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『羊と鋼の森』宮下奈都 唯一無二の「森」に出会えた人生

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第13回本屋大賞受賞作

2015年刊行作品。第13回の本屋大賞受賞作品。『羊と鋼の森』は「ひつじとはがねのもり」と読む(わりとそのまんま)。文庫の帯なんかだと「伝説の三冠を達成!」などとあるが、本屋大賞のほかに、第4回ブランチブックアワード大賞2015、第13回キノベス!2016 第1位を獲得している。

羊と鋼の森

文春文庫版は2018年に登場している。ちゃんとカバー絵を新たに描きおろしているのが素晴らしい。

羊と鋼の森 (文春文庫)

作者の宮下奈都(みやしたなつ)は1967年生まれ。2004年の「静かな雨」が第98回文學界新人賞佳作となりデビュー。あれ、ブンガク寄りの方なのかな?(よくわかってない)。

音声朗読版は2018年に登場。朗読は村上聡が担当している。

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おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★★★(最大★5つ)

『羊と鋼の森』のタイトル名に魅せられた方。ピアノがお好きな方。音楽をテーマとした小説を読んでみたい方。本屋大賞受賞作が気になる方。この先自分は何をしていいのかわからない。将来の自分像が描けずに困っている。そんな方におススメ!

あらすじ

森の匂いがした……。高校時代の鮮烈な体験。ベテラン調律師板鳥との出会いが外村の人生を変えた。自身もピアノ調律師としての道を歩み始めた外村。自分には才能がないのではないのか。外村は失敗を繰り返し、苦悩しながらも模索を続ける。やがて、調律師として、ひとりの人間として成長していく。

ここからネタバレ

幸福な「森」との出会い

自分にとっての唯一無二の「森」に出会える人間は、この世の中にどれだけいるのだろう?この物語の主人公外村は、高校時代の偶然の出会いから、ピアノ調律の世界へと導かれる。寝食を忘れて没頭出来るものに出会えて、それを職業にすることのできた人間は本当幸せなのだと思う。

「知らないとは興味がないこと」。これまで自分を取り巻く世界に、何一つ興味を持てないかった外村だったが、「森」に出会ったことで、これまで無味乾燥としてた彼の日常は、彩り豊かなものになっていく。

きっと僕が気づいていないだけで、ありとあらゆるところに美しさは潜んでいる。あるとき突然、殴られたみたいにそれに気づくのだ。

『羊と鋼の森』文庫版p26より

世界はこれほどまでに、美しいものに取り囲まれていたのだと外村は気づかされていくのである。外村の世界が広がっていく。モノクロームの世界が色彩に溢れていく。外村の戸惑いと喜びを、この作品では暖かみのある筆致で静かに綴っていく。

羊と鋼?

まず、読み手はこのタイトルは何なのだろうかと思うだろう。

「羊」はピアノの弦を叩くハンマーのフェルトの素材に使われる。「鋼」はピアノの弦。いわゆるピアノ線のことで、こちらは鋼鉄製である。つまり「羊と鋼」はピアノを意味している。ピアノ調律の「森」とも言うべき深遠な世界に踏み入れた主人公を、象徴したタイトルとなっているのである。

「羽を開いた内臓」。本作で冒頭で描写されるピアノの内部構造は、とても印象的である。初めて見るピアノの内側にまず、外村は魅せられていく。それは蠱惑的でもあり、生々しい。まるで生き物であるかのように描かれている。柔らかな羊毛と、硬い鋼の弦。その裡に属性の異なる硬軟を併せ持つ存在がピアノなのである。

顧客の人生に寄り添うこと

研修期間を終え外村は、ついに一人で仕事を受けるようになる。本作でのピアノの調律作業は単なる音の調整としては描かれていない。訪問先で外村はさまざまなピアノに出会う。大事に弾かれていないピアノ。鍵盤が黄ばんでしまった古いピアノ。長い人生を共に過ごしてきたピアノ。さまざまな歴史を経てきたピアノを調律することは、その持ち主の人生に寄り添うことであることがわかってくる。

それ故に、ただ音を合わせておしまいなのではなく、それぞれのピアノとその持ち主の技量や環境、ひいてはその人生にまで思いをはせることが必要なのではないかと、外村は考えるようになっていく。

内向的な性格で、人と交わることをしてこなかった外村。しかし「森」を知ることで、人と人との関係性についても深くを想いを寄せるようになる。戸惑いながらも、人間としての受容の幅と深みを増し、ゆっくりとではあるが外村はひとりの人間として成長を遂げていくのである。

「森」の深さと三人の師

外村には三人の師、メンターとでも言うべき存在がいる。遥かなる高み、完成系としての板鳥。世話好きで面倒見が良く、包容力のある柳。それとは対照的な存在でありながら、プロとしての厳しさ、矜持を教えてくれる秋野。この三人の配し方は実に絶妙である。

外村は一人で客先を回るようになり、二年目、三年目と経験を積んでいく。その中で、幾たびも壁にぶつかる。失敗し、担当変更を申し出られ、自分には才能がないのではないか。十分な素養がないのではないかと悩むようになる。

外村に対して、三人の師はそれぞれのアドバイスを送る。

 「焦ってはいけません。こつこつ、こつこつです。」

『羊と鋼の森』文庫版p21より(板鳥)

「才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似てる何か」

『羊と鋼の森』文庫版p139より(柳)

「口にしないだけで、みんなわかってるよ。だけどさ、才能とか、素質とか、考えないよな。考えたってしかたないんだから」 

一呼吸置いて、秋野さんは続けた。

「ただ、やるだけ」

『羊と鋼の森』文庫版p245より(秋野)

言い方は三者三様だが、結局のところ、手法は違っても目指すところは同じなのだということが判る。人生の「森」を歩く人間たちにとって、出来ることはただ「続けること」だけなのである。

人生の若き日に、唯一無二の「森」に出会えたものは幸せである。板鳥は自身の目指す「音」について、原民喜の詩を挙げて説明している。

明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる。

青空文庫:原民喜『沙漠の花』より

この言葉が外村にとっても目指す「音」として刻まれていく。見上げれば必ず頭上に輝く星座として。外村にとって、人生の軸が定まった瞬間である。

映画版『羊と鋼の森』もおススメ

映画版は2018年公開。監督は橋本光二郎。キャスティングは以下の通り。

また、山﨑賢人か!と叫びたくなるところだが、意外に悪くないのでおススメである。数カットしか出番が無くて、セリフすらないのに圧倒的な存在感を醸し出す吉行和子はさすがの貫録。

  • 外村直樹(山﨑賢人)
  • 柳伸二(鈴木亮平)
  • 佐倉和音(上白石萌音)
  • 佐倉由仁 (上白石萌歌)
  • 北川みずき (堀内敬子)
  • 外村雅樹(佐野勇斗)
  • 秋野匡史(光石研)
  • 外村キヨ(吉行和子)
  • 板鳥宗一郎(三浦友和)

比較的原作に忠実な映画化だが、ピアノを辞めていた和音が、再起していく流れについて、原作に比べ外村の関与が強めになっていて、ちょっと違和感。映画だからメリハリつけたくなる気持ちはわかるけど。

また、佐倉和音、由仁の姉妹に、上白石萌音、萌歌姉妹を当て込んだ関係で、さすがに双子設定はなくなっている。引っ込み思案な姉に対して、活動的な妹。この関係が、外村兄弟との対比にもなっており、原作よりもやや強調された演出となっている。

羊と鋼の森

羊と鋼の森

  • 山﨑賢人
Amazon

コミカライズ版もある

水谷愛によるマンガ版も2018年に刊行されている。上下巻構成。こちらもチェックしてみる予定。

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