『2』それは究極の作品
2012年刊行作品。『[映] アムリタ 』『舞面真面とお面の女』『死なない生徒殺人事件』『小説家の作り方』『パーフェクトフレンド』に続く、野崎まどとしては六作目の作品である。本作を含め、野崎まどの初期六部作を構成している。
このブログは基本的に、ネタバレアリを基本としているが、今回は上記の五作品についてもオチについて言及している。未読の方はくれぐれもご注意を。
野崎まどの初期六部作は、2019年に新装版がメディアワークス文庫から登場している。現在手に入れるならこちらの版になるだろう。
それにしても、六冊全てが再刊されるなんて相当にレアな事件である。野崎まど人気、恐るべし。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★(最大★5つ)
最後にビックリしたい方。創作とは何なのか知りたい方。創作が人間にもたらすものについて知りたい方。天才の思考の一端に触れてみたい方。超常的な存在に思いっきり踏みつぶされてみたい方におススメ!
但し、野崎まどの初期五作を先に読むのは必須!本作のみを単品で読んでも価値は半減するので要注意。
あらすじ
役者志望の数多一人は、過酷な試練を経て、国内トップの人気劇団「パンドラ」への入団を果たす。彼は優秀な劇団員が揃う「パンドラ」の中で、切磋琢磨し成長していく。しかし、オーディションのために現れた「ある女性」の存在が全てを破壊する。映画への出演を打診された一人は、想像を絶する創作の世界へと導かれることになるのだが……。
ここからネタバレ
全ての作品の『2』、登場人物一覧
『2』とは実に大胆なタイトルである。読み始めてみればわかるのだが、本作は過去に刊行された野崎まどの五タイトル、『[映] アムリタ 』『舞面真面とお面の女』『死なない生徒殺人事件』『小説家の作り方』『パーフェクトフレンド』全ての続篇となっている。
今回の主な登場人物は以下の通り。
- 数多一人(あまたかずひと):22歳。役者志望の青年
- 阿部足馬(あべたるま):24歳。「パンドラ」の新人団員。制作志望
- 振動槍子(しんどうやりこ):21歳。「パンドラ」の新人団員。脚本・演出志望
- 不出三機彦(でずみきひこ):「パンドラ」代表。演劇プロデューサ
- 御島鋳(みしまいる):「パンドラ」脚本・演出担当
- 最原最早(さいはらもはや):映画監督
- 在原露(ありわらあらわ):answer answer,答えをもつ者。本名、鈴木友子
- 紫依代(むらさきいよ):作家
- 舞面真面(まいつらもとも):実業家。舞面財閥を支配
- 舞面みさき(まいつらみさき):お面の女
- 最原最中(さいはらさなか):最早の娘
- 理桜(りざくら):最中の友人
- 伊藤(いとう):藤凰学院の生物教師
これまでの野崎まど初期五作を全て読んできた方ならお判りになると思うが、見事なまでのオールスターキャストである。確かにこれは、『2』を読む前に初期五作を読んでおくのは必須であろう。
ちなみに、あと数名、過去作からの再登場者が居るのだが、そこはあえて伏せておく。
異能者が一般人を蹂躙する物語
ここまでの野崎まど作品の特徴として、「異能者が一般人を蹂躙する物語」である点を挙げておきたい。以下、まとめてみよう。
- [映] アムリタ :天才的な映画監督に、主人公が人格を書き換えられる話
- 舞面真面とお面の女:封印されていた妖怪「お面の女」が登場
- 死なない生徒殺人事件:精神の不死者と、本物の不死者の物語
- 小説家の作り方:卓越した人工知性の出現
- パーフェクトフレンド:天才少女と人智を超えた母親のお話
いずれも程度の差はあれ、圧倒的な異能を持つ人外的な存在が、一般人を圧倒し踏みにじっていく物語なのである。
野崎まど作品では、異能者と一般人との間には越えられない深い溝がある。異能者は明らかに一般人よりも高次の存在として扱われる。異能者は一般人の人格や意思を、こともなげに踏みにじり、そしてそこには何の遠慮も無ければ逡巡もない。
この残酷にしてダークな展開が野崎まど作品の魅力と言える。
最原最早再登場と二重底の悪意
作家にとって「天才」を描くのは特別なことなのだと思う。しかし「天才」はあまりにハイスペックであるがために、扱いが難しいキャラクターである。強力でありすぎるが故に物語のパワーバランスを大きく損ねてしまう可能性すらあるのだ。
野崎まどにとっての最愛のキャラクターはやはり最原最早なのだろう。再び(というか、『パーフェクトフレンド』にも出てたけど)最原最早が出て来た時点で、ああ、今回は数多一人クンがボコボコにされる話なのかなと読む側の期待?は高まる。
本作では、最原最早以外にも、過去作品に登場した異能者たちが登場する。最強クラスの天才、最原最早と対峙させるには、過去作の人外が全員必要だったわけである。
今回の仮想敵は、舞面財閥を率いる舞面真面であった。彼は人間の次元ではおそらく最高レベルのキャラクターだろう。人外キャラのみさきちゃんまで従属させているし、相手にするにはまずまずの人物だ。本作では、一見すると勝負は痛み分けに終わったかのように見せていて、更にその先に二重底の結末を用意していた。
このオチは完全に想定外だった。これまで出てこなかった、あの不死身キャラをここで使ってくるとは!主人公の数多一人は人格を改造された偽物。作中の最原最早すらも偽物。偽物を矢面に立たせて、本物は最後の最後にやっと登場。さすがは、最原最早。格の違いを見せつけてくれる。
創作の可能性
本作を含め、ここまでの野崎まど作品で再三言及されるのは「創作の可能性」である。野崎まどは最原最早の台詞を借りて、創作をこう定義している。
創作という言葉の含有成分は多岐にわたっていて幅広い。ですがそれらは共通項を持つ概念であるからこそ、たった一つの条件で定義することが出来ます。その条件とは"人の心を動かすために創られたもの"であることです。
『2』(旧版)p296~297より
そして、創作がもたらすものとして、精神の変容、価値観の変容、そして一人の人間を別人にすることも可能であるとしている。創作は人の心を動かせる。だから創らずにはいられない。このあたりは、創作者のエゴともいえる部分かもしれない。
そして、更にこう問うのだ。
最初に言った通り、創作とは人の心を動かす行為です。ですから質問はこう変わります。"私達は何のために人の心を動かすのか"
『2』(旧版)p302より
その、人の心を動かす理由は。
「全ての創作は、人の心を動かすためにある」
最原さんの瞳が僕を見る。
「そして創作は、人の心を動かせる」
最原さんの瞳が近付く。
「だから私達は創らずにはいられない」
最原さんの瞳が。
「人を愛したいからです」
最原さんの唇が触れる。『2』(旧版)p432~433より
と、続くのだが、えー愛なんですか最原さん!と、一般人に過ぎない読者ここで衝撃を受けるわけである。
配偶者の人格を改造し(しかもベースは、過去に死んだ元カレの人格である)、二人の我が子を人外の存在にしてまで創りたいものとは何なのか。これは愛というよりは、超越者の傲慢さでしかないように思えてしまうのだが……。
とはいえ、これ言ってるの偽物の方だけどね。
天使と神を手に入れた最原監督の次回作にご期待ください!と、物語は終わるわけだが、この映画は誰に見せるためのものなのか?やはり、最原最早が自身を進化させるために創るものなのだろうか。
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