の舞台は吉祥寺。野崎まど作品では井の頭線沿線、特に吉祥寺が舞台となることが多いが、今回も同様のようである。武蔵野第六小学校、井の頭西小学校などの名称が登場するが、いずれも実在はしない。武蔵野市の小学校は第五まで。「西」がつかない井の頭小学校は存在する。
友達とは、素晴らしいものである?
この世界には友達と称される関係が存在している。しかしそれは何故なのか?友達はどうして必要で、友達とは何なのか。友達とはいかにして作るべきものなのか。
本作に登場する天才少女さなかには友達が居なかった。さなかに関わることになってしまった、クラスの「ちょっと出来る」少女理桜は、友達の重要性を強く説く。
さなかは、その天才性を遺憾なく発揮して、ロジカルに友達の謎を解明してみせる。しかし理桜に起きた「事件」から、その確信は揺らぎ始める。
一般人の群れに紛れ込んだ異能者
これまでの野崎まど作品では、日常に混入してきた異能者に、一般人が振り回される話が多かった。それに対して、本作では同じようなパターンを踏襲するかに見えて、少し捻りを加えてきている。「友人方程式」は友達の謎を解明したかに見えたさなかだったが、理桜の死はその自信を打ち砕く。友達とは決して、コストパフォーマンスだけで割り切れる存在ではなかったのである。
この世には理屈だけでは割り切れないものがある。友達とは「人智を超えた存在」であることをさなかは知らされる。異能者が最後に打ちのめされるパターンは、これまでの野崎まど作品にはなかった展開である。
最原最中と最原最早の関係は?
とはいっても、そこは野崎まど作品である。そう簡単には終わらせてくれない。
本作では、さなかもまた、より高次の存在に、その行動と感情を誘導されていた可能性が示唆されて終わる。より高次の存在とは、さなかの母親を指すが、ここでさなかの姓が「最原」であること明かされる。さなかの本名は、最原最中だったのである。
野崎まど作品を最初から読んできた方であれば、「最原」は反応しなくてはならない固有名詞である。「最原」と言えば、『[映] アムリタ 』に登場し、読者に鮮烈な印象を残した最原最早(さいはらもはや)を当然思い出すべきである。
さなかの母親についての詳細は、本作の中では明かされることが無いので、これは今後の作品を読めということなのだろうか?なんともスッキリしない、しかも不穏な気配を残した幕の引き方なのである。うーん、気になる!
ということで、初期六部作の最初の五冊をようやく読み終えたので、満を持して最後の『2』に挑戦する予定。期待は高まっているのだが、果たしてどんな驚きをもたらしてくれるのだろうか。
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