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『紗央里ちゃんの家』矢部嵩 僕の夏休み、すべてが歪み、狂っていく世界

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矢部嵩のデビュー作

2006年刊行作品。同年の、第13回日本ホラー小説大賞で長編賞を受賞している。矢部嵩(やべたかし)のデビュー作である。ちなみにこの年の大賞は「該当なし」。短編賞は吉岡暁(よしおかさとし)の『サンマイ崩れ』が受賞している。

矢部嵩は1986年生まれなので、およそ20歳の若さで作家デビューということになる。

角川ホラー文庫版は2008年に登場。最初はこんな感じの書影だった。

その後、どこかの段階で改版されたのか、わたしが持っている2021(令和3)年の第4刷ではこんな表紙になっていた。カバーイラストは丹地陽子(たんじようこ)によるもの。文庫版でも、解説、あとがきなどは収録されていない。

紗央里ちゃんの家 (角川ホラー文庫)

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

初期の矢部嵩がどんな作品を書いていたのか知りたい方。矢部嵩のデビュー作を読んでみたい方。子どもが主人公のお話。夏休み、田舎の旧家を舞台とした作品を読んでみたい方。ホラーに理屈はいらない。とびっきりの不条理を堪能したい方におススメ。

あらすじ

夏休みには泊りがけで、従姉の「紗央里ちゃんの家」に遊びに行くのが、わが家の恒例行事だった。「紗央里ちゃんの家」に住む祖母が突然亡くなる。母と姉は、今年は行かないと言い出す。父とふたりだけで現地を訪れた僕だったが、叔母の様子がおかしい。祖母はどうして死んだのか。血まみれの叔母。洗面所の床に転がる指の欠片。そして紗央里ちゃんの不在は何を意味しているのか。

ここからネタバレ

登場人物まとめ

まず、登場するキャラクターをまとめておこう。

  • 僕:主人公。小学五年生
  • 姉:主人公の姉。中学三年生。受験を控え紗央里ちゃんの家には行かない
  • 父:主人公の父親。叔母さんの兄
  • 母:主人公の母親。姉の世話のため紗央里ちゃんの家には行かない
  • 叔母さん:父親の妹
  • 叔父さん:叔母さんの夫
  • 紗央里ちゃん:叔母さんのひとり娘。僕の従姉。中学二年生
  • 祖父:主人公の祖父。父と叔母さんの父親
  • 祖母:主人公の祖母。父と叔母さんの母親。故人

名前があるのは「紗央里ちゃん」のみである。それ以外は、語り手である僕を含めて、名前がない。そして、登場するのはすべて、僕をめぐる血縁者だけである。外部の人間はいっさい登場しない。

不条理の怖さ

紗央里ちゃんは、主人公の従姉にあたる。紗央里ちゃんの母親が「叔母さん」で、この人物は、主人公の父親の妹にあたる。この家は、主人公の父親にとっての実家でもあったのだろう。叔母と主人公の父親の両親(主人公から見ると祖父母)も、この家に同居している(祖母は死亡しているが)。

夏休みに遠方にある親戚の家に泊まりに行く。子ども時代には往々にして登場するイベントだ。父親にとっては帰省のようなものかな。相手は身内だし、幼いころから毎年行っているから、気心も知れている。歳の近い従姉もいる。子どもとしては、毎年楽しみにしている行事といってもいい。

だが、そんなよくあるイベントは初っ端からつまづく。なぜか、包丁を片手に血まみれで登場する叔母。台所からは血なまぐさい臭気が漂ってくる。しかし客が来たのに供される料理はカップ焼きそばだ。従姉の「紗央里ちゃん」は家出したのだという。そして極めつけは、洗濯機の下に無造作に放置されていた、祖母のものと思われる指の欠片だ。ここから物語のテンションが一気に上がる。

本作の怖さの特徴は、怪異の原因に一切の理由も無ければ、理屈だった説明もないところだ。ただむき出しの「異常」だけが主人公の前に提示されていくのだ。これは怖い。

信頼できない語り手

この物語のもう一つの特徴は、語り手である僕の信頼性のなさだ。通常、本作のような、怪異の館を訪れた主人公は、自分のみが正気を保っていて、周囲の人物が異常者、もしくは精神崩壊していくといったスタイルを取ることが多い。ところが本作では、僕の精神状態がそもそも怪しい。次々と怪異に見舞われ、徐々にSAN値を超えてしまって次第に狂っていくわけではなく、かなり序盤から変。

この狂気が「紗央里ちゃん」の家を訪れた影響によるものなのかというと、それも怪しく。この家に来ていない、主人公の姉の言動も狂っている。ってまあ、これは語り手である、主人公がそもそも狂っているのだったら、姉の描写もあんまり信用してはいけないのかもだけど……。

すべての登場人物が、正気を保っていない物語は、読む側としては視点が定まらず、なんともふわふわとして読みにくいものだ。何が正しくて、何が間違っているのかがさっぱりわからない。読者は混沌の中に放り込まれ置き去りにされる。

内側と外側、やはり家の物語?

ラストでは、ずっと行方不明だった紗央里ちゃんがようやく登場する。そして主人公に同行しながら、煮え切らない態度を続けていた父親の内面も暴露される。かつて住人であったであろう父親を含め、「紗央里ちゃん」の家に住んでいたものが、より強い影響を受け、精神が歪んでいく。ただ、この家で何があったのかが描かれることはない。

いちはやく家の外に出ていた紗央里が、比較的理性的な考え方をしている点、家を出てからの主人公が、若干ではあるがまともな言動を取り戻しつつある点を考量すると、やはり家の魔力の物語だったのだろうか。だが、せっかく家を出ることが出来た紗央里も、けっきょくはその負の引力には抗えず、やがては家に帰っていく暗示がなされているのが実に不穏なのであった。

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