全米で100万部突破!映画化も決まった超人気作品
2022年刊行作品。オリジナルのアメリカ版は2020年刊行で原題は『The Invisible Life of Addie LaRue』。翻訳者は高里ひろ。
作者のV・E・シュワブ(V. E. Schwab)は1987年生まれのアメリカ人作家。2011年に『The Near Witch』でデビュー。その後、Victoria Schwabの筆名で児童書やヤングアダルト系の作品を多数上梓。一般作品を書く際のV. E. Schwabとは使い分けをしているみたい。
『アディ・ラルーの誰も知らない人生』はアメリカでは大ベストセラーとなっており、既に100万部を超えているとのこと。また、31か国で翻訳されており、映画化も決まっている。
おススメ度、こんな方におススメ!
おすすめ度:★★★★★(最大★5つ)
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あらすじ
1714年フランスの小村ヴィヨン=シュル=サルト。23歳のアディ・ラルーは、望まない結婚から逃れるため、古き神と取引を交わすことで自由を手に入れる。しかしその契約には狡猾な罠が仕組まれていた。アディは誰の記憶にも残らない存在となってしまったのだ。家族や友人から忘却され、故郷を追われたアディの長い長い、過酷な人生の旅が始まろうとしていた。
ここからネタバレ
誰の記憶にも残らない人生
本作の主人公、アディ(アドリーヌ)・ラルーは1691年生まれ。物語が始まる1714年時点では23歳となっている。アディは自由な人生を望んでいるが、時代と田舎の慣習がそれを許さない。望まない結婚(それでもこの時代としてはかなり遅い)が避けられぬと知ったアディは、禁じられている「日が暮れてから現れる神」への祈りを捧げてしまう。
この物語で語られる神(後にリュックと名付けられる)とは、キリスト教普及以前から地域にあまねく存在する古い古い存在だ。キリスト教会的には悪魔と見做したような神々だろう。アディは取引によって、永遠の若さと不死の身体を手に入れる。代償は、アディが死を望んだときにその魂を捧げること。ただこの取引で、リュックはもっとも重要な事項を告げていない。それは「誰の記憶にも残らなくなる」という事実だ。
人間社会とは記憶によって成立しているといっても過言ではない。他者から記憶されているからこそ、働くことが出来て、賃金を得ることが出来る。住居を手に入れることが出来る。何より、他者と触れ合い、愛しあうことが出来る。アディはリュックとの取引によって、人間社会で生きていくための「記憶される」という要素を、事前に告知されることもなく奪われてしまったのだ。
アディは他者と話をしている間であれば記憶していてもらえる。しかし、相手がわずかな間でも、アディから目を離してしまうと、次の瞬間、アディは忘れ去られてしまうのだ。そのために、アディは他者と一晩限り以上の関係を築くことが出来ない。意中の異性と夜を共にしたとしても、朝になれば相手はアディを忘れているのだ。これが永遠に続くのである。リュックがアディに背負わせた十字架はあまり重い。
アディに与えられた特殊能力
アディには「アディは誰の記憶にも残らなくなる」以外にも、いくつかの制約が課されている。重要なポイントの一つは「しるしを残せない」点だ。
アディは文字を書き残すことが出来ない。書いた絵も残せない。写真にも写らない。物を作れない。これは「誰の記憶にも残らなくなる」呪いから派生した制約だろう。そのために、アディは手紙を書くことが出来ないし、物語を紡ぐこともできない。無限に等しい時間を与えられているのに、生きたしるしを何一つ残すことが出来ないのだ。
一方で、アディは物を作れないが使うことはできる、壊すことはできないが盗むことはできる、火を熾すことはできないが保つことはできる。これはリュックの与えた罠の抜け道なのか、それともせめてもの慈悲なのか。
また、アディは年を取らないし、死ぬこともない。病気にもかからない。怪我をしても即座に治癒してしまう。死んでしまうような過酷な環境下に置かれても蘇生してしまう。ただし、食事を摂らなければ空腹感は覚えるようで、この制約は初期のアディを苦しめることになる。
リュックとの300年に及ぶ愛憎
この物語には二つの軸がある。ひとつ目の軸は1714年のフランス、ヴィヨン=シュル=サルトから現代、2014年のアメリカ、ニューヨークに至るまで。不老不死となったアディの人生を時系列で追いかけていく流れだ。
故郷を追われ、ル・マン、そしてパリへ流れ着いたアディは、苦労を重ねた末に自分の能力との折り合いをつけ、なんとか生きていく術を見出している。
以下、雑にアディの足跡をまとめたものがこちら。
- ~1714年:ヴィヨン=シュル=サルト(1764年、1854年、1914年にも帰郷)
- 1714年~1789年:ル・マンを経てパリ
- 1789年~1806年:フィレンツェ、ヴェネツィア
- 1827年:ロンドン
- 1872年:ミュンヘン
- 1899年:コッツウォルズ
- 1928年:シカゴ
- 1943年:占領下のフランス
- 1943年:ボストン
- 1952年:ロスアンゼルス
- 1970年:ニューオーリンズ
- ~2014年:ニューヨーク
Googleマップの機能を使って地図化もしてみた。
惨めなパリ初期時代の暮らし、愛した男に忘却される哀しみ。かつて愛した男が年を取り老いて死んでいく切なさ。アディは無限に生きることが出来るが、誰とも繋がることが出来ないし、関われない。歴史の傍観者でしかない。
リュックはアディの人生の節目に姿を現し、再三、屈服を迫る。リュックに騙されたと感じているアディは、頑なにリュックに心を開かない。絶望的な数々の瞬間にあって、リュックの誘惑を拒み続けるアディの強いメンタルは驚嘆に値する。
本作の面白い点は、そんな頑固で強靭な精神を宿すに至ったアディを、リュックが次第に愛してしまうようになる点にある(って、アディをそこまで成長させたのはリュックなのだけど)。ただ、アディに対して生殺与奪の権利を持つリュックの愛は、独りよがりで自分勝手なものだ。そもそもリュックは人ですらない。
頑固すぎるアディと、傲慢でプライドの高いリュック。この二人は300年もの長い歳月を通じて、少しづつ心を近づけていく。
もうひとりの主人公ヘンリー
この物語の二つ目の軸は、2014年の現代パートである。この時代のアディはニューヨークに住んでいる。300年を生きるアディは、自らの能力を存分に活用し、「誰の記憶にも残らなくなる」状態下においても、ニューヨークでの生活を満喫している。
ある日アディは、古書店ラスト・ワードで一冊の本を盗む。翌日、盗んだ本を売るために古書店を再訪したアディは、店員のヘンリーから信じられない言葉を聞く「ぼくはきみを憶えている」と。300年間、誰からも記憶されなかったアディにとって、ヘンリーの存在がどれほど大きなものであるかは言うまでもないだろう。この物語が、俄然面白くなるのはヘンリーが登場してからだ。
ヘンリーがアディを憶えていられるのには理由がある。彼もまた、リュックと取引をした人間のひとりだったからだ。恵まれた家庭環境にありながらも、周囲と馴染めず、恋人にも去られ絶望していたヘンリーはその命を自ら終わらせるつもりでいた。そこに付け込んだリュックは、「誰からも愛される」能力をヘンリーに授ける。
とはいえ、能力に強いられる形で他者から愛されたところで、それが何の喜びにもならないことにヘンリーは気づいてしまう。再び、人生の闇に陥ろうとしていたヘンリーにとっても、アディとの出会いは福音であったのだ。他者とのつながりに飢えた、アディとヘンリー。二人は宿命的な出会いをしたかに見える。
だが、この出会いはすべてリュックによって仕組まれたものだった。しかも、ヘンリーがリュックと交わした取引には期限がある。取引の日から、ヘンリーは一年間しかいきることが出来ないのだ。
生きるしるしを残す
アディ本人は自らの生きた「しるしを残せない」。しかしアディは長い年月を生きる間に、「しるしを残す」方法を見出していく。
「芸術は考えよ。そして考えは記憶よりもしぶとい」
『アディ・ラルーの誰も知らない人生』下巻p48より
アディ自身は何も残せないが、他者が自発的にアディの姿を捉えようとする分には問題がないのだ。
各章の扉に描かれた「作品」の数々。読み始めた当初、これが何を意味しているのかはさっぱり分からない。だが、この物語を最後まで読み進めたところで、その意味がわかる。こららはアディが懸命に残した「生きたしるし」だったのである。
- 第1部:『戻ってくる』アルロ・ミレ→アディの父親が遺した木彫りの鳥に由来
- 第2部:『ある忘れられた夜』サマンサ・ベニング→7つの銀色の点が残る
- 第3部:『無題 サロンのスケッチ』ベルナール・ロデル→パリのサロン時代のアディ
- 第4部:『オープン・トゥ・ラヴ』ミュリエル・ストラウスとランス・ハリンガー→これはヘンリー関連の事物かな
- 第5部:『わたしは星々をベッドに運んだ』マッテオ・レナッティ→イタリア時代のアディ
- 第6部:『ドリーム・ガール』トビー・マーシュ→アディとの思い出を楽曲化
- 第7部:『逃げ果せた女の子』不詳→ヘンリーによるポートレート
しかしヘンリーを除くアーティストたちが遺した「しるし」は、アディの残滓に過ぎない。必ずしもアディの存在そのものを捉えたものではない。
だがヘンリーはアディを記憶できる。アディはヘンリーの力を借りて、本当の意味で、「自らの人生のしるし」を綴る手段を手に入れる。『アディ・ラルーの誰も知らない人生』。このタイトルの意味が、大ラスに至って見事に回収される展開は感動を禁じえない。
そばかすが七つ。この子が得る愛ひとつにつきひとつ
ヘンリーの命を繋ぐために、アディは一度は関係を絶ったリュックの元へ戻ることを決める。ヘンリーとの最後の場面。ただ「憶えていて」と告げてアディは消えていく。
これまでの人生で、アディが愛した異性との別れは、一方的に忘却されて終わる、すべて中途半端なものだった。「省略記号ばかりの一生」を歩んできた人生の中で、はじめて自分で決めた別れ。アディはリュックとの取引を、従来の「無期契約」から、「終わりの可能性がある」ものに書き換えている(したたかさが増していて、成長ぶりが著しい)。だが、おそらくヘンリーが生きている間に、リュックからの束縛を逃れることはできないだろう。
ところで、本作の冒頭部分、エステルが語ったこんな言葉を憶えているだろうか。
そばかすが七つ。この子が得る愛ひとつにつきひとつだ、とエステルがいった。
『アディ・ラルーの誰も知らない人生』上巻p5より
エステルの頬には七つのそばかすがある(表紙にも輝く七つの星が描かれている)。エステルの存在を象徴するかのような七つのそばかすは、彼女が人生で得るとされる愛の数を表している。
さて、本作中でアディが得た愛はいくつあっただろうか。パリで出会ったレミー、ヴェネツィアで出会ったマッテオ、ニューヨークのミュージシャンン、トビー、ヘンリーやリュックを加えても七人に満たない。もちろん、作中に描かれていないお相手もいたのかもしれないが、アディの人生には、この先も新たな愛が得られるのではないかと信じたい。
もっとも、エステルの預言には続きがある。
この子が生きる人生ひとつにつきひとつ。
この子を見守る神ひとりにつきひとつ。『アディ・ラルーの誰も知らない人生』上巻p5より
アディの人生はまだまだ続くのか、他の神々もこれからちょっかいを出してくる可能性があるのか?と思うと、この先のアディの人生は、まだまだ波乱万丈なのかもしれない。