ネコショカ

小説以外の書籍感想はこちら!
2023年に読んで面白かった新書・一般書10選

『嫉妬と階級の『源氏物語』』大塚ひかり

『ナイフ投げ師』スティーヴン・ミルハウザー 幻想、不穏さ、謎の歴史、他では読めない独特の世界

本ページはプロモーションが含まれています


ミルハウザーの第三短編集

オリジナルの米国版は1998年に刊行されており原題は「The Knife Thrower」。

作者のスティーヴン・ミルハウザー(Steven Millhauser)は1943年生まれのアメリカ人作家。デビュー作は1972年の『エドウィン・マルハウス―あるアメリカ作家の生と死(Edwin Mullhouse: The Life and Death of an American Writer 1943-1954)』。

邦訳版は、まず2008年に単行本版が白水社から刊行されている。

ナイフ投げ師

その後2008年に白水社の新書サイズレーベル、白水Uブックス版が刊行された。現在読むならこちらの版かな。

ちなみに『ナイフ投げ師』は、『イン・ザ・ペニー・アーケード(In the Penny Arcade)』『バーナム博物館(The Barnum Museum )』に続く、ミルハウザーの第三の短編集である。

おススメ度、こんな方におススメ!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

特殊な設定、特殊な文体、特殊な登場人物たちが織り成す、他では読めないミルハウザーならではの作風を楽しみたい方。架空の街の架空の歴史に触れてみたい方。新しい小説ジャンルを開拓したいと思っている方におススメ。

あらすじ

正確な投擲で人々を魅了する男(ナイフ投げ師)。親友との再会と、彼が娶った奇妙な妻の話(ある訪問)。街で噂される少女たちの噂(夜の姉妹団)。天才職人がつくり出した魔法の世界(新自動人形劇場)。少年が垣間見た美しい夏の夜の物語(月の光)。十二年間だけ存在した奇妙な遊園地の歴史(パラダイス・パーク)等、十二編を収録したミルハウザー短編集。

以下、各編ごとにコメント

ここからネタバレ

ナイフ投げ師(The Knife Thrower)

天才的な技巧を誇るナイフ投げ師ヘンシュが我らの街にやってきた。高まる期待。スリルとサスペンス。怖いもの見たさでやってきた観客たちをヘンシュは卓越したテクニックで魅了していく。しかし彼の興行は次第にエスカレートして……。

見世物小屋で高まっていく後ろ暗い興奮。期待と不安。ヘンシュが失敗して、的となった少女らが傷を負ってしまうのではないか、もしかしたら死んでしまうのではないか。残酷な集団心理が異様な空間を作り上げていく。ナイフ投げ師が去ったあと、人々の心中には動揺と狼狽だけが残される。それは彼らのうしろめたさの裏返しなのかもしれない。

ある訪問(A Visit)

学生時代の親友アルバートを尋ねて、主人公は小さな村を訪れる。九年ぶりの再会。結婚したと告白する友人だったが、紹介されたのはどう見ても蛙にしか見えない生き物だった。衝撃を押し隠しながら、主人公は親友宅に留まるのだが……。

まっとうな社会人生活から逸脱し、とうとう蛙を妻にしてしまった親友と、まっとうな堅気の生活を送り、常識に囚われて孤独に生きている主人公。かつては親密だった二人の間柄には大きな溝が出来てしまった。果たして幸せなのはどちらなのか?

夜の姉妹団(The Sisterhood of Night)

その街では12歳~15歳の少女たちが夜な夜な群れ集い、性的に倒錯した淫らな行いに耽っているのだという。その名は「夜の姉妹団」。少女たちの告白。街の人々の疑心暗鬼。大人は決して知ることは出来ない、少女たちの秘め事とは何だったのか。

米澤穂信の『栞と嘘の季節』の中で言及されていた作品。

謎めいた存在である「夜の姉妹団」について、ノンフィクションタッチで綴られた作品。人々はよくわからない存在、未知のものにたいして不安を抱くし、時に嫌悪し、また恐怖する。噂は本当なのか?証言した少女たちは本当のことを言っているのか。得体のしれないものは排斥したくなる。「ナイフ投げ師」同様に、集団心理が思いも寄らぬ方向へエスカレートしていく怖ろしさが作中から滲み出てくる。

ちなみに本作はアメリカで映画化されている(日本未公開)。

SISTERHOOD OF NIGHT

SISTERHOOD OF NIGHT

  • Georgie Henley
Amazon

日本語字幕付きの予告編もあった。

出口(The Way Out)

ハーターはコミュニティカレッジで歴史学を教える30歳の独身男。彼はある日、一夜を共にした人妻との浮気現場へ、相手の夫に踏み込まれる。やがて夫側の友人を名乗る二人の男が訪れ「話しあい」の実施をハーターに告げる。

軽い気持ちで手を出した年上の女。しかし相手には夫がいて、事態を解決するためによりにもよって、拳銃による決闘を挑んできた。平穏な人生が突如として暗転し、命のやり取りへと変わっていく。ラストシーンでの黄色い蝶の大群の描写がなんとも鮮やかな一編。

空飛ぶ絨毯(Flying Carpets)

子ども時代の暑い暑い、とにかく退屈だった夏の日。僕はとある家の裏庭で古びた絨毯を見つけた。それは空を飛ぶことのできる魔法の絨毯だった。僕は次第に大胆になって、空飛ぶ絨毯での冒険を繰り返すようになる。

冒頭の以下の導入が読み手の心をつかむ。

子供のころの長い夏の日々、いろんな遊びがぱっと燃え上がっては眩く焼け、やがて永遠に消えていった。

単行本版『ナイフ投げ師』p101より

一時は熱狂的に夢中になった遊びですらも、時が過ぎれはその興奮は醒め、やがて忘れ去られていく。我々は成長する中で、地下室の暗がりの中にどれだけの熱狂を置き去りにしてきたのだろうか。

新自動人形劇場(The New Automaton Theoter)

市内に無数に存在する自動人形劇場。名匠たちによって作られたミニチュア芸術。中でもとりわけ偉大とされた自動人形師ハインリッヒ・グラウムの至芸には誰もが魅せられた。しかし彼の取り組み「新自動人形劇場」は周囲に波紋をもたらす。

職人モノとでも言うべきか。本書の中でも「協会の夢」「パラダイス・パーク」と近しいカテゴリにあると思われる、稀代の天才の栄光と変節、その行きつく果てを描いた作品。万物は流転するし、時は移ろう。何事も変わっていくし、それが元に戻ることはない。

月の光(Clair de Lune)

十五歳になった年の夏。満月の光。青い夜。眠れなかった僕は街に出る。そして近所に住む少女ソーニャの家を訪れる。彼女の家には他にも三人の少女たちが居て、僕はそこで奇妙なひと時を過ごす。

真夏の夜のボーイミーツガール。特別な時間。「ただ一つの夏の夜」を描いた良短編。情景描写の美しさにため息の出る一編。

協会の夢(The Dream of the Consortium)

古びた店内。年代物のエスカレータ。色あせた内装。都市に残った最後の大商店、百貨店が協会に買収された。協会によってリニューアルされ、新装開店した百貨店を都市の人々は驚嘆をもって受け止めるのだが……。

懐かしくて古いものに憧憬を抱きながらも、新しくて煌びやかなものを人々は受け入れていく。何だこの小説(小説なのか?)。特定のキャラクターは一切登場しない、架空の百貨店史。実際には存在しなかった架空の歴史を追体験できる愉しみと、捉えればいいのだろうか(戸惑い)。

気球飛行、一八七◯年(Balloon Flight.1870)

フランス万歳!共和国万歳!気球に乗り込んだ私と、操縦士のヴァラールは、レジスタンス組織を結成すべく、プロイセン軍の包囲地域を抜ける。青い虚無。忌まわしいほどの高さ。高度3,000メートルの世界。そこで私が見たものとはなにか。

1870年、プロイセン軍の包囲。とあるので、フランスとプロイセン(後のドイツに発展)との間で戦われた普仏戦争が舞台なのではないかと思われる。気球は18世紀中には実用化されていたようで、普仏戦争では大活躍したらしい。Wikipedia先生にはこんな記事があった。

1870年 - 1871年 普仏戦争において、拠点同士の連絡用として用いられる。パリ包囲戦ではナダールらが気球を多数建造して偵察のほか、包囲されたパリから地方への航空郵便輸送に使用した。レオン・ガンベタなどが気球を使って街を脱出し、プロイセン軍と戦った。

気球 - Wikipediaより

高度3,000メートルの世界は、当時の人類としては、未知の異世界であったろうことは疑いが無く、「空によって人間らしさ」を奪われていく私の心理描写が、この物語では丁寧に描かれている。

パラダイス・パーク(Paradaise Park)

1912年に開園したパラダイス・パークは人々を魅了した。野心的な遊園地オーナー、サラビーは次から次へと新しいアトラクションを導入し成功を収める。しかしその取り組みは次第に狂気の度合いを増していき、遊園地は地獄のような世界になってしまう。

本作も職人モノ+架空史系の作品。巻末の訳者あとがきによれば、パラダイス・パークは、ニューヨークのコニーアイランドに実在した遊園地をモデルにしているとのこと。

ある種の快楽は、その本質上どんどん極端な形を追求していくものであって、やがてはついに、完全に力を出しきったもののいまさら止まることもできずに、滅亡の暗い恍惚に行きつくほかないのではないか、と。

単行本版『ナイフ投げ師』p238より

「新自動人形劇場」に登場した自動人形師ハインリッヒ・グラウムと、本作に登場するサラビーは、道を究めた挙句に、暗い恍惚にまで行きついてしまった点で共通する側面がある。誰もが楽しめる夢の国を、悪魔の遊園地に、邪悪な地下世界へと変貌させていく暗い情熱には、読み手として心惹かれるものがある。ミルハウザーのファンはこういうところに魅了させられるのかな。

カスパー・ハウザーは語る(Kaspar Hauser Speaks)

バイエルン王国、ニュルンベルク。17年の間、土牢に幽閉され、ある日突然「発見」された謎の少年カスパー・ハウザー。満足に読み書きも出来なかった彼は、高度な教育を与えられ見る間に人間性を取り戻していく。そんな彼が語った想いとはなにか。

※以下、カスパー・ハウザーの生涯についてのネタバレアリなので、知りたくない方は注意!

あらすじだけ読むと、映画や小説の登場人物のように思える境遇だが、カスパー・ハウザーは、19世紀前半のバイエルン王国に実在した人物である。わたしは、種村季弘の『謎のカスパール・ハウザー』ではじめてこの人物を知ったクチである。

私の何より深い願いは、例外でなくなることです。好奇心の対象でなくなることです。何の変哲もない身となること。皆さんになること。

単行本版『ナイフ投げ師』p252より

野生児にもたらされた文化的な教育。それはカスパー・ハウザーを文明人に変えた反面。本来の彼を消してしまうことになったのではないか。彼は、自らの存在を消し去りたかったのではないか。やがて彼は謎の暗殺者の手にかかり、若くして生涯を終えることになる。そんな運命を暗示しているかのような終わり方が、なんともいえない思いにさせられる。

私たちの町の地下室の下(Beneath the Cellors of Our Town)

無数の地下通路が張り巡らされた町。通路はいつからあるのかも、どんな由来があって出来たのかもわかっていない。しかしこの町の人々は地下でのひと時を愛し、生活に組み込み、階段の民として生きていく。

架空の街の不思議な話?的な、なんじゃこりゃと戸惑いを隠せなかった一編。キャラクターは登場せず、ただひたすら、地下に通路がある、とある町の習俗が綴られていく。見知らぬ土地の、見知らぬ風習をドキュメンタリタッチで紹介されているノリ、と言えばわかりやすいだろうか。

とらえどころがなくて、最初のうちは戸惑うものの、慣れてくると次第にワクワクしながら読まされてしまうのは、この作家ならではの上手さか。

海外文学のおススメをもっと読む